2012年8月26日

ポール・サイモンの「コダクローム」を聴くことにしよう


Kodak 400Tmax 120 Roll Films
今年1月初め「崩壊の危機に追い込まれたコダック王国の衝撃」という記事を書いたが、ついにこれが現実のものとなってしまったようだ。CNET日本語版の記事「米コダック写真フィルム事業を売却へ」によると、同社は米国時間8月23日、現金を調達する競売の一環として、同社の伝統である写真フィルム事業を売却することを明らかにしたという。これで残る事業は、唯一の消費者向け製品としてインクジェットプリンタの販売、および映画業界向けフィルムの販売だけになるというという、ブルームバーグの記事を紹介している。業界向け商用プリンタの販売にさらに力を注ぐことになるということだが、私にとっては「コダックの終焉」である。


Kodachrome by Paul Simon in 1973
前回にも触れたことだが、コダックがあるニューヨーク州ロチェスターは、地名そのものが同社を意味した。私が写真工学を学んだのは1960年代半ばだが、写真乳剤に関しては「ロチェスターに追いつけ」と言われてていた。それが実現するとは誰も思っていなかったが、1990年に富士フイルムからカラーフィルム「ベルビア」が発売された。このタイプのフィルムといえば、コダクロームやエクタークロームなど、コダック製品が独占していたが、これを凌駕する国産フィルムが出たのである。コダックの崩壊の直接原因はデジタル製品開発に乗り遅れたとされるが、その胚芽はこの時にあったと思っている。現在使っているフィルムの大半は富士フイルム製だが、コダックに関してはモノクロームフィルムを愛用している。かつて常用していたコダクロームが懐かしい。ポール・サイモンの歌を聴くことにしよう。

2012年8月25日

地球は誰のためにあるのだろうか

竹島(韓国名・独島) Google Earth

実は大腸にポリープが見つかり、その切除手術のため昨日入院した。しかし土日曜は治療がないので、病院を抜け出してこれを書いている。昨夕、病室で竹島および尖閣諸島をめぐる問題についての野田首相の会見をテレビで見た。首相が領土問題について記者会見を行うのは異例のことである。またこの会見に先立ち、衆院が本会議で韓国の李明博大統領の竹島上陸に抗議する決議を採択した。会見は極めて内容に乏しいものだったが、首相は韓国を批判しながら「大局を見据え、冷静さを失わないことも欠かせない」とも述べた。原発問題に関する言動はじめ、この人には怒りを感じているが、取り敢えず「冷静さを」というのは正しい。領土問題はともするとお互いの国民のナショナリズムを喚起しかねない。そしてそれがヒートアップすれば戦争に繋がる可能性がある。李明博大統領は韓国人の反日感情の上に乗って発言したが、何故韓国人が反日感情を持つのだろうか。結局それは「日韓併合」に遡る、歴史教育によってはぐくまれたものだと思う。しかし今日はその問題に関しては触れないことにしよう。私は空飛ぶ野鳥が羨ましいと思うことがある。彼らには国境というものがないからだ。国境を引き、国旗を振り回しているのは人間だけである。地球は誰のためにあるのだろうか。

2012年8月24日

香港の「保釣行動委員会」を公認してしまった日本政府


尖閣諸島上陸をした「保釣行動委員会」のメンバー(白髭が古思堯氏)

中国国旗を焼く古思堯氏
尖閣諸島に上陸、中国と台湾の国旗を立てた香港の政治団体「保釣行動委員会」は帰国して英雄扱いのようです。ところが思わぬ戸惑いも中国ネットワーカに広がってるようです。写真、白髭の活動家の名は古思堯氏(66)はその中心メンバーですが、彼が国旗を燃やしている画像がネットに投稿されたからです。釣魚島(尖閣の中国名)に旗を立てた人物がどうして同じ旗を焼くのか、どうも信じがたいというわけで、批判も多く寄せられてる様子です。古思堯氏は香港では有名な社会運動家で、1989年の天安門事件をきっかけに反中国共産党に転じ、以後、家族を中国大陸に残し、香港を拠点に様々な抗議運動をしています。彼にとっては、両者の行動、つまり反共と保釣行動は矛盾しないようです。とはいえ「保釣行動委員会」日本でいえば街宣車で騒いでいるが、誰も相手にしない政治団体のようなもの。中国本土および台湾から抗議船が出る動きがあったのですが、両政府はそれを抑えたようです。香港のグループは無視すべき団体に過ぎず、今回の行動は中国政府の意を汲んだものではありません。ところが、今回の日本政府の対応によって、彼らの存在がオーソライズされてしまったようです。

