2026年9月22日

予測市場の見通しによるとテキサス州上院選は民主党優勢に転じた

ames Talarico
James Talarico speaks during his election night watch party in Austin

注目度の高いテキサス州上院議員選挙で、ジェームズ・タラリコ下院議員が支持を伸ばしており、長年共和党が優勢な州であるにもかかわらず、複数の予測市場(※)はこの選挙を接戦と見なすようになっている。タラリコはテキサス州で8代続く家系の出身。ラウンドロックで生まれ育ち、ウェルズブランチ小学校に通い、マクニール高校を卒業した。テキサス大学オースティン校で政治学の学士号を取得後、ティーチ・フォー・アメリカに参加し、サンアントニオ西地区の中学校教師を務めました。その後、ハーバード大学で教育政策の修士号を取得した。2018年からテキサス州下院議員を務めている。長老派教会に属するキリスト教徒であり、宗教的信仰と進歩的な政治理念を関連付けて発信している。経済的不平等、医療、公教育などの問題を、隣人愛や弱者への配慮というキリスト教倫理の観点から論じている。また、キリスト教の教義を特定の政治勢力や国家の利益と同一視するキリスト教ナショナリズムを批判している。予測市場のカルシは現在、民主党の州議会議員タラリコが11月の選挙で勝利する確率を59%と予測しており、共和党の州司法長官ケン・パクストンの当選確率は41%となっている。別の予測市場であるポリマーケットも同様に、タラリコのシェアを60%、パクストンのシェアを41%としている。予測市場のシェアは、市場のスプレッドによって合計が100%を超える場合もある。

Texas Senate Race
Texas Attorney General Ken Paxton, center, is flanked on the left in this photo illustration by Rep. Jasmine Crockett and state Rep. James Talarico, both Democrats, and on the right by Rep. Wesley Hunt and Sen. John Cornyn, both fellow Republicans.

クック・ポリティカル・レポートも、この選挙を「共和党やや優勢」から「五分五分」に格上げした。世論調査の第一人者であるネイト・シルバーのシルバー・ブレティン・モデルも、テキサス州を「民主党やや優勢」のカテゴリーに分類しており、タラリコが議席を獲得する確率は約70%、パクストンが約30%となっている。シルバーは8月25日の投稿で「テキサス州は依然として共和党支持の強い州である」としながらも、このモデルは「ケン・パクストンの数々のスキャンダルとタラリコの莫大な資金調達を考慮に入れ、特に世論調査の結果と組み合わせると、民主党にわずかに有利に働くだけの『候補者としての資質』の優位性があると結論付けている」と述べている。タラリコが当選すれば、1988年以来、同州で上院議員選挙に勝利する初の民主党員となる。なお、同州では1980年以降、大統領選挙はすべて共和党が勝利している。テキサス州は歴史的に共和党支持が強い地域であるにもかかわらず、民主党候補は、5月の共和党予備選決選投票で長年共和党上院議員を務めてきたジョン・コーニンを破ったパクストンに対し、ますます競争力を高めた挑戦を仕掛けている。パクストン氏は、2023年の弾劾と無罪判決、2024年に解決した証券詐欺事件、贈収賄疑惑、そして不倫の告白など、複雑な経歴を抱えたまま総選挙に臨んだ。彼はこれらの様々な事件における不正行為を否定している。パクストンはドナルド・トランプ大統領と連携しており、ドナルド・トランプ大統領は彼の上院選キャンペーンを支持している。(※)予測市場とは選挙の結果や経済指標など、将来起こる出来事の確率を予測し、その結果に連動する契約を売買する市場のことである。下記リンク先は PBS(米国公共放送)の「2026年の選挙は予測市場での取引の急増が選挙戦や結果にどのような影響を与えるかを試す機会となるかもしれない」である。

PBS 2026's elections could test how skyrocketing trading on prediction markets affects races

2026年9月20日

麻疹の流行で批判されているロバート・F・ケネディ・ジュニア

MMR
MMR(麻疹・おたふく風邪・風疹)混合ワクチン ©2026 AP

アメリカで麻疹(はしか)の流行が拡大し続ける中、ペンシルベニア州のワクチン未接種者二人が麻疹で死亡した。これを受け、保健長官で反ワクチン派のロバート・F・ケネディ・ジュニアが過去に麻疹ウイルスとその治療法について発言した内容に対し、新たな批判が向けられている。ワクチン未接種のこの二人は、今年国内で発生した麻疹関連の死亡例としては初めてとなる。今年は1991年以来最悪の麻疹流行年であり、8月27日には感染者数が2,777人に達し、昨年の麻疹感染者数2,289人を上回った。州保健長官のデブラ・ボーゲン博士は8月25日「この想像を絶する喪失に直面しているご遺族の皆様に、心からお悔やみ申し上げます。麻疹は30年以上にわたり連邦内でほぼ撲滅されていたため、人々はこの病気についてよく知らず、その潜在的な深刻さを十分に理解していません」と述べた。今回の死亡事例は、ロバート・F・ケネディ・ジュニアのワクチンに関する姿勢に対する批判を再燃させた。当時大統領候補だった同氏は、2023年にフォックスニュースの司会者ジェシー・ワッターズに対し「自閉症はワクチンが原因だと私は信じている」と語っていた。自閉症とワクチンが結びつけられるようになったのは、1998年に医学誌『ランセット』に掲載された、後に失脚したアンドリュー・ウェイクフィールド医師による欠陥のある研究が原因であり、その研究は MMR(麻疹・おたふく風邪・風疹)ワクチンと自閉症の関連性を誤って示唆していた。

