2012年8月1日

冥府から精霊を迎える六道詣り


六道珍皇寺聖霊市 『花洛名勝図会』より(画像をクリックすると拡大表示されます)

檀林皇后九相図絵(西福寺蔵)
盂蘭盆の前、毎年8月7日から10日までの四日の間に、京都の人々は六道詣りをする。東山区の松原通を東大路から西に入った所にある六道珍皇寺の「迎え鐘」を撞き、冥府から精霊を迎えるのだ。六道というのは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道のことだ。水塔婆に戒名を書いて頂き、高野槙(こうやまき)を持ち帰って仏壇に供える。普段は閑散としている境内が参詣客でいっぱいになる。元治元(1864)年刊行の『花洛名勝図会』に描かれた「六道珍皇寺聖霊市」を見ると、松原通は溢れんばかりの人で埋まっている。いささか誇張されてる感があるが、今より往時のほうが盛んだったかもしれない。この辺りは平安京の風葬の地、鳥辺野への道筋だったから、あの世とこの世との境界点に当たると信じられている。ゆえに「六道の辻」と呼ぶのであろう。この通りにある西福寺では嵯峨天皇の后だった橘嘉智子をモデルとしたと伝わる「檀林皇后九相図絵」が公開される。死後、腐乱し、やがて白骨化、最後は影も形もなくなるまでの九段階を克明リアルに描いてある地獄絵だ。

過去、三度ほどこの絵を拝観したが、実に不気味である。不気味ゆえにまた見たくなるという心理が働くようだ。興味ある方は拡大表示されるので右の図をクリックしてください。ちなみにこの辺りは清水焼の窯元が多かったことから、轆轤(ろくろ)町という地名がついているが、かつては髑髏(どくろ)町と呼ばれていたらしい。この西福寺から南に下がったところにあるのが六波羅蜜寺で、六道詣りのついでに寄ることにしている。空也上人が創建したと伝えられているが、「市聖」「阿弥陀聖」と称せられた上人は、常に民衆の中にあって念仏を唱え、路傍の無縁の遺骸を見つけると埋葬供養したという。源平両氏の興亡の舞台となったところでもあるので、大河ドラマ『清盛』の影響で今年は参詣客が多いようだ。境内に浄瑠璃「壇浦兜軍記」に登場する傾城阿古屋の宝塔がある。平家の落ち武者の所在を追及されるが、弾かされた琴に乱れがなかったので釈放される「琴責め」の段は、歌舞伎の名場面としても知られる。阿古屋の宝塔が隣の平清盛の五輪塔より大きいのが印象的である。松原通に戻ったら西福寺の向い側のお店で「幽霊子育て飴」を買い求めるのも六道詣りらしいかもしれない。

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