2012年8月23日

橋下徹と安倍晋三は史上最悪のタッグ


大阪の教育を考える大阪弁護士会)画像をクリックすると拡大表示されます

国政進出を目指す大阪維新の会の橋下徹大阪市長が、自民党の安倍晋三元首相に参加を要請しているという。次期総裁選出馬要請の噂がある安倍晋三が、果たして自民党を離党するか、今のところ態度を表明していない。安倍晋三内閣といえば「教育基本法改定」が記憶に新しいが、これは「大阪府教育基本条例」の下地となったものと言ってよいだろう。大阪維新の会は「発達障害は親の育て方が悪いから」というエセ科学理論を前提とした悪名高き「家庭教育支援条例」を制定しようとしたが、批判を浴び流石に撤回した。そしてこの条例案の黒幕が大阪市のブレーン、教育学者の高橋史朗だといわれている。高橋史朗は安倍政権のブレーンだったし、極右思想の持ち主である。これで橋下徹と安倍晋三は結びつく。安倍晋三は自民党内ではパワーを失っているし、もしかしたら橋下徹とタッグを組むかもしれない。そして大量の国会議員を製造したらトンデモナイことになってしまうだろう。いずれにしても橋下徹と安倍晋三は史上最悪のタッグである。このふたりをリングに上げてはいけない。

2012年8月22日

ナショナルジオグラフィック旅行写真コンテスト2012入賞作品


ナショナルグラフィック誌のサイトで「旅行写真コンテスト2012」の入賞作品が公開されている。写真は最優秀作品で、アフガニスタン北東のバダフシャーン州のワハーン回廊で撮影された。数多くある僻地のひとつで、標高4,300メートルの高地で、遊牧民が暮らしている。写真を見るとテレビなどがあることに気付きます。過酷な環境ながら、ここにはソーラーパネル、衛星放送アンテナがあり、携帯電話も使える。現代文明の最先端技術が過疎の村に押し寄せているのが分かります。他の入賞作品は下記リンク先のページでお楽しみください。

(via Winners Gallery)

2012年8月21日

原発を動かさなくてもこの夏を乗り切れた


今夏の需給見通し関西電力HPより) 画像をクリックすると拡大表示されます

酷暑の峠が去ったようである。上図は関西電力が5月19日に公表した「今夏の需給見通しと節電」に添付されたものである。これによると節電を織り込んでも7月後半から8月末までは15%の電力が足りないと主張している。当時、大阪府市の特別顧問だった飯田哲也氏は「これだと停電じゃないですか、足りないじゃないですか。停電おこさないようにと言いながら結局停電じゃないですか。どうするんですか?」とエネルギー戦略会議の8回目の会合で発言したという。そして橋下徹大阪市長が5月31日に「この夏をどうしても乗り切る必要があるなら、再稼働を容認する」と述べ、福井県の大飯原発を再稼働しなくても電力は足りる、という趣旨の議論を覆してしまったことは記憶に新しい。さて今夏の電力需給だが、今朝の朝日新聞によると、関西電力管内では「融通で十分」だったという。つまり「家庭や企業の節電が成果をあげていると指摘している。いつもより暑い夏になったが、関西や九州などで準備した計画停電は一度もなく、全国の電力には余裕がある。このまま節電を続ければ、原発を動かさなくても夏を乗り切れた可能性がある」と指摘している。

関西電力管内では原発なしの最大電力は2542万KWで、大飯原発再稼働によって2988万KWになった。原発が再稼働しなかった場合の予想より需要が上回った日が12日間続き、関西電力の八木誠社長は「大飯の再稼働がなければ厳しい状況だった」と振り返ったという。これに対し大阪府市エネルギー戦略会議は、7月27日や、この夏最大の電力が使われた8月3日でも、西日本全体で900万KWの電力が余っていたと指摘しているという。要するに他電力会社から融通してもらえば、再稼働しなくとも電力は足りたということである。原発推進者から言わせれば、それは結果論であって、電力は逼迫していてこの夏を乗り切れるか分からなかった、ということかもしれない。しかし大事なことは、福島原発事故から1年半の時間が経過しているのにも関わらず、原発を動かせないことを想定して、他のエネルギーを新たに開発して利用するといった対策を打たなかったことである。ひたすら再稼働ありきで突っ走ってきた、電力会社および政府に強い不信感を持たざるを得ない。その不信感は、このような電力業界から出るデータにも向いてしまうというのが、偽りのない気持ちである。この気持ちは、電力会社にとって顧客という最大の財産を失わせるものだし、政権を執る民主党にとっては致命的な、党崩壊への引き金になりつつあることを肝に銘じて欲しい。