ロバート・F・ケネディ・ジュニアが大統領執務室でワクチンについて説明 ©2026 AP

その科学的根拠は調査報道ジャーナリストのブライアン・ディアによって否定され、医学誌『ランセット』は 後にその研究論文を撤回し、英国医師会はウェイクフィールドを重大な職業上の不正行為で有罪と判断し、医師登録から抹消した。しかし、米上院による新保健長官への承認に先立ち、彼は上院の承認公聴会で、自分は「ワクチン反対派でも業界反対派でもなく」むしろ「安全性を重視する」と述べた。彼は昨年、テキサス州で麻疹が流行したことを機に、MMRワクチンに関する自身の立場を転換し、フォックスニュースデジタルにワクチンを推奨する記事を寄稿した。しかしドナルド・トランプ米大統領は、MMR ワクチンは「3回に分けて、それぞれ異なる疾患に対するワクチンとして投与されるべきである」とする大統領令に署名した。これは 2001年に研究者らが行ったワクチンのレビューで「単一ワクチンの使用には根拠がない」と結論づけられているにもかかわらずのことである。そして現在、2021年にペンシルベニア州ランカスターでロバート・F・ケネディ・ジュニアが群衆に向けて演説する動画が再び注目を集めている。その中で彼は麻疹の「治療法」だと主張するものを語っていたのである。「麻疹の治療法はチキンスープとビタミンAだが、どちらも特許を取得できるものではない」と彼は述べた。NHS(英国国民保健サービス)によると、「MMRV ワクチンまたは MMR ワクチンを接種することが、麻疹にかかるのを防ぐ最善の方法」であり、接種済みの場合は「脱水症状を防ぐために、休息を取り、水分を十分に摂取することが役立つ」とのことである。ロバート・ケネディ・ジュニアの過去の発言を受けて、彼の辞任を求める声が再び高まっている。下記リンク先はニューヨークタイムズ紙の記事「ロバート・F・ケネディ・ジュニアがワクチン懐疑派に対し《ホワイトハウスに味方がいる》ことを保証します」です。

New York Times  Robert F. Kennedy Jr. Assures Vaccine Skeptics They Have a 'Friend' | The Newyork Times

2026年9月18日

永井荷風『濹東綺譚』挿絵の寂寥

木村荘八『濹東綺譚』挿絵 8(東京国立近代美術館蔵

永井荷風(1879-1959)の小説『濹東綺譚』は1937年、木村荘八(1893-1958)の挿絵とともに「東京朝日新聞」に連載された後、岩波書店から単行本が刊行された。初版本の復刻版が2001年に出版され、ちょっと食指が動いたが、古書蒐集家でもないし、と自分に言い聞かせて見送った。玉の井の私娼街を描いた詩情豊かな随筆風の小説として、広く知られた名作だが、木村荘八の挿絵も評判を呼んだ。作者の分身と思われる、50代後半の小説家、大江匡が、26歳の玉の井の私娼、お雪と出合う場面は次のように描写されている。

復刻岩波文芸書初版本(2001年)
わたくしは多年の習慣で、傘かさを持たずに門を出ることは滅多にない。いくら晴れてゐても入梅中のことなので、其日も無論傘と風呂敷とだけは手にしてゐたから、さして驚きもせず、靜にひろげる傘の下から空と町のさまとを見ながら歩きかけると、いきなり後方うしろから、「檀那、そこまで入れてつてよ。」といいさま、傘の下に眞白な首を突込んだ女がある。油の匂においで結つたばかりと知られる大きな潰し島田には長目に切った銀糸ぎんしをかけてゐる。わたくしは今方通りがかりに硝子戸を明け放した女髪結の店のあつた事を思出した。

上掲の絵がそのシーンだが、これは東京国立近代美術館のデーターベースから拝借した画像ファイルである。着物の裾を膝まで持ちあげ、露出したお雪の素足が艶めかしい。背景の立て看板に「二十銭ハムライス」、暖簾に「和洋スタンド」とあるのが時代を反映していて興味深い。お雪は宇都宮で芸者をしていたが、お金が必要になり、玉の井にやって来た。大江が「馴れない中は驚いただろう。芸者とはやり方がつがうから。」と問うと「そうではないわ。初めッから承知で来たんだだもの。芸者は掛かりまけがして、借金の抜ける時がないもの。それに……身を落すなら稼ぎが結句徳だもの。」とお雪は答える。胸に迫る言葉だ。原画の寄贈者が木村初枝となっているが、親族だろうと想像する。しかし夫人なのかそれとも娘なのか、具体的な関係がはっきりしないのが不思議だ。木村荘八は挿絵を描くために玉の井に通ったそうだが、私娼街の夜の暗さと共に生きる、女と男の寂寥を見事に描き出している。永井荷風と同じく、東京下町の人情風俗に限りない愛着をよせていた東京人であったのだろう。それにしても私が所有している、岩波文庫の挿絵は余りにも小さく不鮮明だ。今からでも遅くない、やはり復刻初版本を買おうかなという気持ちに傾く。蔵書は断捨離すべき存在、困った性分である。

青空文庫  永井荷風『濹東綺譚』青空文庫:著作権が消滅した作品や著者が許諾した作品の無料公開電子書籍

2026年9月17日

田中伸介コネチカット大学助教授が警告するデータセンターの健康被害

CyrusOne
コネチカット州ノーウォークにある CyrusOne データセンター施設の資料写真

人工知能の利用拡大が大きな要因となり、米国ではますます多くのデータセンターが建設されている。これには大きな代償が伴っている。データセンターは膨大な量のエネルギーを消費するが、そのほとんどは依然として化石燃料由来である。これにより、消費者のエネルギー価格も上昇している。データセンターは1日に数百万ガロンもの水を使用するため、地域における水の供給量と価格の手頃さが脅かされている。こうした懸念を踏まえ、健康・環境経済学の専門家であり、コネチカット大学農学・健康・天然資源学部(CAHNR)の農業・資源経済学の田中伸介助教授が、これらの問題が人間と環境の健康にどのような影響を与えているかについて見解を述べている。コネチカット州は2021年から、州内にデータセンターを建設する開発業者に対し、税制優遇措置を提供し始めた。それ以来、データセンター建設計画に対する地元住民の反対運動が拡大している。グロトン、ウェストヘイブン、モリスの各自治体は、それぞれの地域でデータセンター建設の一時停止措置を講じた。その他多くの自治体も、独自の禁止措置の導入を検討している。「これは決して地域だけの問題ではない」と田中は語る。データセンターと健康に関する最大の問題の一つは、データセンターが大気汚染の増加に寄与していることだという。

world 2026
主要国のデータセンター数(2026年2月)

曰く「最大の問題は、データセンターが大量のエネルギーを消費することです」「現在も化石燃料が主要なエネルギー源として使われており、発電時に汚染物質を排出します」と主張する。「大気汚染は人間の健康に大きな影響を与えます」「このテーマに関する研究は数多くあります。データセンターは増加の一途をたどり、その増加ペースは急激に加速しており、大気汚染への懸念は地域的な問題にとどまらず、広域的な問題となっています」と田中は言う。地域レベルでは、データセンターにはバックアップ電源としてディーゼル発電機が設置されており、そこでも大気汚染が発生している。データセンターのブームは比較的新しいため、それらを稼働させるためにどれだけの電力、ひいてはどれだけの汚染物質が排出されているかを包括的に分析した研究はまだ行われていない。しかしコーネル大学の研究では、データセンターによって2030年までに2,400万トンから4,400万トンの二酸化炭素が大気中に追加的に排出されると予測されている。正確な数値は不明瞭かもしれないが、研究者たちは大気汚染が健康に及ぼす影響について既に多くのことを知っている。エネルギー消費量の増加とそれに伴う汚染の増加が、地域の健康や環境にどのような影響を与えるかという懸念は、周知の事実です」と田中は言う「さまざまな状況における証拠をデータセンターにも応用することができます」と。

