Adolf Hitler by Rafael Monteiro
新聞テレビは「第三極の結集」と大騒ぎしている。第三極とは二大政党制下、次の勢力になる政党、あるいは政党の集まりのことである。つまり現時点では民主、自民に対抗する勢力のことだが、石原慎太郎前東京都知事と平沼赳夫元経済産業相を共同代表とする「太陽の党」がらみの動向のみがそれであるように報じられている。橋下徹大阪市長率いる「日本維新の会」などとの政策協議はどうのこうの、といった具合で、例えば小沢一郎が率いる「国民の生活が第一」などは無視されている。マスメディアは敢えて小沢サンを蚊帳の外に置きたいに違いない。ところで野田首相がいつ衆院解散を宣告するか注目が集まっているが、その前に石原慎太郎が逃げ出した都知事の椅子に座る人を決める必要がある。すでに何人かが出馬表明しているが、民主党から声がかかってるという舛添要一が講談社のサイト『現代ビジネス』に寄せた「都知事選出馬も選択肢」を興味深く読んだ。「知事候補として私の名前があがっている。光栄なことである」という部分は、私にとってはどうでもいいことだけど、気になった後半の一部分を引用しよう。
政治的リーダーシップについて、最近考えていることを少し書いてみたい。東大で政治学の研究者になったときに、最初に取り組んだのがナチズム、ファシズムの研究である。数多くの文献にあたったが、その中でも印象に残っているのが、シグムント・ノイマンの名著『恒久革命』である。ノイマンは、全体主義の特徴として、永遠の革命、つまり常に、コマネズミのように動き回り、次々と革命の対象を広げていくことをあげ、それこそがファシズム運動だと指摘した。舛添センセイが政治学の学者だったことを思い出したが、最初に取り組んだのがナチズム、ファシズムの研究だったことは知らなかった。文中のシグムント・ノイマンの著書は、正確には『大衆国家と独裁―恒久の革命 』のことで、政治学とは縁遠いが、センセイの一文から急に読みたくなり発注した本である。「ユダヤ人という敵を作り上げて、大衆の憎悪心をそこに集中させた結果が、アウシュビッツの悲劇となり、人道に対する犯罪につながったことを忘れてはならない。マスコミ、とりわけテレビが恒久革命を推進させていることを、マスコミ人は自覚して仕事をせねばならない。視聴率、部数は伸びても、日本国が滅びたのでは何にもならない」とセンセイは続けている。奇しくも橋下徹の思想は「ハシズム」と揶揄されている。石原慎太郎とのコンビはまさに日本のファシズムを再興させようとするものだ。私は舛添要一のシンパでもなんでもない。また彼の一文は、現在おかれた政治家としての計算もあるだろう。しかし真相を突いている。
具体的には、何かイベントを拵えたり、目新しい政策を打ち出したり、対外戦争に乗り出したり、とにかくじっとしておらず、次々と新しい課題を作っていくのである。そして、最後には、それが第二次世界大戦へとつながっていく。最近のポピュリスト政治家たちの言動を見ていると、まさに恒久革命を行っているかのようである。都政とは何の関係もない尖閣諸島問題を争点化したり、次々と攻撃対象を作ってツイッターで批判したりする、そして、それがマスコミによる増幅作用を通じてポピュリズムを刺激する。
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