2012年8月20日

尖閣諸島を巡る愛国心の衝突は戦争への道


尖閣上陸を称えるポスター  8月18日  広東省深圳市内  撮影:シンセンタロウ

尖閣諸島問題については触れまいと思っていたが、一言書くことにした。というのは、魚釣島沖で戦没者の慰霊に参加した日本人のうち10人が、船から泳いで魚釣島に上陸したというニュースが入ったからだ。朝日新聞電子版によると、沖縄県警は許可なく上陸したとして、軽犯罪法違反の疑いで今日20日に10人から任意で事情を聴く方針だという。また乗船した自民党の山谷えり子参院議員は、石垣島に戻って会見し「上陸は正当化できるものではないが、気持ちは分かる」と述べたという。気持ちは分かるというのは、容認したと解釈できる。思うにこういうことをする人たちは中国に生まれていれば、中国の旗を持って同じことをするでしょう。

不法上陸した香港の活動家らは英雄扱いを受けてるそうだが、この日本人たちは戻ってもそうはならないでしょう。本来政府のこれまでの方針は「領土問題は存在しない」ということであった筈である。ところが上陸して日の丸を掲げたということは、領土問題が存在するとわざわざ言ってるに等しい、実に愚かな行為なのである。そして気になるのは、このようなことが繰り返され、行動ががエスカレートすることである。愛国心の衝突は戦争への道に繋がっているし、真にこの国を思い世界の平和を願うなら、もっと冷静に対処すべきだろう。好戦的な中国の政治活動家の扇動に乗せられたような、このような行為は軽率のそしりはは免れないだろう。

参考:琉球新報「慰霊祭利用された」遺族会、署名を拒否 尖閣上陸(8月21日)

2012年8月19日

韓国大統領の竹島上陸より天皇の謝罪要求発言を問題視


長久保赤水「改正日本輿地路程全図」(部分) 安永4(1775)年

もう10年以上前になると記憶しているが、伊勢市の皇學館大学の資料室に、一葉の小さな写真が飾られていた。明仁(平成)天皇の即位、いわゆる大嘗祭(だいじょうさい)のひとコマと思われたが、多くの謎に満ちた神事に想像を巡らしたものである。私たちが知らないところで、天皇の神格化が連綿と伝承されていると直観、戸惑いと戦慄を禁じ得なかった。裕仁(昭和)天皇が戦犯とはならず、皇室制度が存続した背景には、その存在が少なくとも当時の日本人の精神的土壌に欠かせないものであったからだろう。昨18日の朝鮮日報日本語版に「韓中日新冷戦:独島訪問より天皇謝罪要求に強い反発」という記事が掲載されたが、おおむねその通りだろうと思った。竹島上陸だけだったらこれだけの騒ぎにならなかっただろう。ただ文中の「裕仁天皇(昭和天皇)は1945年に日本の敗戦が決まると、自分は神ではないとする「人間宣言」を行ったが、日本人の多くは依然として天皇を神のような存在と考えている」というくだりには、違和感を感ずる人が多いに違いない。

戦後67年を経過した今、すべての世代がこのように考えてるとは到底思えないからだ。それはともかく、韓国の大統領の発言は、戸惑いと共に強い反発を感じた人は少なくない筈だ。それを受けてだろう、政府は竹島(韓国名・独島)の領有権問題で、近く国際司法裁判所に提訴するそうだ。日本が領有権を主張する根拠は、竹島を1905(明治38)年に島根県に編入したという史実。そして1952(昭和27)年発効のサンフランシスコ講和条約では、日本が放棄すべき地域に含まれなかったというものだ。これに対し韓国は、島根県への編入は日本の植民地支配の過程で行われたから無効だと反発しているわけである。ちなみに韓国併合は1910(明治43)年である。日本が「韓国の外交権を奪ったのと同じ時期に竹島を領土にした」という韓国の主張に対抗するには、古地図や古文書の分析も含めて、科学的に綿密、かつ相当な作業を強いられに違いない。領土問題は「愛国精神」を喚起し、お互いに感情的になりがちである。冷静な議論が望まれる。

日本における竹島の認知(外務省):現在の竹島は、我が国ではかつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていました。竹島や鬱陵島の名称については、ヨーロッパの探検家等による鬱陵島の測位の誤りにより一時的な混乱があったものの、我が国が「竹島」と「松島」の存在を古くから承知していたことは各種の地図や文献からも確認できます。例えば、経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」のほか、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在します。(続きを読む…

2012年8月18日

再生可能エネルギーにシフトしているのが世界の潮流だ

US President Barack Obama (2nd R) walks with Jeff (3rd R) and Richard Heil (R) as he arrives to deliver remarks on wind power at the Heil Family Farm in Haverhill, Iowa, during his three-day campaign bus tour across the state. (via AFP)