Amazon
ヴァージニア州スターリングで建設中のアマゾンウェブサービスの新データセンター

もう一つ考慮すべき点は、データセンターは土地が安い場所に建設されるということである。つまり、これらの地域は一般的に資源が不足している地域であり、多くの場合、有色人種のコミュニティである。これは、既存の健康格差をさらに悪化させる可能性がある。データセンターは24時間365日騒音公害を発生させており、風力タービンや空港からの騒音公害に関する研究に基づくと、この騒音公害はうつ病や自殺率の上昇と関連付けられている。また、騒音公害は住宅価格の低下にもつながる。さらに、多くの地域で気温上昇と乾燥化が進むにつれ、データセンターの水使用量はますます深刻な問題となっている。これは、消費者の水道料金の値上げにもつながる可能性がある。「彼らは大量の水を消費している」「特に最近は、高温と降雨不足が続いており、今年は多くの地域で干ばつが発生している。そのため、水不足も懸念材料の一つとなっている」と田中は警告する。データセンターをより持続可能な方法で運営する方法はいくつかある。例えば、データセンターのバックアップ電源として、ディーゼル発電機の代わりに蓄電池を使用することを義務付ける動きがある。蓄電池はエネルギー効率が高く、大気汚染を直接引き起こさない。また、データセンターは再生可能エネルギーからより多くの電力を調達することも可能だ。「経済的な繁栄と環境の持続可能性・保護の両立は可能だと考えています」「重要なのはデータセンターを禁止することだけではありません。ですから、どのように電力を生成するかを考える必要があるのです」と田中は結論している。下記リンク先はコネチカット大学の記事「田中信介助教授がデータセンター建設が環境や健康に及ぼす影響について考察する」です。

university  Shinsuke Tanaka weighs environmental & health implications of data center construction

2026年9月16日

率直な筆致と臨場感で見る者をその情景へと引き込む写真家フィル・ペンマン

Walking in Midtown, New York
Walking in Midtown, New York, 2018
Phil Penman

フィル・ペンマンは1977年、イングランドのドーセット州ブライアンツパドルで生まれた。バークシャー美術デザイン大学で写真の正式な訓練を受けた後、地元の新聞社『ウォーキンガム・タイムズ』紙で働いた。2000年、ペンマンはカリフォルニア州ロサンゼルスに移り、その後ニューヨークに移り、セレブニュースエージェンシーのスプラッシュニュースに入社した。セレブを撮影する傍ら『ガーディアン』『インディペンデント』『デイリーテレグラフ』紙のために世界中のニュースを取材し『パリマッチ』誌にも特集記事を掲載した。2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルへの同時多発テロ事件の現場に居合わせ、カメラでその出来事の貴重な映像を撮影した。NBCの「トゥデイ」をはじめ、BBC、ヒストリーチャンネル、アルジャジーラなどで取り上げられ、その時の作品は国立9月11日記念博物館の永久アーカイブに収蔵されている。フィル・ペンマンがその日に撮影した女性は、17年後に彼女自身の結婚式の撮影を彼に依頼した。

Walking Dead
Walking Dead, New York, 2020

ニューヨークにおけるパンデミックによるロックダウンを取材した彼の作品は、ウォーカー・エヴァンスやドロシア・ラングといった大恐慌時代の偉大なドキュメンタリー写真家の作品を所蔵する米国議会図書館に収蔵された。ペンマンは、ニューヨーク、ワシントンD.C.、ボストン、ロンドンのライカギャラリーで作品を発表するほか、その代表的なストリートフォトグラフィーは、ヴェネツィア、ベルリン、シドニーなど、遠く離れた国際展にも出品されている。 またライカアカデミー主催の写真ワークショップで世界中を巡回指導している。

Monana Lisa
Monana Lisa, New York, 2020

最近では、アンリ・カルティエ=ブレッソン、セバスチャン・サルガド、ダイアン・アーバス、ギャリー・ウィノグランドといった巨匠たちと並び、「最も影響力のあるストリートフォトグラファー52人」の一人に選ばれた。2019年に出版されたペンマン初の写真集『ストリート』はベストセラーとなり、ニューヨーク近代美術館でも展示された。彼はまた、アメリカ東海岸の大都市を、めったに見られない、穏やかで静かな一面から捉えている。

Umbrella Man
Umbrella Man, New York, 2025

これらの写真は、大雪の嵐の最中とコロナ禍のロックダウン中に撮影されたもので、それまで私たちが知っていた世界を完全にひっくり返したパンデミックによる制限を、現代の視点から証言している。 イギリス生まれの彼は、20年以上にわたりニューヨークの街を撮影してきた。マイケル・ジャクソン、マドンナ、ジェニファー・ロペス、ビル・ゲイツといった著名人の写真で知られている。 2001年9月11日、ニューヨーク史上最大の悲劇が街を揺るがした。

Midtown
Midtown, New York, 2020

フィル・ペンマンは現場に居合わせ、カメラでその出来事の貴重な映像を撮影した。彼は街の最も繊細な瞬間を印象的な方法で捉える術を知っている。モノクロ写真で親密な瞬間を捉え、喧騒から遠く離れたニューヨークの人々と街並みを見せてくれる。大都市の都会生活がこれほどまでにリアルに描かれているため、思わず笑みがこぼれる写真もある。ペンマンは、爽快なほど率直な筆致と、まるでその場にいるかのような臨場感で、見る者を文字通りその情景へと引き込む写真家である。下記リンク先はフィル・ペンマンの公式ウェブサイトです。

photographer Phil Penman (born in 1977) Exhibitions | Publications | Workshops | Artworks | Contact

2026年9月15日

写真術における偉大なる達人たち

New Mothers
Sally Mann (born 1951) The New Mothers, Lexington, Virginia, 1989

2021年の秋以来、思いつくまま世界の写真界20~21世紀の達人たちの紹介記事を拙ブログに綴ってきましたが、2026年9月15日現在のリストです。右端の()内はそれぞれ写真家の生年・没年です。左端の年月日をクリックするとそれぞれの掲載ページが開きます。

