2019年11月1日

五輪招致から撤退する都市が相次いでいる

バンクシーの壁画「輪を盗んだ」(ロンドン2012年)

東京2020五輪大会のマラソンおよび競歩の会場を巡る一連のゴタゴタ騒ぎは、見方を変えれば、招致そのものに問題があったことを炙り出すという、皮肉な成果があった。エントリー「灼熱東京五輪マラソン会場の札幌移転」で指摘したように、立候補ファイルで、開催期間中の気候が「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」と真っ赤な嘘をついて招致した。開催要件の「7月15日から8月31日まで」は、9月に入ると米国の人気プロスポーツ、バスケットやアメリカン・フットボールなどと重なるため、多額の放映権料を払う米テレビ局に配慮したものだ。春、あるいは秋がベストシーズンだが、開催費用をひねり出すために、いびつな運営形態になってしまっているのが今の五輪である。効果ある暑さ対策を用意できないまま招致した、東京都と日本オリンピック委員会(JOC)、後押しした政府の責任は極めて重い。ところで五輪招致から撤退する都市が相次いでいる。2004年大会は11都市だったが、20年後の2024年大会はわずか2都市だった。
立候補したロサンジェルスは2024年を断念、2028年に開催することになった。要するに2都市の開催順を同時に決めたという異常措置だった。実は2024年大会の立候補に関し、米国オリンピック委員会(USOC)は公式入札をしたが、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ワシントンDCを、ボストンが押しのけた。ところが同市は市民の反対運動で招致から撤退した。反対運動を指揮したクリス・デンプシーは「五輪を開催するための財政的な負担が一番の懸念だった」という。1960年以降の五輪は全ての大会で予算をオーバーしている。英国放送協会(BBC)の記事によると、数十年もの五輪予算を研究してきたオックスフォード大学のベント・フライフヨルグ教授は「誰もが史上最高の五輪にしたいという競争みたいなものがあるのです」「五輪を開催するどの都市も、これまで開催したことがないか、あってもかなり昔なので、その経験を活用できません。つまり、大金が絡むイベントを担当しているのは未経験の人たちなので、費用超過へとつながるのは当然なのです」と語っている。IOC は2032年大会開催の準備し始めたそうだが、早期募集に焦りが滲み出ている。

2019年10月31日

首里城の中庭でカドリールを踊る女学校の学生たち

首里城の中庭で開催された沖縄県立高等女学校の運動会(1907年頃)

きょう31日未明、沖縄県那覇市の世界遺産の首里城跡上に復元された正殿などが焼失、全国に衝撃が広がった。1453年・1660年・1709年・1945年の焼失に次いで、歴史上5度目の焼失となった。首里城の創建年代は明らかではないが、13世紀末から14世紀のグスク(御城)造営期に他の沖縄の多くの城同様に成立したものと考えられるそうである。1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、5月27日に焼失、1958年に守礼門が再建されたのを皮切りに、円覚寺門など周辺の建築から再建が始まった。上掲の写真は、沖縄在住の元米軍海兵隊員、古写真蒐集家ロブ・オーシュリ氏によると、1907(明治40)年に撮影されたという。オリジナルの写真は不明だが、近くにあった写真館が撮影したと思われる。

首里城時代の県立高等女学校の学生たち(那覇市歴史博物館蔵)1908年

1879(明治12)年、明治政府は500名弱の部隊で首里城に乗り込み、一方的に強権をもって沖縄県の設置を断行し、琉球王国を滅ぼした。首里城の御庭(うなー)すなわち中庭で女学生たちがカドリール(quadrille)を踊っている。カドリールは4組の男女のカップルがスクエアになって踊る、歴史的ダンスだが、女学校ゆえに女子学生ばかりである。運動会の一コマで、万国旗が写っている。首里城には複数の学校が間借りしていた時代があり、沖縄県立高等女学校もそのひとつだった。髪型、そして小袖(こそで)に女袴といった制服に違和感を覚える。明治政府が琉球の生活風習を剥奪し、大和風のそれを押し付けたことがよく分かる。蛇足ながら県立高等女学校は1922(大正11)年に、全校生徒自治会で「女学生の制服として、和服と洋服と何れが可なりや」との議題が提案。賛否激しい議論になったが、1926(大正15)年 、セーラー服に正式決定された。1928(昭和3)年に県立第一高等女学校に改称、1945(昭和20)年に沖縄戦で壊滅、廃校になった。