枝野幸男経済産業相が8月7日の閣議後会見で、2030年時点の総発電量に占める原発比率について「ゼロにすることは選択肢の中に入っており、当然実現可能だ」と述べたという。これは経団連などの主張に対する反論と思われる。この人の過去の言動をみると全面信頼はおけないが、ひとつの正論ではある。米国では大統領選の前哨戦が熾烈になってきたようだが、オバマ氏はは選挙キャンペーンのためアイオワ州を訪ね、農場の風車の前で演説を行った。今年期限が切れる風力エネルギーの税額控除の延長をロムニー氏が反対していることを強調、アイオワ州の票を獲得するのが狙いのようだ。オバマ氏は風力エネルギーが極めて重要なグリーンエネルギー源で、アイオワ州で27000、全米で75000の雇用を創出と主張した。今日18日の日本経済新聞によると、オバマ政権が進める再生可能エネルギーの優遇政策によって、2011年に米国で新たに建設された風力発電の設備容量は約680万キロワットで、前年から31%増えたとする報告書を米エネルギー省が発表した。日本では再生可能エネルギーへのシフトに対し、前述経団連を主体とする経済界の反発が強い。主な理由は原発のような安定供給が望めないというものである。しかしそれは表面上の理由に過ぎなく、所謂「原子力村」の利権を庇ってるとしか見えない。新しい技術に関しては、まだまだ日本は力を持っている。世界のエネルギー政策の潮流はすでに再生可能エネルギーにシフトしつつある。

京丹波町で「モンサントの不自然な食べもの」上映会


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詳細:http://kyotanba.org/
主催:京丹波町の環境と子どもの未来を考える会

2012年8月17日

学園紛争取材の光景が走馬灯のように脳裏をぐるぐる回った


立て看 京都大学(京都市左京区東大路通今出川角) Fujifilm Finepix X100

昨16日の時事通信電子版によると、世論調査で野田内閣の支持率が「危険水域」とされる2割台から、ついに1割台に突入したという。まさにメルトダウン、消費増税、原発再稼働がその決定的要因だろう。私は先の衆院選で「政権交代」に期待、民主党に一票を投じたひとりだが、当初の八ッ場ダム問題のつまずきから始まった、数々の選挙公約の瓦解に呆れるとともに、それは怒りとなった。その怒りが頂点になったのは、やはり大飯原発の再稼働であった。少なく見積もっても、国民の半数以上が反対の筈である。にも関わらず民意を無視した強硬策、次の選挙では大敗、ひょっとすると党の解体に繋がるかもしれない。では自民党が第一党になったらどうなるか。臆面もなく全国の原発を再稼働するだろうし、今より酷くなる可能性がある。もうひとつは大阪の橋下徹が率いる「維新の会」の存在である。自民党の安倍倍晋三元首相に、自民党を離党して合流するよう要請していたことが分かったと報じられている。

現政党に失望した人々が大量投票、圧勝する可能性を否定できない。新自由主義ならぬ新帝国主義の毒蛇がかま首をもたげ、この国を崩壊させかねない。憲法9条改悪の下地を作ってしまうからだ。こうして政局を俯瞰すると、議会制民主主義の危機を痛感する。毎金曜の官邸前のデモはその表れだが、人々の怒りがこの先どのように国政変革に及ぼしていくか私には予測できない。昨日、法然院からの帰り道、京大前を通ったら反原発の立て看があった。昔の懐かしい「ゲバ文字」もどきで、かなり優しい書体だった。これからの日本を背負う学生たちが保守反動勢力に翻弄されては元の子もない。京都の大学が右傾化に飲み込まれず、リベラルな学生運動、平和運動の砦であり続けて欲しいという気持ちがよぎった。立て看にレンズを向けた私の脳裏の中で、1960年代末から70年代初頭にかけてここで学園紛争を取材した光景が、走馬灯のようにぐるぐる回り、不覚にも涙がこぼれそうになった。

2012年8月16日

精霊たちも冥府に帰ったようだ


親鸞聖人の廟 大谷粗廟(京都市東山区八坂鳥居前東入る) Fujifilm Finepix X100

香港製ZERO4x5ピンホールカメラで仏花を撮る
盂蘭盆というとお坊さんの稼ぎ時のようだが、ある意味で私にも言えることである。というのは、いつの間にか墓地の仏花をピンホールカメラで撮り歩くのが慣わしになってしまったからだ。8月14日は昼間、激しい雨となり、出かけるのを控えた。翌15日の敗戦記念日、東本願寺の大谷粗廟に出かけた。境内の一角に臨時の花壇に作られる花文字が目的だったが、文字があったものの、例年のような花の縁取りがない。仕方なく第二十三世法主の彰如上人が「口あいて落花ながむる子は佛」と詠んだ句碑を横目に、石段を昇って親鸞聖人の廟の前に出た。扉の両脇にはおびただしい数の仏花が供えられのを知っていたからだ。供花台があっという間に満杯になってしまうが、下げられた花は例の花壇で再荘厳されるが、最後は腐葉土となる。誰でも持ち帰ることができるので、ちょっと重かったが、ビニール袋に詰め込んだ。そして今日、16日。今度は法然院の墓地に出かけた。私の仏花シリーズ撮影にはちょっぴりノウハウがある。それは直射日光の下で撮らないことだ。いわゆる雨奇晴好、雨もよし、晴れもよし、というわけにはいかないのである。法然院を選んだのはそのためで、晴れ間が見えても樹木で遮られるからだ。撮影を終え帰路、百万遍でバスを降りた。大飯原発再稼働反対の大きな看板が見えたからだ。看板をカメラに収め帰宅、夕食後マンションの屋上に上がって五山の送り火を眺めた。どうやら精霊たちもこの世から冥府に帰ったようだ。