21/10/06多くの人々に感動を与えたアフリカ系アメリカ人写真家ゴードン・パークスの足跡(1912–2006)
21/10/08グループ f/64 のメンバーだった写真家イモージン・カニンガムは化学を専攻した(1883–1976)
21/10/10圧倒的な才能を持ち現代アメリカの芸術写真を牽引したポール・ストランド(1890–1976)
21/10/11何気ない虚ろなアメリカを旅したスイス生まれの写真家ロバート・フランク(1924–2019)
21/10/13作為を排した新客観主義に触発されたストリート写真の達人ロベール・ドアノー(1912–1994)
21/10/16大恐慌時に農村や小さな町の生活窮状をドキュメントした写真家ラッセル・リー(1903–1986)
21/10/17日記に最後の晩餐という言葉を残して自死した写真家ダイアン・アーバスの黙示録(1923–1971)
21/10/19フォトジャーナリズムの手法を芸術の域に高めた写真家ユージン・スミスの視線(1918–1978)
21/10/24時代の風潮に左右されず独自の芸術観を持ち続けたプラハの詩人ヨゼフ・スデック(1896-1976)
21/10/27西欧美術を米国に紹介した写真家アルフレッド・スティーグリッツの功績(1864–1946)
21/11/01美しいパリを撮影していたウジェーヌ・アジェを「発見」したベレニス・アボット(1898–1991)
21/11/08近代ストレート写真を先導した 20 世紀の写真界の巨匠エドワード・ウェストン(1886–1958)
21/11/10芸術を通じて社会や政治に影響を与えることを目指した写真家アンセル・アダムス(1902–1984)
21/11/13大恐慌を記録したウォーカー・エヴァンスの被写体はその土地固有の様式だった(1903–1975)
21/11/16写真少年ジャック=アンリ・ラルティーグは個展を開いた 69 歳まで無名だった(1894–1986)
21/11/20ハンガリー出身の世界で最も偉大な戦争写真家ロバート・キャパの短い人生(1913–1954)
21/11/25児童労働の惨状を訴えるため現実を正確に捉えた写真家ルイス・ハインの偉業(1874–1940)
21/12/01マグナム・フォトを設立した写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの決定的瞬間(1908–2004)
21/12/06犬を人間のいくつかの性質を持っているとして愛撮したエリオット・アーウィット(1928-2023)
21/12/08リチャード・アヴェドンの洗練され権威ある感覚をもたらしたポートレート写真(1923–2004)
21/12/12デザインと産業の統合に集中したバウハウスの写真家ラースロー・モホリ=ナジ(1923–1928)
21/12/17ダダイズムとシュルレアリスムに跨る写真を制作したマン・レイは革新者だった(1890–1976)
21/12/29フォトジャーナリズムに傾倒したアラ・ギュレルの失われたイスタンブル写真素描(1928–2018)
22/01/10ペルーのスタジオをヒントに自然光に拘ったアーヴィング・ペンの鮮明な写真(1917-2009)
22/02/25非現実的なほど歪曲し抽象的な遠近感を生み出した写真家ビル・ブラントのカメラ(1904–1983)
22/03/09男性ヌードや花を白黒で撮影した異端の写真家ロバート・メイプルソープへの賛歌(1946–1989)
22/03/18ニューヨーク近代美術館で写真展「人間家族」を企画したエドワード・スタイケン(1879–1973)
22/03/24公民権運動の影響を記録したキュメンタリー写真家ブルース・デヴッドソンの慧眼(born 1933)
22/04/21社会的弱者に寄り添いエモーショナルに撮影した写真家メアリー・エレン・マーク(1940-2015)
22/05/20早逝した写真家リンダ・マッカートニーはザ・ビートルズのポールの伴侶だった(1941–1998)
22/06/01大都市に変貌する香港を活写して重要な作品群を作り上げたファン・ホーの視線(1931–2016)
22/06/12肖像写真で社会の断面を浮き彫りにしたドキュメント写真家アウグスト・ザンダー(1876–1964)
22/08/01スペイン内戦取材で26歳という若さに散った女性戦争写真家ゲルダ・タローの生涯 (1910–1937)
22/09/16カラー写真を芸術として追及したジョエル・マイヤーウィッツの手腕(born 1938)
22/09/25死と衰退を意味する作品を手がけた女性写真家サリー・マンの感性(born 1951)
22/10/17北海道の風景に恋したイギリス人写真家マイケル・ケンナのモノクロ写真(born 1951)
22/11/06アメリカ先住民を「失われる前に」記録したエドワード・カーティス(1868–1952)
22/11/16大恐慌の写真 9,000 点以上を制作したマリオン・ポスト・ウォルコット(1910–1990)
22/11/18人間の精神の深さを写真に写しとったアルゼンチン出身のペドロ・ルイス・ラオタ (1934-1986)
22/12/10アメリカの生活と社会的問題を描写した写真家ゲイリー・ウィノグランド(1928–1984)
22/12/16没後に脚光を浴びたヴィヴィアン・マイヤーのストリート写真(1926–2009)
22/12/23写真家集団マグナムに参画した初めての女性報道写真家イヴ・アーノルド(1912-2012)
23/03/25写真家フランク・ラインハートのアメリカ先住民のドラマチックで美しい肖像写真(1861-1928)
23/04/13複雑なタブローを構築するシュールレアリスム写真家サンディ・スコグランド(born 1946)
23/04/21キャラクターから自らを切り離したシンディー・シャーマンの自画像(born 1954)
23/05/01震災前のサンフランシスコを記録した写真家アーノルド・ジェンス(1869–1942)
23/05/03メキシコにおけるフォトジャーナリズムの先駆者マヌエル・ラモス(1874-1945)
23/05/05文学と芸術に没頭し超現実主義絵画に着想を得た台湾を代表する写真家張照堂(1943-2024)
23/05/07家族の緊密なポートレイトで注目を集めた写真家エメット・ゴウィン(born 1941)
23/05/22欲望やジェンダーの境界を無視したクロード・カアンのセルフポートレイト(1894–1954)
23/05/2520世紀初頭のアメリカの都市改革に大きく貢献したジェイコブ・リース(1849-1914)
23/06/05都市の社会風景という視覚的言語を発展させた写真家リー・フリードランダー(born 1934)
23/06/13写真芸術の境界を広げた暗室の錬金術師ジェリー・ユルズマンの神技(1934–2022)
23/06/15強制的に収容所に入れられた日系アメリカ人を撮影したドロシア・ラング(1895–1965)
23/06/20劇的な国際的シンボルとなった「プラハの春」を撮影したヨゼフ・コウデルカ(born 1958)
23/06/24警察無線を傍受できる唯一のニューヨークの写真家だったウィージー(1899–1968)
23/07/03フォトジャーナリズムの父アルフレッド・アイゼンシュタットの視線(1898–1995)
23/07/06ハンガリーの芸術家たちとの交流が反映されたアンドレ・ケルテスの作品(1894-1985)
23/07/08家族が所有する島で野鳥の写真を撮り始めたエリオット・ポーター(1901–1990)
23/07/08戦争と苦しみを衝撃的な力でとらえた報道写真家ドン・マッカラン(born 1935)
23/07/17夜のパリに漂うムードに魅了されていたハンガリー出身の写真家ブラッサイ(1899–1984)
23/07/2020世紀の著名人を撮影した肖像写真家の巨星ユーサフ・カーシュ(1908–2002)
23/07/22メキシコの革命運動に身を捧げた写真家ティナ・モドッティのマルチな才能(1896–1942)
23/07/24ロングアイランド出身のマルクス主義者を自称する写真家ラリー・フィンク(born 1941)
23/08/01アフリカ系アメリカ人の芸術的な肖像写真を制作したコンスエロ・カナガ(1894–1978)
23/08/04ヒトラーの地下壕の写真を世界に初めて公開したウィリアム・ヴァンディバート(1912-1990)
23/08/06タイプライターとカメラを同じように扱った写真家カール・マイダンス(1907–2004)
23/08/08ファッションモデルから戦場フォトャーナリストに転じたリー・ミラーの生涯(1907-1977)