2019年10月29日

ユージン・スミスはプリントにこだわった写真芸術家だった

写真家ユージン・スミスを演ずるジョニー・デップ

ユージン&アイリーン・スミス(1974年)
ジョニー・デップ主演の映画「水俣(邦題未定 原題:Minamata)」の撮影が始まり、ユージン・スミス(1918–1978)および水俣病への関心が高まっているようだ。京都国立近代美術館で写真展「没後30年W・ユージン・スミスの写真」が開催されたのは2008年だった。これだけ揃ったスミスのオリジナルプリントを鑑賞するのは初めてだった。実はプリント以前のプリントを私は見ている。1972年か翌73年だったと思うが、働いていた仕事場に彼が現れたのである。暗室を貸して欲しいという。カールした何枚かのプリントを取り出し、赤血塩でレタッチを始めたのだが、その水洗を私は手伝った。プリントの暗部を漂白、潰れたトーンを起こす作業をしたのである。まだ多諧調印画紙がなかった時代である。つまり彼はひとつの印画紙の中で、違うトーンのエリアを作ることをしていたのである。今ならフォトショップを使えば簡単だが、決して容易なものではなかった。私は手伝いながら、なんでこんな面倒なことをするのだろうと怪訝に思ったものである。その秘密が解けたような気がする。美術館に並んだスミスの写真は見事ファインプリントだった。かつて観た「ロバート・キャパ展」に通ずるものがある。プリントは弟のコーネルの手になるものだ。戦争写真というジャンルに関わらず、それがファインプリントであった違和感を私は感じたが、それはコーネルの意志だったに違いない。しかしスミスのプリントは明らかに自身の意思、いや遺志だと私は想像する。そう感ずるのは、赤血塩でプリントの暗部を漂白する彼の姿が目に焼き付いて忘れられないことに起因する。会場に展示されたグラフ誌『ライフ』のグラビア印刷は、そのトーンを掬い取っていない。

三一書房〔新装版〕版 (1991年)
美術印刷でも無理なのである。彼はフォトジャーナリストであった。しかし同時に彼は写真芸術家であったのである。多くのフォトジャーナリストにとって、プリントは印刷原稿に過ぎない。だからあのセバスチャン・サルガドにしても、現像、プリントは他人任せなのである。スミスに同行していたのが、助手であり伴侶であったアイリーン・美緒子・スミスだった。すでに話題になっていた「入浴する智子と母」の撮影について、彼女が私に饒舌に語ってくれたことを思い出す。何度も風呂場を下見、光線状態がベストになる時間帯を調べたという。撮影の際にはスミスの横で彼女がストロボを持ち、天井にバウンスさせたという。この写真は水俣病闘争のシンボル的な存在になり、多大な影響を与えたことはご存知の通りである。しかし写真は現在封印されて見ることができない。収録されている原著 "MINAMATA" はおそらく入手困難だろう。水俣病の悲惨さの象徴であったこの写真は、智子さんの死を機会に、母親の上村良子さんから、もう世に出さないで欲しいという強い嘆願が寄せられた。この願いを著作権所有者のアイリーンは受け入れたのだが、その間の事情を、清里フォトアートミュージアム館長の細江英公氏によるインタービューで次のように答えている。曰く「私が両親の願いを押しのけてこの作品を出し続けることは、作品に対する冒涜であり、否定でもあるんです。あの写真の言う命、愛情を大切にということを裏切ることになります。じゃあ、発表をやめることで小学生がこの写真を知る機会を失うという点はどうするか。私は写真のパワーについて今でも子供達に話しに行くんですよ。この写真自身は完成品じゃないんだと」云々。

2019年10月26日

キングレコードの民族音楽シリーズは音の世界遺産

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一昨日ポストしたばかりのエントリー「クルディスタンの音楽に惹かれる」の末尾に、キングレコードの「ワールド・ミュージック・ライブラリー」は、音の世界遺産とも言える貴重な音源と書いた。端的に言えば、ユネスコの世界無形遺産に認定されているジャンルの音源を、多数取り揃えているということなのだが、取りあえず音楽家の坂本龍一の推薦文の一部を紹介したい。
20世紀に始まったメディアの発達と急速なグローバル化のせいで、その多様性が急速に世界から失われつつあるのは、こと音楽だけでなく言語や伝統的民俗文化も同じです。この百年だけでも数千の言語が失われたとも言われます。音楽はどうでしょう。研究者に発見されず、登録されないまま失われた唄や音楽も、数知れずあるかもしれません。ぼくたちは、このような世界の多様な音楽を、これ以上失うわけにはいきません。それだけでなく、一度失われそうになったアイヌ語やゲール語が復活しつつあるように、なんとかそれらがこれからも人類の共通遺産として次世代に受け継がれることを、せつに願うものです。
若き日の小泉文夫
このシリーズは1999年に全100タイトルを発売、10年後に旧シリーズをベースに新録、未発売音源などを追加し、全150タイトルをリリースしたものだ。音源は日本の民族音楽学の巨人、東京芸術大学教授だった小泉文夫(1927-1983)が1960~70年代に行った、今や聴くことの出来ない貴重なフィールドレコーディングから、2008年の最新高品質デジタルレコーディングまで網羅している。小泉文夫の録音をはじめ、これまでキングレコードが録音し未発売となっていた秘蔵音源の初 CD 化もある。また各国の民族音楽の大物アーティストの新録音と、新アイテムを30タイトル以上導入、従来のラインナップをさらにパワーアップさせている。アメリカでは議会図書館が民謡蒐集家の手によって、伝承音楽を録音した。またスミソニアン学術協会とアメリカ国営スミソニアン博物館が傘下に置く、非営利レコード・レーベル Smithsonian Folkways も積極的に伝承音楽の記録を残している。しかしキングレコードの「ワールド・ミュージック・ライブラリー」は私企業の事業である。その音源の質と量から、これはまさにユネスコの「世界遺産」に匹敵すると思う。在庫がある巷のレコード屋さんは稀有だし、通販サイトにも円滑に入荷されていないようだが、ご安心を。下記リンク先の直販サイトで入手可能である。

King e-Shop  キングレコード株式会社「ワールド・ミュージック・ライブラリー」公式直販サイト