Robert Mapplethorpe |
ロバート・メイプルソープは1946年11月4日、ニューヨーク州クイーンズのフローラルパークで生まれた。男性ヌードや花をモノクロで撮影した大きなスケールの写真で知られている。男性に関する彼の作品にはホモエロティシズムのエッセンスが含まれており、このような芸術作品への公的助成金をめぐって論争を引き起こした。この2つのテーマは、彼自身が同性愛者であったことから、彼にとっては身近なものであった。メイプルソープの最初の写真は、ポラロイドカメラで撮影したものだった。1970年代には中判のハッセルブラッドを手に入れ、社交界、作曲家、芸術家などの知人や友人を撮影した。1980年代には、女性や男性のヌード、セレブリティやアーティストのフォーマルなポートレート、花の写真に力を入れるようになる。ニューヨークのマンハッタン、ボンドストリート24番地にスタジオを開設。このスタジオは、親友で美術キュレーター、蒐集家のサム・ワグスタッフ(1921–1987)が50万ドルを提供し、23丁目に居住と撮影のためのロフトを購入、暗室を設置した。メイプルソープは主にスタジオで制作を行った。
そしてピーター・ガブリエル(1950-)パティ・スミス(1946-)ジョーン・アマトレーディング(1950-)デボラ・ハリー(1945-)ルイーズ・ブルジョワ(1911–2010)リチャード・ギア(1949-)アンディ・ウォーホル(1928–1987)といった著名人を撮影した。花の中では、カラ、ユリ、ランの写真をよく撮った。他の作品には、BDSMの行為、古典的なヌード、ホモエロティックなものが含まれている。彼のエロティックで露骨なポートフォリオは、1990年代、全米芸術基金が資金援助した巡回展 "The Perfect Moment" に組み込まれ、全米の注目を集めた。宗教団体や保守派は、彼の公開展示に反対し、声を大にして反対を表明し、彼の写真に猥褻という名のレッテルを貼ったのである。例えば勃起したペニスが写ったヌード作品を残しているが、一般には公表が憚れるかもしれない。しかし人間生活の多様性は否定できないし、同性愛者ゆえの表現の拡大だったのだろうと解釈したい。かくしてロバート・メイプルソープは、一躍有名になったのである。
黒人男性を撮影したヌード写真には、搾取的であるという批判がある。1998年には写真集が押収され、セントラル・イングランド大学が関与したことで、別の論争が巻き起こった。ある大学生がメイプルソープに関する課題を書いていて、文章の参考にするため、彼の画像を挿絵として加えたいと考えたからだった。しかし彼女が論文を製本するために店に持って行ったところ、店主が写真の異常性をウエスト・ミッドランド警察に訴えた。警察は本を破棄しなければ深刻な事態になると大学に通告した。だが上院はピーター・ナイト副学長を支持し、警察の行為は学問の自由を侵害するものであるとの見解を示したのである。結局、大学側には何のアクションもなく、この問題は幕を閉じた。ゲイの作家ポール・ルセルは1992年、メイプルソープに小説 "Boys to Life" を献呈している。また、パティ・スミスも1996年に "The Coral Sea" という本をこの写真家に捧げている。
その3年後、アリーナ・エディションズは、メイプルソープのセックス写真を集めた単行本 "Pictures" を出版した。この本は、2000年に南オーストラリア州の刑事によって、猥褻で下品なものが含まれているという理由で押収された。2006年にはアンディ・ウォーホルを撮影したプリントがオークションに出品され、約64万3千米ドルで落札され、メイプルソープ作品の史上最高額で落札された写真となった。2007年にメイプルソープのポラロイド写真1,500枚のうち183枚を集めた写真集 "Mapplethorpe: Polaroids" がPrestel社から出版された。パティ・スミスはロバート・メイプルソープの長年のルームメイトであり、しばしば写真の被写体になっていた。スミスは2010年に出版した回顧録 "Just Kids" の中で、二人の関係について触れている。1989年3月9日、HIV/AIDS の合併症によりボストンの病院で42歳の若さで死去した。遺体は荼毘に付され、遺灰はニューヨークのセント・ジョンズ墓地にある母親の墓所に埋葬され、墓碑に「マクシー」と刻まれた。
Robert Mapplethorpe (1946–1989) | Biography, Selected Works, Exhibitions and News
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