2020年2月20日

サン=テグジュペリ『夜間飛行』を読み返す


新潮文庫(1956年)
地球儀を眺めるのが好きだ。日本人は太平洋を真ん中にした世界地図を見慣れている。だから大西洋に対する感覚にズレが生ずることがある。フランスのパリ、セネガルのダカール、ブラジルのリオデジャネイロの三都市が、地球儀だとほぼ一直線で結ばれてることに気付くはずである。1930年、フランスの航空郵便会社アエロポスタルは南大西洋を横断する、最初の無着陸飛行に成功した。郵便飛行サービスは極めて危険な仕事だったが、作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリもアエロポスタル社の飛行士であった。サン=テグジュペリの『星の王子さま』について触れたばかりだが、郵便飛行をテーマにした堀口大学訳『夜間飛行』(新潮文庫)を読み返してみた。サン=テグジュペリは、1900年、南フランスのリヨンで生まれた。生家は名門貴族の家柄だったが、4歳のときに父親を亡くし、母方の親類の所有する城館で暮らしたという。21歳の年、兵役に志願して飛行機の操縦を覚えた1926年、アエロポスタル社に入社し、サハラ砂漠の中継基地や、ブエノスアイレスなどに着任した。だからこの小説は、彼の飛行士としての経験を元に書かれたものである。従って南米への郵便飛行開拓期の歴史的史料としての価値も高いという。主人公ファビアンの操縦する飛行機がパタゴニアからブエノスアイレスへと帰還するシーンから物語は始まる。待ち受ける支配人リヴィエールは冷厳な性格の持ち主で、部下に厳しく、時間の遅れや整備不良に対して厳格であった。表面は冷たいが、それは危険な任務を遂行する飛行士を陰から守る、そういった上司であった。案の定ファビアンの操縦するパタゴニア機が暴風雨に遭遇し、何とか脱出しよう雲の上空まで上昇する。燃料が尽き、やがて通信が途絶える。しかしファビアンを失ったリヴィエールは毅然とした態度を保ち続ける。

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(右)1935年
小説『夜間飛行』は1931年に発表されベストセラーになった。1933年にハリウッドが映画化、1934年に公開された。このビデオはそのサマリーである。監督はクラレンス・ブラウン、出演はジョン・バリモア、ヘレン・ヘイズ、クラーク・ゲイブルなどだった。サン=テグジュペリは第二次世界大戦中、志願して北アフリカ戦線の実戦勤務についた。着陸失敗により除隊処分を受けたが、紆余曲折を経て、古巣のオルコントに駐屯する偵察隊に復帰する。対ナチス戦での戦闘体験から書かれ、1942年に出版された小説『戦う操縦士』には「望遠レンズ附きの写真機が、ここ(偵察機)では顕微鏡の役に立つ。人間ではなくて、人間の存在を示す道路や、運河や、列車や、艀船を捕捉するにさえ顕微鏡が必要なのだ。人間に至ってはこの機械の目にさえとまらない。人間は顕微鏡のプレパラトの上に散らばっているのだ。僕は冷静な科学者だ、人間どもの戦争なぞは、僕にとっては、実験室に於ける研究に過ぎない」という印象深い記述がある。1944年7月31日、ナチス部隊のを写真偵察のためボルゴ飛行場から出撃したが、消息を絶った。本書には作家のアンドレ・ジッドが序文を寄せている。「僕は単に勇気があるというだけの男なら、絶対尊敬しないつもりです」と書きながら、哲学者キントンの書から次のような格言を引用している。「恋愛と同じく、人は自分が勇敢だという事実を隠したがる」または、もっと適切に「勇敢な人間は、金持ちがその慈善を隠すと同じく、その行為を隠す。彼らはその行為に変装させるか、でなければそれを詫びたい気分になる」云々。

amazon  サン=テグジュペリ (著) 堀口大学 (訳) 『夜間飛行』(1956年2月)『戦う操縦士』(1956年11月)

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