ネットを徘徊していたら「東京 2021 はビッグスポーツのサーカスを閉じ、オリンピックを返上するための黄金のチャンス」という記事が目に止まった。英ガーディアン紙電子版、2020年3月27日付けの記事で、筆者は同紙スポーツ担当のバーニー・ローネ記者である。一口で要約するのは困難だが、東京オリンピックは費用が膨れ上がっている。新型コロナウィルス感染症パンデミックの状況下、大会を返上すべきだったのではないかと説いている。単なるスポーツ記者のスポーツ記事でないことは次の下りが象徴している。
マクロな災害の時には、古い確信が流されてしまうのではないかと想像したくなるが、ここにはある種の自由もある。ロンドン電撃戦の時、ジョージ・オーウェルは、軍がすべての予備の鉄を管理していたために、首都の私有地の広場から手すりが落ちてきたことについて書いている。突然、すべての広場の人やハーバート、通行人が、以前はシャッターが閉まっていたこれらのスペースで遊ぶことができるようになった。オーウェルは、広場がこのままであることを想像し、新しい平等主義がみんなの生活をどのように変えていくのかを想像していた。
東京オリンピックは当初、予算7千億円で「世界一コンパクトな大会」を目指していたにもかかわらず、1兆3,500億円の費用が計上された。東京都と組織委が各約6,000億円、国が1,500億円を負担することになってしまった。そこに、数千億円とも言われる1年延期に伴う追加費用が上乗せされることになった。国際オリンピック委員会(IOC)は最大856億円を負担すると表明し、残りは東京都と国内スポンサー企業がかぶる。だが、コロナ対策で、約9,000億円あった都の貯金「財政調整基金」は約9割減ってしまったのである。
2月12日の組織委員会の合同懇談会に出席した森喜朗は「多少、意図的な報道があったんだろうと思いますけれども」とマスコミに対する牽制を行い、さらに「老害」という批判に対して「老人もやっぱりちゃんと日本の国のために、世界のために頑張ってきているわけですから、老人が悪いかのような表現をされることも、きわめて不愉快な話であります」と主張したという。マスメディアは大会組織委員会の森喜朗会長の後任は誰か、という話題に翻弄されている。舌禍による委員長退任は確かに絶好の報道ネタかもしれない。しかし開催ありきという印象は否めない。いま議論すべきは、新型コロナウィルス感染症パンデミックの下、リスクを予想されるにも関わらず開催すべきかである。東京オリンピック強行は狂気の沙汰である。
第32回オリンピック競技大会開催都市契約の表示とダウンロード(PDFファイル 712KB)
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