Madge Addington and Sara Dougherty, ca. 1919.
この写真はノースカロライナ大学チャペルヒル校附属図書館の "Southern Folklife Collection" が所蔵する史料だが、ブログ "Field Trip South" に「サラ・カーター(バンジョー)と従妹のメイベル(オートハープ)1919年ごろ」という説明がついている。しかしこれは間違いである。メイベル・アディントン(1909-1978)は1919年の時点では、9歳ないし10歳だったからである。別の資料、米国の音楽におけるカーター・ファミリーのレガシーを記述した、マーク・ゾニッツァー著 "Will You Miss Me When I'm Gone?" によると、サラ・ダウアティー(1898-1979)は10代のころ、近所に住んでいた従妹のマッジ・アディントンと伝承音楽を演奏するグループを作っていた。マッジの生年月日が不明だが、28歳の若さで他界したという。ここまで書くとお分かりだろうか、メイベルはマッジの妹だったのである。サラはアルヴィン・プリーザント・デレーニー・カーター(A.P.カーター:1891-1960)と1915年に、そしてメイベルは A.P. の弟、エズラ・カーターと1926年に結婚した。写真を見るとサラがバンジョーを手にしているが、その録音は残っていない。マッジが膝に乗せているオートハープは、メイベルも使っていたオスカー・シュミット社の "Appalachian" かもしれない。
1927年、RCAの辣腕ディレクター、ラルフ・ピア(1892–1960)がテネシー州ブリストルでオーディションを行った。後に「ブリストル・セッション」と呼ばれるようになったヒストリカル・レコーディングで、2週間にわたって行われた。これに応募したのが、A.P.カーター夫妻と、ふたりに説得されて参加した妊娠中のメイベルだった。これをきっかけに一躍有名になった彼らは、ラジオとレコードとう新しいメディアを通じて文字通り一世風靡することになる。そして17年間に "Worried Man Blues" "Will the Circle Be Unbroken" などの名曲300余りを残すことになった。彼らの特長はメイベルとサラのコーラスにAPのバスないしバリトン・ハーモニーが加わった独特のヴォーカルにあるが、メイベルのギター奏法を見逃すわけにはゆかないだろう。楽器はギブソン L-5 だったが、低音絃でメロディを奏でるピッキングはその後のブルーグラスギター奏法の基礎となった。一家は1938年まで故郷ヴァージニア州クリンチマウンテンに留まったが、3年間テキサス州に住んだあとノース・カロライナ州チャーロットに居を構えている。グループによる最後のラジオ出演は1942年、以降メイベルが3人の娘と演奏活動を継続してカントリー音楽の女王と呼ばれるようになったのである。
オリジナル・カーター・ファミリー |
The Carter Family: Will the Circle Be Unbroken Image Gallery (PBS American Experience)
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