23/08/14ニコンのレンズを世界に知らしめたデイヴィッド・ダグラス・ダンカンの功績(1907-2007)
23/08/18超現実的なインスタレーションアートを創り上げたサンディ・スコグランド(born 1946)
23/08/20シカゴの街角やアメリカ史における重要な瞬間を再現した写真家アート・シェイ(1922–2018)
23/08/22大恐慌時代の FSA プロジェクト 最初の写真家アーサー・ロススタイン(1915-1986)
23/08/25カメラの焦点を自分たちの生活に向けるべきと主張したハリー・キャラハン(1912-1999)
23/09/08イギリスにおけるフォトジャーナリズムの先駆者クルト・ハットン(1893–1960)
23/10/06ロシアにおけるデザインと構成主義創設者だったアレクサンドル・ロトチェンコ(1891–1956)
23/10/18物事の本質に近づくための絶え間ない努力を続けた写真家ウィン・バロック(1902–1975)
23/10/27先見かつ斬新な作品により写真史に大きな影響を与えたウィリアム・クライン(1926–2022)
23/11/09アパートの窓から四季の移り変わりの美しさなどを撮影したルース・オーキン(1921-1985)
23/11/15死や死体の陰翳が纏わりついた写真家ジョエル=ピーター・ウィトキンの作品(born 1939)
23/12/01近代化により消滅する前のパリの建築物や街並みを記録したウジェーヌ・アジェ(1857-1927)
23/12/15同時代で最も有名で最も知られていないストリート写真家のヘレン・レヴィット(1913–2009)
23/12/20哲学者であることも写真家であることも認めなかったジャン・ボードリヤール(1929-2007)
24/01/08音楽や映画など多岐にわたる分野で能力を発揮した写真家ジャック・デラーノ(1914–1997)
24/02/25シチリア出身のイタリア人マグナム写真家フェルディナンド・スキアンナの視座(born 1943)
24/03/21パリで花開いたロシア人ファッション写真家ジョージ・ホイニンゲン=ヒューン(1900–1968)
24/04/04報道写真家として自活することに成功した最初の女性の一人エスター・バブリー(1921-1998)
24/04/20長時間露光により時間の多層性を浮かび上がらせたアレクセイ・ティタレンコ(born 1962)
24/04/2820世紀後半のイタリアで最も重要な写真家ジャンニ・ベレンゴ・ガルディン(born 1930)
24/04/30トルコの古い伝統の記憶を守り続ける女性写真家 F・ディレク・ウヤル(born 1976)
24/05/01ファッション写真に大きな影響を与えたデヴィッド・ザイドナーの短い生涯(1957-1999)
24/05/08社会の鼓動を捉えたいという思いで写真家になったリチャード・サンドラー(born 1946)
24/05/10直接的で妥協がないストリート写真の巨匠レオン・レヴィンシュタイン(1910–1988)
24/05/12自らの作品を視覚的な物語と定義している写真家スティーヴ・マッカリー(born 1950)
24/05/14多様な芸術の影響を受け写真家の視点を形作ったアンドレアス・ファイニンガー(1906-1999)
24/05/16芸術的表現により繊細な目を持つ女性写真家となったマルティーヌ・フランク(1938-2012)
24/05/18ドキュメンタリー写真をモノクロからカラーに舵を切ったマーティン・パー(born 1952)
24/05/21先駆的なグラフ誌『ピクチャー・ポスト』を主導した写真家バート・ハーディ(1913-1995)
24/05/24グラフ誌『ライフ』に30年間投稿し続けたロシア生まれの写真家リナ・リーン(1914-1995)
24/05/27旅する写真家として20世紀後半の歴史に残る象徴的な作品を制作したルネ・ブリ(1933-2014)
24/05/29高速ストロボスコープ写真を開発したハロルド・ユージン・エジャートン(1903-1990)
24/06/03一般市民とそのささやかな瞬間を撮影したオランダの写真家ヘンク・ヨンケル(1912-2002)
24/06/10ラージフォーマット写真のデジタル処理で成功したアンドレアス・グルスキー(born 1955)
24/06/26レンズを通して親密な講釈と被写体の声を伝えてきた韓国出身のユンギ・キム(born 1962)
24/07/05演出されたものではなく現実的なファッション写真を開発したトニ・フリッセル(1907-1988)
24/07/07スウィンギング60年代のイメージ形成に貢献した写真家デイヴィッド・ベイリー(born 1938)
24/07/13著名人からから小さな町の人々まで撮影してきた写真家マイケル・オブライエン(born 1950)
24/07/14人々のドラマが宿る都市のカラー写真を制作したコンスタンティン・マノス(born 1934)
24/08/04写真家集団「マグナム・フォト」所属するただ一人の日本人メンバー久保田博二(born 1939)
24/08/08ロバート・F・ケネディの死を悼む人々を葬儀列車から捉えたポール・フスコ(1930–2020)
24/08/13クリスティーナ・ガルシア・ロデロが話したいのは時間も終わりもない出来事だ(born 1949)
24/08/30ドキュメンタリーと芸術の境界を歩んだカラー写真の先駆者エルンスト・ハース(1921–1986)
24/09/01国際的写真家集団マグナム・フォトの女性写真家スーザン・メイゼラスの視線(born 1948)
24/09/09アパルトヘイトの悪と日常的な社会への影響を記録したアーネスト・コール(1940–1990)
24/09/14宗教的または民俗的な儀式に写真撮影の情熱を注ぎ込んだラモン・マサッツ(1931-2024)
24/09/23アメリカで最も有名な無名の写真家と呼ばれたエヴリン・ホーファー(1922–2009)
24/09/25自身を「大義を求める反逆者」と表現した写真家マージョリー・コリンズ(1912-1985)
24/09/27北海道の小さな町にあった営業写真館を継がず写真芸術の道を歩んだ深瀬昌久(1934-2012)
24/10/01現代アメリカの風変わりで平凡なイメージに焦点を当てた写真家アレック・ソス(born 1969)
24/10/04微妙なテクスチャーの言語を備えた異次元の写真を追及したアーサー・トレス(born 1940)
24/10/06オーストリア系イギリス人のエディス・チューダー=ハートはソ連のスパイだった(1908-1973)
24/10/08映画の撮影監督でもあったドキュメンタリー写真家ヴォルフガング・スシツキー(1912–2016)
24/10/15芸術のレズビアン・サブカルチャーに深く関わった写真家ルース・ベルンハルト(1905–2006)
24/10/19ランド・アートを通じて作品を地球と共同制作するアンディ・ゴールドワージー (born 1956)
24/10/29公民権運動の活動に感銘し刑務所制度の悲惨を描写した写真家ダニー・ライアン (born 1942)
24/11/01人間の状態と現在の出来事を記録するストリート写真家ピータ―・ターンリー (born 1955)
24/11/04写真を通じて現代の社会的状況を改善することに専念したアーロン・シスキンド(1903-1991)
24/11/07自然と植物の成長にインスピレーションを受けた写真家カール・ブロスフェルト(1865-1932)
24/11/09ストリート写真で知られているリゼット・モデルは教える才能を持っていた(1901-1983)
24/11/11カラー写真が芸術として認知されるようになった功労者ウィリアム・エグルストン(born 1939)
24/11/13革命後のメキシコ復興の重要人物だった写真家ローラ・アルバレス・ブラボー(1903-1993)
24/11/15チリの歴史上最も重要な写真家であると考えられているセルヒオ・ララインの視座(1931-2012)
24/11/19イギリスのアンリ・カルティエ=ブレッソンと評されたジェーン・ボウン(1925-2014)
24/11/25カラー写真の先駆者ソール・ライターは戦後写真界の傑出した人物のひとりだった(1923–2013)
24/11/25サム・フォークがニューヨーク・タイムズに寄せた写真は鮮烈な感覚をもたらした(1901-1991)
24/11/29ゲイ解放運動の活動家だったトランスジェンダーの写真家ピーター・ヒュージャー(1934–1987)
24/12/01複数の芸術的才能に恵まれていた華麗なるファッション写真家セシル・ビートン(1904–1980)
