2014年7月3日

首がすげ替えられた阿弥陀如来坐像

誓願寺本堂内陣(京都市中京区新京極通三条下る)

赤く縁どりされた山門の左に「迷子みちしるべ」の石柱が立っている。右側面に「教しゆる方」、左側面に「さがす方」と彫ってあり、昔はここに迷子探しの張り紙をしたようだ。階段を上がり本堂に入ると、大きな阿弥陀坐像が目に飛び込んできた。寺伝によると、天智天皇が本尊の阿弥陀如来の完成とともに仏堂が建立され、七堂伽藍が完成して誓願寺と名づけられという。しかしその像は火災で焼失、現在あるのは京都府八幡市の石清水八幡宮から移されたものである。1868年に明治政府は神仏判然令を発し、神社と寺院を分離独立させた。これによって全国各地で廃仏毀釈運動が起きたが、この像はその難を逃れたと言ってよいかもしれない。寄木造り布貼りの丈六の座像で、平安時代後期の定朝様で、鎌倉時代から南北朝時代の頃の作と見られている。ただ拝観の栞やHPの記述にはないのだが、実は頭部と身体は元々別のものであった。いつ繋ぎ合されたか不明だが、額に浮いた金箔の状態から推測すると、かなり前、少なくとも明治以前と思われる。山門を出ると、観光客や買い物客が行き交う新京極通の喧騒が、再び戻ってきた。

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