2020年1月25日

馬やら人やらわからない

新馬鹿の唄(啞蟬坊・赤春詞・啞蟬坊附曲)

添田知道(1902-1980)著『演歌の明治大正史』(岩波新書)が2018年11月20日に復刻されたのを最近知った。これまで所持していたのは、1963年10月21日発行の初版で、150円と書いてある。1970年代初頭に入手したと記憶しているが、傷みが酷く、表紙が黄ばんでいる。添田啞蟬坊(1872-1944)の歌のヴァイオリン弾き語りを試みたことがあり、歌詞を書き写すため、繰り返しなんべんもページをめくったものである。上掲写真の「新馬鹿の唄」を抜き書きしてみよう。
添田啞蟬坊(1903年ごろ)
九段坂から見下ろせば 人が車を曳いてゐる
馬も車を曳いてゐる 馬やら人やらわからない

議員議会で欠伸する 軍人金持と握手する
インフルエンザはマスクする 臭いものには蓋をする

金の腕輪に夜会服 帝国ホテルの舞踏会
昨日三越今日歌舞伎 わたしゃ風船風まかせ

雨がふるふる日は暮れる 工場帰りの女工さん
泥にはまって困ってる 二階ぢゃ芸者が笑ってる

労働問題種にして 本屋学者は繁昌する
活字拾ひの職工は 青くなって痩せている

かせぐに追ひつく貧乏は ないと思へよ労働者
廻る機械にひけとるな おれはその間に一眠り

政治屋地主をかつぎあげ 地主議員をかつぎあげ
せがれ親父をかつぎあげ 小作貧乏で鍬かつぐ
演歌というと艶歌ないし歌謡曲を連想するが、本来は「演説の歌」という意味である。集会条例で街頭演説が禁止されても、歌なら構わないだろうという発想だった。これは讃美歌の旋律を借り、街頭で労働組合運動を展開、フォークソングの礎を築いたジョー・ヒル(1879–1915)と酷似している。演歌は民権運動の思想を普及する意図で現れたが、明治から大正にかけて活躍した演歌師としては、添田啞蟬坊が傑出している。1972年に東京に転居した。確かその年の暮れだったと思うが、浅草で「啞蟬坊生誕百年祭」があり、図々しくもヴァイオリンを手に押しかけ、遊郭の女性を描いた啞蟬坊の「思ひ草」を歌ったのである。会場は奇しくも東京浅草組合の花街の検番で、芸妓さんが「むらさき節」を歌ってくれた。ここで啞蟬坊の子息で『演歌の明治大正史』の著者、作家の添田知道さんと知り合った。吉原遊郭跡、台東区日本堤の蹴とばし屋「中江」(馬肉料理店)に連れていただいたのも懐かしく思い出される。余談ながら知道さんによると、啞蟬坊はヴァイオリンは上手だったけど、街頭その他では無伴奏で歌ったそうである。

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