24/12/05ライフ誌と空軍で活躍した女性初の戦場写真家マーガレット・バーク=ホワイト(1904–1971)
24/12/07愛と美を鮮明に捉えたロマン派写真家エドゥアール・ブーバの平和への眼差し(1923–1999)
24/12/10保守的な政治体制と対立しながら自由のために写真を手段にしたエヴァ・ペスニョ(1910–2003)
24/12/15自然環境における人間の姿を研究することに関心を寄せた写真家マイケル・ぺト(1908-1970)
24/12/20ベトナム戦争中にナパーム弾攻撃から逃げる子供たちを撮影したニック・ウット(born 1951)
25/01/06記録映画の先駆者であり前衛映画製作者でもあった写真家ラルフ・スタイナー(1899–1986)
25/01/10アメリカ西部を占める文化の多様性を反映した写真家ローラ・ウィルソンの足跡(born 1939)
25/01/15フランスの人文主義写真運動で活躍したスイス系フランス人ザビーネ・ヴァイス(1924–2021)
25/02/03サルバドール・ダリとの共作でシュールな写真を創出したフィリップ・ハルスマン(1906–1979)
25/02/06ベトナム戦争に対する懸念を形にした写真家フィリップ・ジョーンズ・グリフィス(1936-2008)
25/02/18芸術に複数の糸を持っていたシュルレアリスムの写真家エミール・サヴィトリー(1903-1967)
25/03/19シュルレアリスムの先駆的な写真家でピカソのモデルで恋人だったドラ・マール(1907-1997)
25/03/25ホロコースト前の東欧のユダヤ人社会を記録した写真家ローマン・ヴィスニアック(1897-1990)
25/04/01ソーシャルワーカーからライフ誌の専属写真家に転じたウォレス・カークランド(1891–1979)
25/04/04写真家ビル・エプリッジは20世紀で最も優れたフォトジャーナリストの一人だった(1938-2013)
25/04/25ロバート・キャパの弟で総合施設国際写真センターを設立したコーネル・キャパ(1918-2008)
25/05/01激動1960年代の音楽家たちをキャプチャーした写真家エリオット・ランディの慧眼(born 1942)
25/05/23生まれ故郷ブラジルの熱帯雨林アマゾン川流域へのセバスチャン・サルガドの視座(1944-2025)
25/06/22風景への畏敬の念と激動の気象現象への驚異が伝わるミッチ・ドブラウナーの写真(born 1956)
25/07/26ティンタイプ写真でアパラチアの伝承音楽家に焦点を当てたリサ・エルマーレ(born 1984)
25/08/03色彩の卓越した表現を通して写真というジャンルを超越したデビッド・ラシャペル(born 1963)
25/08/20ヨーロッパ解放やコンゴ紛争などでの勇敢な取材で知られるドミトリ・ケッセル(1902–1995)
25/08/25長大吊り橋を撮影したピーター・スタックポールはライフ誌創刊の写真家になった(1913-1997)
25/09/08アパラチアや南東部の農村地帯の人々の肖像写真で知られているドリス・ウルマン(1882-1934)
25/08/25長大吊り橋を撮影したピーター・スタックポールはライフ誌創刊の写真家になった(1913-1997)
25/09/15指導者であり預言者であり歴史家であり学者だった写真家ジョン・ローエンガード(1934-2020)
25/09/17女性を客体ではなく主体として描写した写真家エレン・フォン・アンワースの視線(born 1954)
25/09/22精巧に演出された赤ちゃんたちの愛らしい写真で世界的に評価されるアン・ゲデス(born 1956)
25/09/26エロティックで都会的なスタイルの頂点を極めた写真家ヘルムート・ニュートン(1920-2004)
25/10/06モデルからファッション写真家に転じたスリランカ系英国人ナイジェル・バーカー(born 1972)
25/10/15ヴィクトリア朝イギリスで最も有名な写真家ジュリア・マーガレット・キャメロン(1815-1879)
25/10/17革新的手法を用いたドイツ系ユダヤ人写真家エーリッヒ・ザロモンの悲劇的な運命(1886-1944)
25/10/20地球の環境破壊と気候変動の壊滅的な影響を明瞭に伝える写真家ニック・ブラント(born 1964)
25/10/23政治家や作家など世界の重要人物の精緻な肖像写真を撮影したユーサフ・カーシュ(1908-2002)
25/10/26直面する不正義と対峙するパレスチナ系オランダ人写真家サキル・カデルの眼差し(born 1990)
25/11/12目に見えない鳥の飛行経路を可視化した作品で知られる写真家シャビ・ボウの秘技(born 1979)
25/11/18自身の文化的環境を探求したメキシコを代表する写真家グラシエラ・イトゥルビデ(born 1942)
25/11/25フォトルポルタージュの新たな時代を築いたスペインの写真家ラモン・マサッツ(1931-2024)
25/12/10畏敬の対象となる自然風景および聖なる場所を崇拝した風景写真家リンダ・コナー(born 1944)
25/12/23インド初の女性報道写真家で独立国家への変遷を記録したホマイ・ヴィヤラワラ(1913-2012)
26/01/04モデルから転身した写真家サラ・ムーンの雰囲気により際立った印象派的な作品(born 1941)
26/01/07音楽に合わせた写真「ドリーム・ピクチャーズ」で知られるブランソン・デク―(1892-1941)
26/01/22技術者の客観性と技術的志向を写真撮影に反映させたエミール・ハイルボルン(1900-2003)
26/01/26芸術的側面と社会的な側面の二つの特質を最適に供えた女性写真家アタ・カンドー(1913-2017)
26/03/05戦争や貧困など社会の底辺を記録して世界的な評価を得た写真家ドン・マッカラン(born 1935)
26/03/22カメラで芸術的インスピレーションを追求した写真家リオ・ディジローラモの軌跡(1934–2019)
26/05/05写真界では神童のような存在と見なされた巨匠ハロルド・ファインスタイン (1931-2015)
26/05/22形式と感情の巨匠:ドイツ人写真家トニ・シュナイダース不朽の遺産(1920-2006)
26/06/07スコットランド出身の華麗なるプリントのレジェンド写真家アルバート・ワトソン(born 1942)
26/06/11目撃者であることだけで十分かと自らを問いつめた夭折の報道写真家ジル・カロン(1939-1970)
26/06/23困難な状況下での撮影のための新しいツールを開発した写真家 J・R・アイヤーマン(1906-1985)
26/06/25イメージを通じて抽象的な科学的概念を幅広い層に伝えた写真家フリッツ・ゴロ(1901-1986)
26/07/05フランスにおけるピクトリアリズム運動の主な提唱者だったコンスタン・ピュヨー(born 1979)
26/07/16忘れ去られたものの転生としてのヌード作品を制作する写真家ルスラン・ロバノフ(born 1979)
26/07/21スノードン卿が「イギリスのカルティエ=ブレッソン」称えたジェーン・バウン(1921-2014)
26/07/31ピクトリアリスムからストレート写真に移行する日本の写真界を牽引した野島康三(1889-1964)
26/08/01北海道の小さな町にあった営業写真館を継がず写真芸術の道を歩んだ深瀬昌久(1934-2012)
26/08/04芸術を通して時代の記憶を構築したアルゼンチンを代表する写真家サラ・ファシオ(1932–2024)
26/08/05根源的な問いに向き合う日本を代表するストリート写真のレジェンダリー森山大道(born 1938)
26/08/08時間が日常の物や表面にどのような痕跡を残すのかを探求し続けてきた石内都(born 1947)
26/08/09若くして自死した写真家フランチェスカ・ウッドマンの脆くも美しい作品たち(1958-1981)
26/08/12影響力のある雑誌で女性写真家として活躍したドイツ系アメリカ人リサ・ラーセン(1925-1959)
26/08/17写真家としての直感と創造性を示す数々の写真を後世に残したマーサ・ホームズ(1923-2006)
26/08/22写真家としてのリアルな日常をとらえたスナップで知られるバヴァニョーリ(1932-2024)
26/09/12忘れ去られているアメリカ屈指の戦争写真家ジョン・フロレアの作品(1916-2000)
26/09/15率直な筆致と臨場感で見る者をその情景へと引き込む写真家フィル・ペンマン(born 1977)

