2011年6月30日

法金剛院の仏足石と十一面観音像

法金剛院(京都市右京区花園扇野町)

薬師寺の仏足石
右京区の法金剛院に出かけた。境内に足を踏み入れると紫陽花が目に飛び込んできたが、連日の炎暑のせいか瑞々しさがない。このシーズンは蓮が見頃なのだが、昼下がりのせいか視界に入らない。やはり早朝でないと駄目である。池の西岸に近い芝生に仏足石が置いてある。これが今日の目的だったが、すぐ横の桜の葉が斑(まだら)状の影を落としている。上空を見上げると灼熱の太陽は雲に隠れそうもないので、そのままシャッターを切った。仏殿には木造阿弥陀如来坐像や木造僧形文殊菩薩坐像、木造厨子入十一面観音坐像など、重要文化財の仏像群が安置されている。特に十一面観音像は、本体もさることながら、その厨子が美しい。八葉蓮華の天蓋、三方開きの扉には十二天、背板には三十三身応化図が描かれていて見事である。十一面観音像といえば、奈良佐保路、法華寺のそれを思い出す人が多いかもしれない。和辻哲郎が『古寺巡礼』で絶賛したせいか、日本全国に知れ渡っているようだ。彼は間近から厨子の中を覗き込んだようだが、今日では数メートル先に厨子が安置され、双眼鏡を使わないとよく見えない。しかしここではすぐ近くから、手に取るようにして美しい姿を拝観できる。法華寺のそれは余りにも有名だが、法金剛院のは有名とは決して言い難い。重文の仏像がそうなのだから、ましてや作者不詳、野ざらしのこの仏足石が無名のままであるのは、やはり無理からぬことかもしれない。よく知られているのは奈良の薬師寺にあるもので、天平勝宝5年(753)の銘があり、日本最古である。インドの初期仏教では、ブッダの足跡そのもので、その非凡さを強調するため千輻輪(せんぷくりん)などの図が刻まれる。後に仏像が彫られるようになり、次第に衰退したようだ。日本でも同じ道を辿ったが、近世になって突如復活、全国に広まった。従ってこれは江戸後期の作と想像される。

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