2023年11月23日

古川豪「フルッチンのうた」が高額取引されているらしい

フルッチンのうた
AMOEBA 101

収録曲
A1 チンポの毛 (00:19)
A2 おかあちゃんゴメン (06:40)
A3 万年ボッキの社長さん (06:57)
A4 トカトントン (05:01)
A5 ワイセツ節 (03:46)
B1 A少年のバラード (23:21)

このLPは私が制作したアルバムで、リリースしたのはわずか100枚だった。古川豪に出会ったのは1971年、確か神戸商船大学の学園祭だったと記憶している。私はアメリカンルーツ音楽の愛好家だが、お馴染みのメロディに乗せて歌う日本語の歌が印象的で、関西フォークに首を突っ込むきかっけとなった。同年6月26日、神戸YWCA会館で一連の「セックス歌」を聞かせてくれた。アメリカのフォークロリストに憧憬していた私は、彼の歌を記録しようと思い始めた。9月17日、加川良、古川豪、中山ラビを招いて神戸県民会館で開催された「日本の放苦を聞く会を」主催した。最大の目的は古川豪の歌を録音することだった。録音からレコード制作までの手配、ジャケットの印刷など、すべて一人でやった。制作したレコードはわずか100枚、あっという間に売り切れた。

過剰なる自意識の放出=自主制作盤の凶器にして極致とも言えるアルバム遂に復刻! 関西フォークシーンの古川豪の幻にして超レアアイティムである自主制作によるファースト・アルバムがやっと陽の目をみる。1970 初頭の規制された「性」への全てが一挙に大放出!公には販売も厳しいどーしようもないエロ・アルバム、ライブ録音も手伝って即興での下ネタ満開。しかしこれは面白い。生産は僅か100枚のプレスだったためか、原盤は10数万円で取引されている。健全なるR指定商品。

2012年7月4日にCD復刻されたが、これはネット通販アマゾンの紹介文である。一方、音楽ライターの田口史人氏はCD盤のライナーノーツ「日本フォーク、ロックもののレコード・コレクターにとって垂涎の品ともなっている一枚」の中で次のように書いている。

古川豪は1950年3月26日に京都市北区の薬局の息子として生まれました。中学時代からうた作りを始め、人前で初めて歌ったのは1969年、京都フォークゲリラの活動の中でのこと。マウンテンミュージックなどの中にある性の表現に着目したという、過激な風刺でもあった猥歌、替え歌の数々はライヴの現場でバカうけしたり、鼻つまみにされたり、とにかく話題を呼び、そんな中で、たまたま彼のライヴを見たマウンテンミュージックのマニアでもあった朝日新聞社の大塚努が、こんな男が日本にいたのかと驚き、勢いで作ってしまったのがこのファースト・アルバム「フルッチンのうた」でした。とはいえ新聞社とは関係なく、大塚氏の自費で制作された本作は、予算の関係でプレスはたったの百枚。当然レコードが大きな話題になることもありませんでした。(途中略)今回復刻されたこの「フルッチンのうた」のオリジナルであるレコードの現物を見たことのある人はほとんどいないと思いますが、本作はそのとんでもない内容と希少性、後の活動歴などとあいまって、日本フォーク、ロックもののレコード・コレクターにとって垂涎の品ともなっている一枚です。
羅針盤で星占いはできない

この解説にある通り限定100枚だった。限定と言うとカッコイイけど、売れる自信ががなかったこと、調達資金が乏しかったというのが真相である。ただこの数だと流石にすぐ売り切れてしまったが。確かに文字通り超レアアイテムですが、現在ではもっと高額らしい。ところでURCレコードの名盤がソニーミュージックより復刻、6月21日より毎月連続リリースされている。URCレコードとは日本のインディ・レーベルの先駆けとして1969年に産声をあげ、70年代末に活動を終了したレコード・レーベル。高田渡、遠藤賢司、五つの赤い風船、加川良、はっぴいえんど、岡林信康…。その他多くの先鋭的な才能が集ったURCは日本のフォーク/ロックの祖と言える存在。古川豪の『羅針盤で星占いはできない』も11月22日に発売になった。1973年に発表された古川豪のセカンド・アルバム。マウンテンミュージックやアイリッシュ・トラッドをベースにした、古き良きアメリカン・フォークの風格を漂わせる名盤である。アルバム・ディレクターおよびバック・ミュージシャンとして、ザ・ディランIIの永井ようが参加している。私もフィドルの伴奏、そして惜しくも焼失した懐かしき京都の喫茶店ほんやら洞前で撮影した写真がジャケットに使われている。

TurnTable  古川豪「羅針盤で星占いはできない」MHCL-30925 | URCレコード復刻シリーズスペシャルサイト

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