2018年10月30日

鮪の刺身を食いたくなったと人間みたいなことを女房が言った


久しぶりに高田渡の LP アルバム『ごあいさつ』(キングレコード 1971年)に針を落とした。渡さんは優れたシンガー&ソングライターだったけど、歌や詩の発掘者でもあった。明治大正時代に活躍した演歌師、添田唖蝉坊の歌は彼によって知られるようになった、といっても過言ではないだろう。有馬敲や吉野弘などもそうだけど、なんといっても山之口貘を広く一般に知らしめた功績は大きい。
原書房 (1964年)
鮪の刺身を食いたくなったと
人間みたいなことを女房が言った
言われてみるとついぼくも人間めいて
鮪の刺身を夢みかけるのだが
死んでもよければ勝手に食えと
ぼくは腹だちまぎれに言ったのだ
女房はぷいと横をむいてしまったのだが
亭主も女房も互に鮪なのであって
地球の上はみんな鮪なのだ
鮪は原爆を憎み
水爆にはまた脅やかされて
腹立ちまぎれに現代を生きているのだ
ある日ぼくは食膳をのぞいて
ビキニの灰をかぶっていると言った
女房は箸を逆さに持ちかえると
焦げた鰯のその頭をこづいて
火鉢の灰だとつぶやいたのだ
64年前の1954年3月1日、ビキニ環礁で焼津市のマグロはえ縄漁船第五福龍丸が被ばくした。第五福龍丸はアメリカ軍の水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物を浴び、無線長だった久保山愛吉さんがこの半年後の9月23日に死亡した。当時、私はまだ小学生だったが、雨になると「死の灰が降ってくる」といわれ、必死になって傘を握って通学したことを憶えている。第五福龍丸は現在、江東区の夢の島公園にある展示館に保存されている。傷みは目立つものの、当時のままの姿も残っている。木造船の寿命は15~20年、敗戦直後から現存している木造船は、おそらく福龍丸だけだそうである。

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