2012年8月15日

軍靴の響きが聞こえてきた


日の丸の寄せ書き(予科練平和記念館蔵)

これは茨城県稲敷郡阿見町にある「予科練平和記念館」が所蔵する日の丸の寄せ書きである。寄贈者は被災地福島に住む元予科練生で、1944(昭和19)年6月1日に土浦海軍航空隊(現陸上自衛隊土浦駐屯地)に入隊した時に肩にかけていた日の丸だそうである。予科練というのは「海軍飛行予科練習生」の略で、飛行兵養成制度の一つであった。私はこういった資料を見るにつけ、日の丸と君が代は戦争と直結したもので、なぜ戦後の日本が国旗、国歌にしたか理解できない。できれば廃棄、新た公募したら良いと思っているくらいだ。そんなことをもし大阪の橋下徹市長の前で呟いたらどんな反応があるだろうか。橋下市長といえば、彼が代表の「大阪維新の会」が国政進出に向け、自民党の安倍晋三氏に参加を要請したという。まさに正体見たり、実に酷い。万が一次の選挙で大量当選すれば、憲法9条の存在が危ぶまれる可能性も否定できないことになりそうだ。奇しくも今日は日本が戦争に負けた日である。軍靴の響きが聞こえてきた。

アーニー・ガンダーセン講演会のお知らせ


福島原発事故から学ぶ (画像をクリックすると拡大表示されます)

詳細: http://www.greenaction-japan.org/

2012年8月14日

ナチスの党旗に譬えられた旧陸海軍の旭日旗


十六条旭日旗(旧大日本帝国陸軍の軍旗)

旧大日本帝国海軍軍艦旗
ロンドン五輪が終わったと思ったら今度は高校野球。テレビ、特に多チャンネルを使って中継したNHKはまるでスポーツ専門局の趣と思うのは私だけだろうか。多額の放映料を払っただろうし、受信料を拒否する気持ちが理解できる。ところで五輪男子サッカー日韓戦で韓国の朴鍾佑(パク・ジョンウ)選手が「独島(竹島の韓国および北朝鮮側名称)はわれわれの領土」と書かれた紙を持って走り、国際オリンピック委員会(IOC)は同選手の表彰式参加を拒否、メダル授与を保留している。8月12日の韓国紙中央日報日本語版によると、ネットユーザーが「旭日旗のほうが問題だ」と指摘しているという。選手が競技場に持ち込んだわけではないのだが、日本に対し「欧州でナチスを象徴する旗を掲げ応援するのは想像もできないこと」と主張してる点は留意すべきだろう。十六条旭日旗は旧大日本帝国陸軍の軍旗で、ナチスの党旗ハーケンクロイツ(逆鉤十字)と相通ずるものがないとは言えないからだ。ただ旭日旗といっても旧海軍のそれは旭日の位置が真ん中ではない。また現在の海上自衛隊旗など、酷似したザインの旗があり、実際に五輪会場に持ち込まれたものがどの旗なのか不明である。しかし多くの人はハーケンクロイツと左右逆の卍字(まんじ)を区分けできないだろうから、旭日旗に似たものであれば誤解を受けるに違いない。旭日旗が日本の「帝国主義の象徴」という指摘は前から韓国、中国人の間から指摘されている。そういう意味では日の丸も同じく忌まわしい歴史を持っていると私は考えている。スポーツそのものは嫌いではないが、国旗の下で争う五輪大会はどうしても好きになれない。旭日旗を国際大会の応援席に持ち込むのは、いらぬ刺激を与えるし、余りにも不用意な行為だと言わざるを得ない。

2012年8月13日

ロバート・ジョンソンの修復写真に思うオリジナル写真とは?

Legendary American Blues singer songwriter Robert Johnson (1911 - 1938), left, with fellow musician Johnny Shines (1915 - 1992), circa 1935. This image is one of only three known photographs of Johnson, has been extensively retouched. (Photo by Robert Johnson Estate/Hulton Archive/Getty Images) .

