2011年7月1日

清楚で陰りがあるユリの美しさ


平野神社(京都市北区平野宮本町)

ユリ(百合)の花が女性の同性愛を意味することは、ごく最近まで知らなかったけど、植物としての語源はどうやら「揺り」というのが有力のようだ。風に吹かれて花がゆらゆらすることかららしい。そういえば「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」はその揺れる様を女性の美しさに重ね合わせたものだという。それはともかく、6月から7月にかけて咲くユリは、夏咲く花では最も美しいと思う。種類が多すぎて、その名前を的確に判断することは私には無理だが、やはり白いユリが好きである。とにかく清楚ですがすがしい。私が愛好するアメリカの伝承歌謡の中にはよく Lily White Hand という言葉が登場する。
The Banks of the Ohio (The Blue Sky Boys)

I taken her by her lily white hand
I let her down and I made her stand
There I plunged her in to drown
And watched her as she floated down

Only say that you'll be mine
And in our home we'll happy be
Down beside where the waters flow
Down on the banks of the Ohio
これは「オハイオの岸辺」というバラードの一部である。結婚を承諾してくれない女性の喉にナイフを突き付ける。彼女は「どうか殺さないで」と懇願する。しかしユリのような白い手を引っ張り、川に突きき落とす。東南部パラティア山系にはこのような Murder Song がいくつか伝承されているが、過酷な生活を強いられた人々の陰鬱たる風土を垣間見ることができる。ユリの美しさは、そのような風土と符丁が合うような気がしてならない。同じ夏の花でも、ヒマワリ(向日葵)に見られる陽気さはなく、清楚だけど、陰りがある美しさである。ユリは仏花として使われる。それゆえだろうか、ふと「死のイメージ」を連想してしまうのは、飛躍が過ぎるだろうか。

追記(7月2日)

連想ゲームのように「オハイオの岸辺」という歌を紹介してしまった。本文にあるように、直接ユリを歌ったものではない。ただ私の趣味からブルースカイボーイズという兄弟デュオを聴いて欲しかったからである。録音は1936年で、いわばカントリー音楽の黎明期に属する。後にジョニー・キャッシュやジョーン・バエズなど、多くのシンガーが歌っているが、伝承歌謡ゆえ、それぞれ微妙に歌詞が違う。ところでユリに直接関係すると思われるものに Lily of the Valley という讃美歌がある。ところが Lily of the Valley というのはユリでなく実はスズランのことである。スズランはユリ科の花だから「谷間の百合」と訳しても間違いではないのだが、やはり別の花というイメージは拭えない。讃美歌集には「我が魂の慕いまつる」という邦題がついていて「谷間の鈴蘭」ではないようだ。といった「勘違い」を集めて書くと面白いと思う。

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