富士山を詠んだ歌は山ほどある。表題は高橋蟲麻呂作「不尽山(ふじのやま)を詠む歌」の一部で、萬葉集に収録されているが、噴火しているさまを詠んだものだ。最後の噴火は宝永大噴火(1707年)だったが、活火山である以上、今後も噴火の可能性は拭えない。富士山で大規模な噴火が起きた場合、火山灰を取り除くのに、都内の主な道路だけで少なくとも4日かかるという国の推計が最近報じられた。本当に怖いのは南海トラフ巨大地震より富士山の噴火という説もあるようだ。万が一そんなことになればあの美しい容貌も変わってしまうのではないかと思う、といった心配をしたわけではないが、富士山見物に出かけた。新幹線の車窓からの眺めは何度も接しているので、裏側、つまり北側に位置する河口湖の「富士山が見える宿」を予約したのだが、予定の11月11、12日は悪天候という予報が出てしまった。新幹線とバスの往復切符も買ってしまったし、キャンセルもままならない。というわけで強行したが、案の定、着いた日は冷たい雨。ホテルは富士山撮影に絶好のロケーションと聞いていたが、確かにべランダからの眺めは素晴らしい。しかし天候には敵わない。
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姿を見せた富士山(河口湖遊覧船から) |
翌朝目が覚め、窓の外を見たがまだ雨が残っている。仕方ない、紅葉狩りでもして帰ろうということになった。ホテル規定のぎりぎりの遅い時間にチェックアウト、富士急山梨のボンネットスタイルの
「河口湖周遊レトロバス」に乗った。たまたま開催中の「紅葉まつり」の会場、久保田一竹美術館前で降りた。するとどうだろう、俄かに天候が回復し始め、太陽が顔を出した。雲が切れ、富士山がその頭を見せたと思ったら、みるみるうちに山腹も姿を現したのである。まさに驚天動地とはこのこと、カメラを構える観光客の歓声が湖畔に響いたのは言うまでもない。なるほど、富士山の写真撮影に没頭している人たちは、このように気候の変化で変貌する姿に魅力を感じているのだろうか、ふとそう思った。近くにあった食堂でほうとう鍋を堪能したあと、再びバスに乗って遊覧船乗り場に移動した。天気は良くなるばかり、気温も上昇して用意した防寒具が邪魔になってきた。遊覧船で湖上に出たが、裾野を覆っていた雲も消え、富士山の全貌を一望でるチャンスに恵まれた。富士は不二、未来永劫に渡ってその美しい姿を保って欲しいものだ。
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