伝説のミシシッピ・デルタ・ブルーズシンガー、ロバート・ジョンソン(1911-1938)は現在でもエリック・クラプトンやボブ・ディランなど、世界中で多くのミュージッシャンに多大な影響を与え続けている。そのジョンソンの写真は長い間、2枚しかないと信じられていた。ところが2005年、新たに「3番目の写真」が発見されたのである。写真右側に一緒に写っているのは、音楽仲間のジョニー・シャインズ(1915-1992)で、おそらく1935年ごろ撮影と想像される。フランク・ディギアコモ氏のレポート「ロバート・ジョンソン検索する」に詳しいいきさつが書かれている。ギタリストのジーク・シャインはオークションサイトeBayで「古いスナップショット・ブルースギター・BBキング?」と説明がついた写真を見つけて落札したという。写真はBBキングに見えなくもなかったが、シャインはギターの形、異常に長い指に注目、ロバート・ジョンソンだった。

2005年に発見された修復前の写真
3x4インチの大きさの写真は左のように、経年変化による汚れと破損が激しい。ネット上に散在する写真だが、いずれも複写によるせいか、若干のボケが見られる。ゲッティ・イメージ社の画像を見るとかなりシャープだが、さらにレタッチしたのが上掲の写真である。ここでちょっと考えさせられるのが、このような古写真のオリジナルとは何だろうということである。例えばFSA(米国農業安定局)プロジェクトが撮影、アメリカ議会図書館が所蔵している大恐慌時代の写真の多くはネガからプリントしたものだ。つまり撮影当時のプリントではない。だからオリジナルではないとは言えないだろう。それではこのロバート・ジョンソンの修復写真はオリジナルであろうか? 写真は時間が経過するうちに汚れたり、酷い場合は破れたりする。そしてそのような写真、つまり複写ではないものを一般にオリジナルと呼んでいる。

とすれば修復したそれはオリジナルではないということになる。しかしその修復写真のほうが撮影当時のものに近いと言えなくもない。これは古い仏像の修復に譬えると分かりやすいかもしれない。金箔が剥げ落ちた仏像の修復の際、すべて金箔を貼りかえないのが普通のようだが、タイの仏教寺院などでは違うようだ。人々は金箔を寄進するのが慣わしで、仏像は全身金ピカである。つまり建立時の姿を維持しようとしているのであって、中途半端な修復は完全な復元とは言えないのではないだろうか。現在、ロバート・ジョンソンの3番目の写真は、両方が混在したままネットに流れている。しかしレタッチした写真が生き残り、破損したそれはやがて淘汰される可能性が大きい。デジタル時代になり画像処理技術が発達、古写真の修復が容易になったが、新たな問題提起を包含しいるようだ。

2012年8月9日

願わくば阿弥陀如来がいる十界の最上位に昇りたい


熊野観心十界曼荼羅図絵(部分・西福寺蔵)
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幽霊子育飴(松原通)
雲ひとつない炎天下、六道詣りに出かけた。すでに三日目なので、目には見えないが、この世は冥府から迎えられた精霊たちであふれてるはずである。東大路から松原通を西に歩いて六道珍皇寺に寄り、迎え鐘を撞く。酷暑ゆえか思ったほど参詣客は多くない。再び松原通りに戻り、怖いもの見たさで「檀林皇后九相図絵」を拝観するため西福寺に向かう。山門をくぐり、手前の座敷に上がる。公開されているのは同図の他「熊野那智曼荼羅図絵」など五幅である。上図はそのうちのひとつ「熊野観心十界曼荼羅図絵」である。この絵は熊野比丘尼たちが戦国時代から江戸時代にかけて、熊野三山の修営費用を勧進するため、全国に持ち歩いて絵解きするため使った地獄極楽図である。30余点が現存しているそうで、六道珍皇寺にもあったが、撮影禁止なのでここで撮らせていただいた。

左上にいるのは閻魔大王で、あの世の裁判官だ。傍らに罪の重さを量る業秤と罪を映し出す浄玻璃鏡がある。真ん中は賽の河原で、幼くして亡くなった子どもが苦しみを受ける地獄。ここで救ってくれるのがお地蔵さんだ。ひとつひとつ解説するとキリがないが、要するに六道絵の系譜を踏む絵で、熊野参詣曼荼羅と双璧をなす代表的な絵画だ。30余点が現存しているという。地獄極楽図ともいわれるように、平安時代・鎌倉時代に盛んに描かれた地獄図や極楽図、あるいは六道絵の系譜を踏む絵であり、天上・人間・修羅・餓鬼・畜生・地獄の六道に、仏・菩薩・声聞・縁覚の四聖界を併せて十界が描かれている。観心とは文字通り心を観ること。心の持ち方次第で何処に堕ちるか分かりませんよ、という怖い絵である。願わくば、最高の悟りを得た世界、阿弥陀如来がいる十界の最上位に昇りたいものだ。西福寺を出た向かい側に、幽霊が子育てに使ったという飴を売ってる店があった。この辺りはあの世とこの世の境、六道の辻なのである。蛇足ながら昔はこの通りが五条通で、牛若丸と弁慶が出会ったという五条大橋は今の松原橋のことである。

