2014年10月18日

写真家エドワード・マイブリッジの偉業

Tokoya and Hunto. Valley of the Yosemite (The Basket,) 3,568 feet high. No. 24 (1872)

疾走中の馬の連続写真(1878年)
写真家エドワード・マイブリッジ(1830–1904年)といえば「疾走中の馬の連続写真」(1878年)を思い浮かべる人が多いと思う。12台のカメラを使い、歴史上初めて撮影した馬のギャロップの連続分解写真で、これはリーランド・スタンフォード(実業家、政治家でスタンフォード大学の創設者)の依頼を受けて撮影したものだ。この写真によって4本の足がすべて宙に浮いていることが証明された。これに刺激されたトーマス・エディソンが、後に映写機キネトスコープを発明、映画が誕生することになったのも有名な話だ。写真史における偉業だが、もうひとつの偉業はカリフォルニア州ヨセミテ渓谷を撮影、風景写真の道を切り拓いたことである。最初の撮影プロジェクトは1867年春に始まった。リチャード・リーチ・マドックスが乾板を発明したのが1871年だから、このプロジェクトはまだコロジオン湿板写真の時代だった。湿板写真は撮影直前にガラス板に乳剤を塗布するので移動暗室が必要である。彼は考案した装置をギリシャ神話の神の名をとって「ヘーリオス」と密かに呼んだという。大判カメラやガラス板など重い機材を運び上げ、テントの中で現像と作業はかなり過酷だったと想像される。しかしマイブリッジのヨセミテ渓谷への最初の旅行は大成功で、驚異的な風景写真を捉えることができた。写真は六ヶ月後に地方紙に紹介され、そして「ヨセミテ:その驚異とその美」題したガイドブックとして結実したのである。今日、ヨセミテ渓谷の写真と言えば、アンセル・アダムスのそれを多くの人が想起するかもしれない。しかし19世紀の写真術黎明期にその先駆者がいたのである。

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