子供の頃「明治は遠くなりにけり」という言葉を耳にした記憶がありますが、今まさに「20世紀は遠くなりにけり」の感があります。掲載した作品の大半がモノクロ写真で、カラー写真がわずかのなのは偶然ではないような気がします。20世紀のアートの世界ではモノクロ写真が主流だったからです。しかしデジタルカメラが主流になった21世紀、カラー写真の台頭に目覚ましいものがあります。ジョエル・マイヤーウィッツとサンディ・スコグランド、ジャン・ボードリヤール、 F・ディレク・ウヤル、マーティン・パー、コンスタンティン・マノス、久保田博二、ポール・フスコ、エルンスト・ハース、エヴリン・ホーファー、アレック・ソス、アンディ・ゴールドワージー、ウィリアム・エグルストン、ソール・ライタ、フリッツ・ゴロなどのカラー作品を取り上げました。

photography  Famous Photographers: Great photographs can elicit thoughts, feelings, and emotions.

アイルランド統一についてのトランプ米大統領の発言が物議をかもす

cartoon
Trump's Remarks on Irish Unification Spark Controversy by Unknown cartoonist

ドナルド・トランプ米大統領は、訪問先のアイルランドの首都ダブリンで、英領北アイルランドの帰属問題に関し「アイルランドと統一するのを見たい」と述べ、統一を支持する考えを示した。アイルランドのミホル・マーティン首相との会談後の共同記者会見で語った。英国内では反発の声が上がっており、米英の新たな対立の火種となりそうだ。これに対し英国の国会議員ロバート・ジェンリックは、ドナルド・トランプによるアイルランド統一の呼びかけは「全く間違っている」と述べた。またリフォーム UK 財務担当報道官は「我々は労働組合支持政党であり、そのことはリフォーム UK という名前にも表れている。我々は常に労働組合を支持する」「私は数週間前に北アイルランドを訪れ、そのメッセージを改めて伝えました。ナイジェル・ファラージも昨日、我々が米国と意見が一致する点もあるかもしれないと明確に述べていました。しかしこの点に関してはドナルド・トランプとは断固として反対です」と主張した。

map
The island of Ireland divided into two countries

ロバート・ジェンリックはさらに「改革党政権下では、北アイルランドは常に英国の一部となるが、それはグッドフライデー合意の条件、つまり双方に過半数の支持者がいる場合に限る」我々は必ずベルファスト合意を支持する。そして、北アイルランドが英国の一員としての地位を守り抜く」と述べた。ジェンリックはトランプ大統領がアイルランドへの2日間の訪問の初日である土曜日に「統一されたアイルランドを見てみたい」と述べたことに対し、反応を示したのである。一方記者からアイルランド統一に関する見解を尋ねられた。ドナルド・トランプ大統領は「いずれそうなるだろう」と述べ「皆にとって大きな名誉となるだろう」と付け加え、「どうして悪いことになり得るだろうか?」と語った。米国大統領はその後、ダブリンの米国大使館で演説し、自身の発言を改めて強調した。「実は、それはすごくクールなことだと思うと言ったんです」と彼は言った。「正直に言うと、クールだと思いますよ」と。

