2018年10月6日

慰安婦像問題をめぐる吉村大阪市長の愚挙


米サンフランシスコ・クロニクル紙などの報道によると、サンフランシスコのロンドン・ブリード市長は今月3日、旧日本軍の慰安婦問題を象徴する少女像の寄贈受け入れを巡り、大阪市の吉村洋文市長から姉妹都市提携解消を通知する書簡を受け取ったと明らかにした。大阪市は寄贈受け入れに関し見解をただす書簡を送り、9月末までの回答を要求。返答がなかったとして関係解消を伝える書簡を送付したと発表していた。
ロンドン・ブリード市長
従軍慰安婦被害者は尊重される価値がある。慰安婦記念碑は、私たちが決して忘れてはならない教訓と事実を呼び覚ます。ひとりの市長が60年以上続いてきたふたつの都市市民の関係を一方的に終えることは不可能だ。私たちが見るには、サンフランシスコと大阪の姉妹都市関係は両都市市民間のきずなを通じて今も続いている。サンフランシスコはふたつの偉大な都市をつなぐきずなを今後も強化することを願う。
ブリード市長が4日に発表した声明である。素晴らしい。これを読むと、器の違いを痛感する。吉村大阪市長の主張は子どもじみていて、ブリード市長のそれは、懐が深い大人の見地からかわしていると私は思う。事の発端は2017年に戻る。少女像と追悼碑の除幕式が9月22日、サンフランシスコのセント・メリーズ・スクエアで行われた。この少女像と追悼碑の寄贈を受け入れる決議案をサンフランシスコ市議会が可決したが、姉妹都市である大阪市の吉村市長が反発、当時のエドウィン・M・リー市長宛てに抗議の書簡を送った。議会に対し市長が拒否権を行使しないと姉妹都市提携を破棄するという内容だったようだ。これによって吉村大阪市長は海外メディアから歴史修正主義者という烙印を押され、60年に渡る友好の歴史が閉ざされる、という結果だけが残ることになったのである。姉妹都市間の友好関係は市長ではなく、市民同士が築いてきたものであることを忘れてはならない。

吉村市長は果たして大阪市民の承諾を得て事を進めてきたのだろうか。伏線はあった。更に時間を遡った2013年、当時の大阪市長だった橋下徹氏が旧日本軍の慰安婦について「必要なのは誰だってわかる」などと発言、さらに沖縄県に駐留する在日米軍の司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」と進言したと打ち明けたのである。この暴言は国内から世界に飛び火して批判された。そして予定されていた表敬訪問をサンフランシスコ市から断られるという失態を演じてしまったのである。維新の会の吉村市長はいわば橋下氏の「子分」的存在で市長になれた。その私怨を忖度、今回の愚挙を行ったと私は推測している。追悼碑には「数十万の女性・少女が慰安婦として日本軍の性奴隷にされた」と書いてあるようだ。この点が気になるなら、性急な拒絶ではなく話し合いをすべきで、姉妹都市提携解消を持ち出したのは脅しであったといえる。戦争を体験した国には犠牲者の慰霊碑があって不思議ではない。過剰な反応は、逆にそれを増やす結果になるだろう。このまま姉妹都市提携が解消されても、慰安婦記念碑が撤去されるわけでもない。培った絆が失われるだけで、得るものはない。

WWW サンフランシスコと大阪の姉妹都市提携に関するロンドン・ブレード市長の声明(原文)

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