2012年8月8日

京都のような古都に相応しい「発電瓦」を開発して欲しい

Solar Power Roof  Pope Paul VI Audience Hall, Vatican City  Image Credit: Uncle Buddha

Solar power plant for the Vatican
福島第一原発の事故以来、再生可能エネルギーによる発電システムが注目されているのはご存知の通りです。太陽光、風力、地熱、水力など様々なシステムがあるが、その弊害も指摘されていることを忘れてはならない。例えば風力タービンの騒音(風切り音)だが、これによって住民が夜に眠れないという報告もある。しかし売れるものは良質化するという原理に従えば、技術革新によって改善されることを期待したい。私が最近気になり始めたのが、太陽光発電パネルの美観問題である。いかにも電子機器という感じで、近代ビルには似合わないでもない。実際に見た範囲では、京セラ本社ビル南壁に貼られたパネルは壮観だし、パネルを製造してる同社らしいコンセプトを持った設計になっている。問題は伝統的な建造物である。よく民家の屋根に設置している風景を見るが、例えば仏教寺院や神社の屋根にはミスマッチであろう。写真は2008年にバチカン市国の「パウロ6世ホール」の屋根に取り付けられた太陽光発電パネルである。屋上ゆえ地上からは見えにくいだろうけど、上空からはご覧の通りである。写真だけで判断するのは危険だが、やはり見方によっては古都の景観を損なっていると思うのは私だけだろうか。バチカン市国は世界で最も環境に優しい国家であると当時の新聞は報じているが、今後このような建設が各地で進む場合、景観保護の工夫が必要になってくるだろう。再生可能エネルギー発電に積極的なヨーロッパでは、すでにこけら板あるいは瓦の形をしたパネルが開発されてるようだ。日本でも日本の屋根、特に京都のような古都に相応しい「発電瓦」を開発して景観保護に寄与して欲しい。

2012年8月4日

おおさか社会フォーラム2012のご案内

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Osaka Social Forum 2012

全体フォーラム:2012年9月15日(土)13:00~17:00 エル・シアター
ユースフォーラム:2012年9月15日(土)18:00~20:30 エル・シアター
ワークショップ:2012年9月16日(日)10:00~16:00 エル・おおさか

おおさか社会フォーラム実行委員会
連絡先:市民オフィスSORA 06-7777-4935 osaka@socialforum.jp
ウェブサイト:http://osaka.socialforum.jp/

2012年8月3日

文楽弾圧で晒された橋下徹の無知

淡路人形浄瑠璃 鬼一法眼三略巻五条橋の段(第22回淡路人形後継者団体発表会) 撮影:沼田浩孝

大阪の橋下徹市長が文楽協会を弾圧している。入れ墨問題に触れた拙文「大阪の橋下市長は希代の文化破壊者」では谷崎潤一郎の小説『刺青』を引用したが、今回は同じ作家の『蓼喰う虫』を取り上げてみたい。この小説の連載が大阪毎日新聞、東京日日新聞で始まったのは昭和3(1928)年12月、今から80年以上前になる。要(かなめ)、美佐子の夫婦仲は冷え切っている。人形芝居好きの美佐子の父の誘いで二人は人形浄瑠璃見物に出かける。
「それより何より、この客足じゃ引き合わないから松竹が金を出しやしない。こんな物こそむずかしく言うと大阪の郷土芸能なんだから、だれか篤志家が出て来なけりゃならないんだが。」
「どう、お父さんがお出しになったら?」
と横合いから美佐子が交ぜっ返した。老人は真顔で受けながら、
「私は大阪人じゃないから、……これはやっぱり大阪人の義務だと思うよ。」
『蓼喰う虫』(岩波文庫)
明治末期に文楽座が唯一の人形浄瑠璃専門の劇場となったため「文楽」の名が冠されるようになった。一行が出かけたのは道頓堀の弁天座である。興業権は松竹が持っていたが、このくだりのように客入りが悪く、当時から財政難であったことが窺われる。重要無形文化財に指定されたのは昭和30(1955)年だが、かなり経営は難しかったようで、松竹は昭和38(1963)年になって文楽から撤退する。貴重な伝統芸能を守るため、大阪府、大阪市を主体に文部省、NHKの後援を受けた財団法人文楽協会が発足した。国が面倒をみるべきだという橋下徹の主張は、国の重要無形文化財だからということなのだろうけど、見当違いであることがこのいきさつから分かる。補助金をカットするということは、大阪市が協会から脱退することに他ならないからだ。文楽は世界文化遺産でもある。これを守るのは大阪市の義務なのである。さて小説を読み進めてみよう。美佐子の父は人形芝居好きの京都人だが、文楽見物の際には自家製の幕の内弁当を詰めた漆塗りの蒔絵の重箱と、朱塗りの酒盃を持参、妾に酒を注がせる。

