2018年10月17日

煙草をやめたい諸兄諸嬢のために

煙草をやめて綺麗な空気を吸おう

禁煙推進事業に取り組んでいる人と音信が復活した。80年代中ごろにお付き合いさせていただいたが、喫煙に関して私は嫌われていたようなので、思わず「だいぶ前に煙草をやめましたよ」と近況をお伝えした。ところで旧聞めいてきたが、大阪府の松井一郎知事が府議会の休憩時間中に公用車で外出し、車内で喫煙していたと今月11日の府議会総務委員会で取り上げられた。その数日前、大阪維新の会と自民、公明の3会派が今月中に「子どもを受動喫煙から守る条例案」を共同提案して、可決させる方針を固めている。東京都は子どもがいる部屋や車の中で煙草を吸わないよう求める条例を、4月1日から施行している。ただ私的な空間を規制対象にしたもので、罰則なしの条例である。さらに7月27日、罰則付き受動喫煙防止条例案都議会本会議で可決、成立した。従業員を雇う飲食店は面積にかかわらず原則屋内禁煙とすることが柱だという。従業員を雇っていない飲食店は禁煙・喫煙を選べる。都内の飲食店の84%が規制対象で、東京五輪・パラリンピック前の2020年4月に全面施行されるそうだ。喫煙者への包囲網が狭まってきた感じである。昨年の2月、麻生太郎財務相が衆院財務金融委員会で「肺がんは間違いなく増えた。煙草ってそんな関係あんのって色んな人に聞くんです」と述べて物議を醸した。喫煙と肺がんの因果関係に疑問を示したが、一種のすり替え論に過ぎない。かつてヘビースモーカーだった私は、吸う人の気持ちがよく分かる。しかし煙草はやはり周囲に迷惑をかけるし、健康に良いはずがない。だからやめられるならやめるに越したことはないと思う。

おやじ徹誠一代記
私が断煙したいきさつは、約20年前に遡る。居酒屋で大量の血を吐いて救急車で運ばれて入院。出血性胃潰瘍で内視鏡手術をしたのだが、3日間集中治療室に入った。3日吸わずに辛抱できたのだからやめられると決心できた。まさに災い転じてだった。そして今は煙草を吸いたいと感ずることはない。実はその約5年ほど前、私は1年間断煙したという経験がある。苦労してやめたのに何故復活してしまったのか。2007年に他界した植木等さんが『夢を食いつづけた男―おやじ徹誠一代記』(朝日新聞社)を執筆することになり、伊勢市への取材旅行にカメラマンとして同行した。植木さんに勧められ、初めてあのタレが真っ黒な「伊勢うどん」を食べたところまでは私の精神状態は快調だった。ところが次第にそれが危ういものに変化していったのである。父親の徹誠さんは真宗大谷派の僧侶で、部落解放運動に取り組んだ「水平社」の活動家だった。伊勢市の常念寺住職だったころに治安維持法違反で4年近く投獄されたという。その父親が住職をしていた寺院を訪れた植木さんは、近所の人々と思い出話をしているつちに、感極まり突然泣き出したのだった。きっと子どもだった植木さん自身も辛い時代だったに違いない。連日暗い話が続き、次第に私も気が滅入り、ついに鬱状態に陥ってしまった。そしてふと見かけた煙草店で無意識に一箱購入してしまったのである。

元の木阿弥である。いや、それ以上かもしれない。というのは喫煙量が断煙前より増加、1日に4箱も吸うようになってしまったのである。お酒を飲むとさらに増加、5箱に至る日もあった。まさにニコチン漬けである。では煙草をやめるにはどうしたら良いだろうか? 私の場合、断煙1回目は、口寂しさを紛らわすために、乾物屋で購入した乾燥昆布を切り刻んだものを齧ったりしたものだった。これは本田勝一氏が、駅の売店などで売っているおやつ「都こんぶ」がいいとエッセーに書いてあったのを思い出し、倣ってみたものだった。ニコチンガムが禁煙補助剤として有効だと聞いていたが、私は昆布で何とか凌ぐことができた。ニコチンガム以外にも今日では様々な療法があるらしい。2回目の体験を振り返り、私は私なりに煙草を遠ざける方法を思いついた。こうである。(1)学生なら夏休みなど、社会人ならなるべく長い休みをとれる期間を選び(2)学業や仕事を忘れて外出は散歩程度に抑え(3)静かに1週間程度暮らす。こうすれば昆布やニコチンガム、あるいは他の療法のお世話にならずとも、断煙できるのではないかと私は考える。要するに、学業や仕事の圧力によるストレスが、煙草に手を伸ばすことになると考えるからだ。気をつけなければならないことは、やめると食事が進み、肥満に陥る可能性があることだ。メタボリックシンドロームという伏兵に用心しなければならない。

PDF  東京都受動喫煙防止条例の表示とダウンロード(PDFファイル 389KB)

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