2017年11月24日

何故ローライフレックスが好きなのだろう

Greyhound Bus with Rolleiflex 2.8F Planar 80mm Tri-X 1976

Rolleiflex 3.5F Planar 75mm and Xenotar 75mm
東松照明さんは篭から文鳥を取り出すと手のひらに乗せた。亜熱帯をテーマにした『太陽の鉛筆』をカメラ雑誌に連載してるころだった。「二眼レフというのはねぇ、おじぎカメラと言うんだ。ふつうのカメラはファインダーを覗くと直視する形になるだろ。二眼だと下を見るから相手は安心する。おじぎなんだよね。おじぎをして撮らせてもらうのさ」「ふーん」「スタッフカメラマンっていろいろたいへんらしいね。この間、毎日新聞のカメラマンもぼやいていたよ」「そうですか? そんなことありません、楽ですよ」。それにしても太陽の鉛筆ってうまい表現だなと私は思った。東松さんの部屋を辞して家路に着く。歩いてわずか5分だった。以上は1970年代中ごろ、新宿のど真ん中に住んでいたころの私的写真論への覚書である。私はかつてのハンドル twin_lens が示すように、二眼レフが好きである。ピンホールやゾーンプレート写真に浮気したり、たまにもっと大きなフォーマットで撮ったりするけど、やはり落ち着くのは二眼レフである。最初に手にしたのは確か中学生のときで、叔父から借りたミノルタオートコードだった。6x6センチの密着プリントが案外大きく見えた記憶がある。次に手にしたはローライフレックスだったが、ずっと時代は下って東松照明さんに会ってからだった。ジミー・カーターが大統領線に出馬した1976年秋、私はフレームザックを背負い、1台のローライフレックスを抱えてグレイハウンドバスの旅をした。いや、正確にいえば、西海岸のロングビーチの中古楽器屋で買ったフィドルがもうひとつの道連れだった。当時、1台だけ持って海外旅行すなら何をという質問には、ライカかローライと答えたものである。それを実行したわけだが、とにかく二眼レフは構造がシンプルで壊れ難い。

ISBN: 1874031967
難点はボックス型のため、ごろごろして携帯にはやや不向きということだが。いやいや、まだまだある。ファインダーを覗くと画像が左右逆だし、パララックスの不安が付き纏う。それはともかく、約一カ月に渡った旅のお供は故障することもなく、無事日本に戻った。もっとも、その後このカメラは酷使し、今は手元にない。現在所持しているローライは3台で、そのうち2台は 3.5F で、もう1台は復刻機 2.8FX である。1929年に登場したローライフレックスは、1956年までに100万台以上を売ったという。毎年平均3.5万台、休日を除いた毎日120台が世界中の人々の手に渡った計算になる。第二次大戦後も売れたのは、1950年代までプロ写真家が使ったからだという。欧米のプレスカメラマンがローライを構えてる古い写真を見たことがある。スピードグラフィックが新聞社で使われたのは、大判のため、トリミングしても使用に耐えたからである。同じような理由で二眼レフが使われたのだろう。ローライの難点はレンズ交換ができないことだった。戦後、まさに雨後の筍のように生まれた二眼レフだったが、ローライを除いてすべて凋落してしまった。フランケ・ハイデッケ社はさらにプロ写真家の要望に応えて、テレローライ、ワイドローライを世に送った。これで安泰と考えたのだろうか。スウェーデン製中判一眼レフのハッセルブラッド、そして日本の35ミリ一眼レフに脅威を感じなかっただろうか。どう考えても一眼レフのほうが原理的に優れているからだ。1966年、6x6センチの一眼レフ SL66 を出したが、時遅しという感じであったようだ。翌1967年には35ミリのコンパクトカメラ、ローライ35を世に送って話題となった。しかし1981年、旗艦機として栄光を誇った 2.8F の製造がストップ、ドイツ製のローライフレックスは消滅した。それでも私はローライフレックスが好きである。何故だろう。

5 件のコメント:

  1. レンズ交換が出来る中判二眼は、マミヤC3シリーズが最初で、最後のC330シリーズまで、マミヤ独走でしたが、ちょっと重いのと、レンズ交換に手間がかかるので、あまり人気がなかったようですね。私も最初はローライコードIIIで、Xenar 3.5でしたが、描写がすきではありませんでした。

    しかし、現代は結果がよければ道具はどうでもいい時代になりました。

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    1. 日本人は Planar 80mm F2.8 の信仰があったようですが、アーヴィング・ペンの写真集を見て Xenotar 75mm F3.5に乗り換えました。ここには書かなかったんですが、レンズ交換式のマミヤを一時使ったことがあります。C330 は大きく重いので、C220 だったと記憶しています。

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  2. ちなみに、私がボストンとニューヨーク間を移動するときも、グレーハウンドのバスは時々利用します。帰りの時間をぎりぎりまで遅くすると、電車よりもバスの方が都合がいいんです。直前に予約しても、電車より安いし。

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    1. 今のグレイハウンドバスの車体はカラフルになってるようですが、70年代半ばはアルミボディーでカッコ良かったですね。

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  3. Pennの弟子の一人と、Conde Nast社でVogueの写真ディレクターなどを歴任した人の話をうかがって、分析したところでは、彼はレンズは何でも5本くらい買って自分で試験して3本返品する、というタイプの人だったようです。

    しかしそれ以上に、彼の世代の人は、時代の先端を生きている人達が毎朝集っては写真談義をし、じゃ、それ撮ってみるか、となり、翌朝に現像あがったのを見て、気に入るまで撮りつづけるという、現代では贅沢すぎる環境だったようです。しかも、それにひつような人材がいつもその辺をたむろっているというか、待機しているというか、そういう金の余裕があったようです。ペンの場合は、スタジオも経費も人材も、会社としてぜんぶ面倒みてくれたので、やりたいことだけやっていれば全員がハッピーになれた世界で、創業期のソニーの話みたいです。ああいう、カルチャーとファッションの先端の人達からズバリのコメントをいつでも得られる環境で、いくらでも失敗が許される仕事というのは、現代のコマーシャルフォトの世界では、もう有り得ないのではないでしょうか。そういう意味では、彼がどういうレンズを使ったかとか、あまりに小さいのように重います。

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