古代から現代へ時空を走るアスリート
英紙タイムズは先月21日、東京オリンピックについて「日本政府は非公式ながら中止せざるを得ないと結論づけた」と報じた。電子版の記事は有料会員向けだったので全文は読めなかったが、冒頭に「連合与党の幹部によると、すでに1年延期された大会は絶望的だとの意見が一致している」と書いている。日本政府は翌22日、この報道内容を慌てて否定した。NHKの世論調査では「開催すべき」は16%で「中止すべき」と「さらに延期すべき」を合わせるとおよそ80%という結果が出ている。新型コロナウィルス感染症パンデミックの終息が見えない今「オリンピックどころじゃない」というのが偽らざる国民感情だろう。もし強行開催すれれば、それこそ狂気の沙汰である。退福島原発が制御下にあると安倍晋三前首相が招致演説をしたり、竹田恒和 JOC(日本オリンピック委員会)前会長が IOC(国際オリンピック委員会)の委員だったラミン・ディアク IAAF(国際陸上競技連盟)前会長の息子に2,800万シンガポールドル(約2億2000万円)を支払ったとされる疑惑はうやむやのままだ。しかもスポンサーである米国のテレビ局に忖度して、開催時期を酷暑の真夏にするなど、オリンピックは汚濁の仮定を辿ってきた。私が反対するのはこの東京大会だけではない。ウィルスならぬ金に汚染されたオリンピックそのものの存在を再考する時期に来ていると思うのである。ひとつのアイデアとして開催都市をギリシャのアテネに定着、古代オリンピックを復活することである。競技施設を再利用するのでコストを抑制できる。古代オリンピックではレスリングやボクシングが種目になっていたが、これを省くことも一考である。そしてテニスのウィンブルドン選手権のように、陸上競技の国際大会に成長させれば良い。
Successes and Transgressors: Athletes in the Ancient Greek Imagination | Iris Project
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