早川書房 (1998年) |
カラスの鳴き声で目が醒めることがある。時に不気味と思うのは、黒い肢体ではなく、その声かもしれない。カササギはなかなか綺麗な鳥だが、しゃがれ声を聞くとがっかりする。富士山で見たホシガラスは、高い樹上にいたためか声が聞こえず、その姿態にほれぼれしたものである。コクマルガラスに興味を持ったのは、遥か昔、コンラート・ローレンツ(1903-1989)の『ソロモンの指環』を読んでからだった。ローレンツとコクマルガラスの付き合いは、ドイツ中部のアルテンベルクのペットショップで、ヒナを買ったことから始まった。その鳴き声から「チョック」と名付けられたヒナは、成長して飛べるようになると、飼い主を自分の親と思うようになり、愛着を示すようになった。もし話すことができるなら、自分が人間であるかのように思い込んだようだ。チョックが成年に達したとき、ローレンツ家のメイドに恋をする。彼女はほどなく結婚して隣村に移住するのだが、チョックは彼女を見つけ出し、新居に間借りする。このくだりから、私はウィリアム・H・ハドスン(1841-1922)の『鳥たちをめぐる冒険』を思い出した。引用してみよう。
鳥がいつまでもそこにいたがったのは、手あつい介抱のためではなく、ひとからならぬ恋のためらしかった。当然、彼の相手は彼を助け餌をやった少年だろうと思われるところだが、実はなんと隣家に住む小さな男の子だったのだ! 誤解の余地はなかった。そうしたければいつでも飛び去れるはずのこの鳥は、自分の選んだ、小さな友だちの家の近辺にようになった。いつでも少年のそばにいたがり、学校に行くときもついていって教室に入り、一つ所にとまって授業が終わるのを待った。だが彼の忍耐心にとって、学校の授業の教程は長すぎた。コクマルガラスはしばしば大声で不服を訴え、子供たちはクスクス笑った。結局彼は外へ出され、ぴしゃりとドアをしめられた。すると今度は屋根の上にとまって放課後を待ち、時間になるとおりてきて少年の肩にのり、一緒に家に帰った。(黒田晶子訳)
講談社学術文庫(1992年) |
イングランド南部ウィルトシャー典礼カウンティの小さな村でのエピソードだ。ハドスンは米国人の両親の間にアルゼンチンで生まれ、そこで少年時代をすごした。 その後英国に渡り、極貧生活に耐えながら、アルゼンチンや英国の鳥類などに関する優れた著作を残した。私が最も敬愛する作家のひとりである。博物学と鳥類学に造詣が深く、日本では『ラ・プラタの博物学者』『はるかな国とおい昔』『美わしきかな草原』『鳥と人間 』などの著作で知られている。幼少時、コウカンチョウを手にするが、それは籠に入れて飼った最初の鳥であり、籠に入れて飼った最後の鳥でもあった。ガラスケースの中の鳥、すなわち剥製による研究を戒めた、鳥類保護の先駆者だった。1894年、英国王立鳥類保護協会(RSPB)の評議会委員長に選ばれている。コンラート・ローレンツは籠の中のヒナを購入したが、ひとり立ちしたら、放してやろうと思っていたという。後に十数羽のコクマルガラスを飼育して観察したが、勝手に出入りできるフライング・ケージの中でであったことは特筆すべきだろう。動物の行動を直接研究する分野に貢献したが、コクマルガラスやハイイロガンの観察研究が特に有名である。むやみに動物を飼育し、解剖したり、傷つけたりするような実験は好まなかった点、ハドソンの研究実践姿勢と相通ずるものがある。
RSPB (Royal Society for the Protection of Birds) A charitable organisation registered in England and Wales and in Scotland
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