2014年7月13日

幕末「島津斉彬撮影の図」に見る薩摩藩の先駆け

島津斉彬撮影の図 「照国公感旧録」より(沖縄県立図書館蔵)

日本に銀板写真カメラが渡来したのは嘉永元年(1848)で、長崎の商人、上野俊之丞がオランダから輸入したものだった。そして日本人が日本人の撮影に最初に成功したのは安政四年(1857)、市来四郎など薩摩藩の若い研究者たちが撮影した藩主島津斉彬の肖像写真だった。斉彬は藩の科学者たちを主導して銀板写真技術の研究を推進させたが、藩主を継いだ島津忠義も無類の写真好きであった。彼は最後の藩主となったが、フランスから輸入された暗箱カメラやステレオカメラ、慶応末にはイギリス留学の藩士から送られてきた暗箱カメラを愛用していた。幕末から明治時代にかけて彼が写した島津家の人々や、鹿児島をはじめ各地の風景写真が残されている。ところで最近「島津斉彬撮影の図」の木版画が沖縄県立図書館にあることを知った。明治32年(1899)に刊行された「照国公感旧録」である。照国とは島津斉彬の神号で、祀った照国神社が鹿児島市照国町にある。古写真そのものが残っていても、どのように撮影したか固定するのは難しい。そういう意味で第一級の史料だろう。

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