2020年2月14日

浄土を夢見た庶民の願いが石仏に託された

清水寺(京都市東山区清水)

仁王門をくぐり、随求堂の前に出る。石の道標があり、右が舞台がある本堂、左は成就院と矢印が指し示している。観光客の流れは当然のように右に折れて行くが、左に逸れる。すると右手の斜面に突然石像の群れが現れた。大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来、千手観音、地蔵菩薩、そして二尊仏とさまざまである。風雪で目鼻の輪郭が乏しくなったものが多く、かなり古いものも含まれているようだ。京都は地蔵信仰が厚い土地である。各町内の大日堂や地蔵堂などに石仏を祀って地蔵盆会を営んできた。ところが明治時代に吹き荒れた廃仏毀釈の嵐によって、その多くが紙屋川や鴨川に捨てられたという。それでは余りにも可哀想というわけで、この清水寺などにも運び込まれたようだ。庶民の信仰の深さが石仏たちを救ったのである。石仏は一般に「お地蔵さん」と呼びがちだが、前述の通り地蔵菩薩だけではなく、さまざまな像が彫られている。これまた当ブログで触れた記憶があるのだが、中世に於いて庶民は墓を造ることができなかった。だからこのような小石仏を彫って死者を弔ったのである。その典型が風葬の地、化野の念仏寺の賽の河原や、蓮台野の上品蓮台寺の境内に集積されている夥しい数の石仏だ。かろうじて残った石仏の凹凸の陰影に、来世に西方浄土を夢見た往時の庶民の願いが、時空を超えて伝わってくる。見上げると、斜面上の木々の間から細く美しい光線が漏れていた。

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