淡路島の人形浄瑠璃を観に行く時にもそうで、歌舞伎を含め、芝居見物というのは重箱の弁当を食べながら観ることが一般的なものだった。つまり総合的な娯楽であり、洒脱な趣味でもあった。吉本興業のお笑い芸人たちのダジャレしか知らない橋下徹にとって、真の意味の洒落は理解できないのだろう。蛇足ながら能楽を理解するには謡曲の知識が必要なように、文楽を理解するには浄瑠璃の知識が必要である。瀬戸内寂聴尼に「橋下さんは一度だけ文楽を見てつまらないと言ったそうですが、何度も見たらいい。それでも分からない時は、口をつぐんでいるもの。自分にセンスがないと知られるのは恥ずかしいことですから」と痛烈に揶揄された。よほど悔しかったのだろう「ぼくから言わせると瀬戸内さんにもセンスはない」と反論したそうだが、これは古典文学に造詣が深い寂聴尼に対しては犬の遠吠えに等しい。自らの無知を世間に晒したのも同然だろう。淡路島の人形浄瑠璃は消滅の危機に晒されていたのだが、伝統芸能を守ろうとする人々の力で1964年に淡路人形座が生まれ、その後淡路島の1市10町が協力し淡路人形協会が発足して今日に至っている。海外公演も数多く行い、淡路島の宣伝に寄与している。海外から観光客を呼ぶ格好の素材であり、これを橋下徹は弾圧しているのである。大阪市民はトンデモナイ文化オンチを首長にしてしまったことに気づいて欲しい。

2012年8月1日

冥府から精霊を迎える六道詣り


六道珍皇寺聖霊市 『花洛名勝図会』より(画像をクリックすると拡大表示されます)

檀林皇后九相図絵(西福寺蔵)
盂蘭盆の前、毎年8月7日から10日までの四日の間に、京都の人々は六道詣りをする。東山区の松原通を東大路から西に入った所にある六道珍皇寺の「迎え鐘」を撞き、冥府から精霊を迎えるのだ。六道というのは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道のことだ。水塔婆に戒名を書いて頂き、高野槙(こうやまき)を持ち帰って仏壇に供える。普段は閑散としている境内が参詣客でいっぱいになる。元治元(1864)年刊行の『花洛名勝図会』に描かれた「六道珍皇寺聖霊市」を見ると、松原通は溢れんばかりの人で埋まっている。いささか誇張されてる感があるが、今より往時のほうが盛んだったかもしれない。この辺りは平安京の風葬の地、鳥辺野への道筋だったから、あの世とこの世との境界点に当たると信じられている。ゆえに「六道の辻」と呼ぶのであろう。この通りにある西福寺では嵯峨天皇の后だった橘嘉智子をモデルとしたと伝わる「檀林皇后九相図絵」が公開される。死後、腐乱し、やがて白骨化、最後は影も形もなくなるまでの九段階を克明リアルに描いてある地獄絵だ。

過去、三度ほどこの絵を拝観したが、実に不気味である。不気味ゆえにまた見たくなるという心理が働くようだ。興味ある方は拡大表示されるので右の図をクリックしてください。ちなみにこの辺りは清水焼の窯元が多かったことから、轆轤(ろくろ)町という地名がついているが、かつては髑髏(どくろ)町と呼ばれていたらしい。この西福寺から南に下がったところにあるのが六波羅蜜寺で、六道詣りのついでに寄ることにしている。空也上人が創建したと伝えられているが、「市聖」「阿弥陀聖」と称せられた上人は、常に民衆の中にあって念仏を唱え、路傍の無縁の遺骸を見つけると埋葬供養したという。源平両氏の興亡の舞台となったところでもあるので、大河ドラマ『清盛』の影響で今年は参詣客が多いようだ。境内に浄瑠璃「壇浦兜軍記」に登場する傾城阿古屋の宝塔がある。平家の落ち武者の所在を追及されるが、弾かされた琴に乱れがなかったので釈放される「琴責め」の段は、歌舞伎の名場面としても知られる。阿古屋の宝塔が隣の平清盛の五輪塔より大きいのが印象的である。松原通に戻ったら西福寺の向い側のお店で「幽霊子育て飴」を買い求めるのも六道詣りらしいかもしれない。