2018年9月30日

貴乃花親方の「相撲道」に潜む危険思想

歌川国明「大相撲取組之図」1885年(明治18)立命館大学蔵

大相撲が揺れている。元横綱の貴乃花親方が今月25日、東京都内で記者会見を開き、日本相撲協会に引退届を提出したことを明らかにした。しかし相撲協会は退職届ではないとして受理しなかった。貴乃花親方が廃業するのは時間の問題だろう。ところで『週刊朝日』2017年12月22日号の「貴乃花親方の逆襲宣言」では、支援者に送ったメールが紹介されているが、そこでは相撲協会を「国体を担う団体」と位置付け「日本を取り戻すことのみ」が「私の大義であり大道」だと述べている。同親方は「相撲道」という言葉を頻繁に発しているようだ。柔道、弓道、剣道などなどとならび、相撲は日本の武道のカテゴリーに属すると強調したいのだろう。日本相撲協会に歯向かったものの、あえなく敗れつつある親方に対し、世間の多くが判官びいきなのか、同情を寄せているようだ。貴乃花親方の言動は新しい相撲への改革と捉えがちだが、どうやらかつての相撲を復活させようとする、いわばルネサンス運動であることを見落としていないだろうか。私は今の柔道はすでに武道ではないと感じている。貴乃花親方は相撲が柔道のようになって欲しくないと考えているのかもしれない。今年の1月、当ブログに「大相撲が抱える排外主義の深い闇」という一文を寄せた。国技あるいは神事という言葉で、モンゴル出身の横綱白鵬が、やり玉にあげられる背景を追ったものである。日本相撲協会のサイトは「相撲はその年の農作物の収穫を占う祭りの儀式として、毎年行われてきた」とその起源を説明している。その一方「人間の闘争本能の発露である力くらべや取っ組み合いから発生した伝統あるスポーツである」とも。宗教儀式、つまり神事であり、スポーツだという。私はこの定義に無理があると思っている。神道と縁がない外国人の横綱が、明治神宮で奉納土俵入りを披露している。その一方で日本放送協会はスポーツとして毎場所中継している。貴乃花親方は相撲は神事と捉えているのだろうか。私が懸念するのは「日本国体を担う相撲道の精神」という発言である。戦前、相撲は戦時体制に向かう中、国威発揚に利用された。相撲が国家主義の道具になる危険を孕んでいる。ただ日本相撲協会の貴乃花親方批判は、その危険思想に対してでない。

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貴乃花親方が支援者に送った決意表明「角界を取りもどす」と逆襲宣言(週刊朝日2017年12月22日号)

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