Donald Trump with Taoiseach Micheal Martin
Micheal Martin and Donald Trump, Dublin ©2026 AP News

また24時間衛星チャン・ネルスカイニュースの『サンデー・モーニング・ウィズ・レイチェル・ジョンソン』に出演した影の外務大臣トム・トゥーゲンハットは、トランプの発言を「役に立たない」と評した。「歴代の米国大統領は、北アイルランドの人々が自らの未来を決定する権利を伝統的に支持してきた。それが、ベルファスト合意(グッドフライデー合意)に至った経緯だ」「彼が共和党員だとは知って会いうランドいたが、まさかあんなタイプの共和党員だとは思わなかった。だが、これは我々が同盟国に期待するようなやり方ではない」と主張した。同番組に出演した住宅都市開発長官のアンジェラ・レイナーは、米国大統領の発言について「ドナルド・トランプはドナルド・トランプであり、大統領は自分の考えをそのまま口にするだろう」「我々は聖金曜日合意を非常に真剣に考えている。」と述べたのである。今年初め、英国のアンディ・バーナム首相は、英国再統一に関する国民投票は「選択肢から外れた」と発言し、政治的な論争を巻き起こした。1998年のベルファスト合意(グッドフライデー合意)の条項に基づき、英国の北アイルランド担当大臣は国境に関する住民投票を実施することを決定でき、アイルランド統一に賛成する人が過半数をアイルランド統一に賛成する人が過半数を占めると確信した場合は、住民投票を実施する義務を負う。憲法改正を実現するには、アイルランド共和国国民の賛成票も必要となる。下記リンク先は AP ニュースの記事「トランプがアイルランド統一を支持したことで、政治的に意見が分かれる問題が再燃した」です。

AP Trump's backing for a united Ireland has reignited a divisive political issue | The AP News

2026年9月14日

音楽雑話(4)スコットランドにおけるバグパイプの歴史

Bagpipers
Bagpipers near Glasgow in Scotland ©Steve Allen

スコットランドの音色をこれほど的確に表すのは、ハイランド・バグパイプ以外にないだろう。しかしバグパイプがどのようにしてスコットランドに伝わったのかは、少々謎に包まれている。バグパイプは古代エジプトが起源で、侵略してきたローマ軍団によってスコットランドにもたらされたと考える歴史家もいる。一方、アイルランドからスコットランドに移住してきた部族によって海を渡ってもたらされたと主張する歴史家もいる。しかし古代エジプトにはこの楽器の起源に関するより古い主張があるようだ。紀元前400年頃には「テーベの笛吹き」たちが犬の皮で作った笛に骨のチャントを付けて吹いていたと伝えられている。そして数百年後この笛の最も有名な演奏者の一人は、偉大なローマ皇帝ネロだったと言われている。ローマが炎に包まれている間、彼はバイオリンではなく笛を吹いていたのかもしれない。しかし確かなことは、バグパイプは世界中の多くの場所で様々な形で存在してきたということである。どの国においても、基本的な楽器の構造は同じ構成要素から成り立っている。すなわち、空気供給装置、チャント付きのバッグ、そして1本または複数のドローンである。バッグに空気を供給する最も一般的な方法は口で息を吹き込むことだった

Parts of the Bagpipes

バッグは一般的に動物の皮で作られており、空気を保持してその流れを調整する気密性の高い容器である。これにより、バグパイプ奏者は呼吸しながら同時に音を出すことがでるす。チャンターはメロディーパイプで、通常は片手または両手で演奏する。ドローンは一般的に2つ以上のスライドする部分で構成されており、パイプの音程を変えることができる。歴史家はピオブ・モール、つまり偉大なハイランド・バグパイプの実際の起源について推測することしかできないが、ハイランダーズ自身がその楽器を現在の形に発展させ、戦時中も平時もそれを自国の民族楽器として確立したのである。元々のハイランドバグパイプは、おそらくドローン管が1本だけで、2本目のドローン管は1500年代半ばから後半にかけて追加されたと考えられている。3本目のドローン管、すなわちグレートドローンは、1700年代初頭に使われるようになった。スコットランド低地地方では、バグパイプ奏者は旅芸人階級の一員として、国境地帯一帯の結婚式、宴会、市などで歌や踊りの音楽を演奏していた。一方、高地地方のバグパイプ奏者は、ケルト文化の影響をより強く受けており、高い地位と尊敬を集めていた。

Variations of the Bagpipes

1700年代までには、バグパイプ奏者が氏族制度において、ハープ奏者に代わって主要なケルト音楽家としての地位を確立し始めたと考えられている。バグパイプが戦場の楽器として初めて記録に登場したのは、1549年のピンキーの戦いで、ハイランド地方の兵士たちの士気を高めるためにトランペットの代わりにバグパイプが使われたという。その甲高く突き刺さるような音は戦場の轟音の中で効果を発揮し、バグパイプの音は最大10マイル離れた場所まで聞こえたと言われている。バグパイプは、そのインスピレーションを与える影響力から、1700年代初頭のハイランドの反乱の際に戦争の道具として分類され、ボニー・プリンス・チャーリーでカロデンの戦いがあった1746年、ロンドンの政府は反抗的な氏族制度を鎮圧しようと試みた。議会法が可決され、凶悪なバグパイプなどの武器の携帯やキルトの着用が刑罰の対象となることが定められた。この法律は最終的に1785年に廃止されたものの、偉大なハイランド・バグパイプの名声を世界中に広めたのは、大英帝国の拡大であった。イギリス陸軍の様々な作戦の先頭に立つのは、しばしば「スカートの悪魔」と呼ばれる有名なハイランド連隊であり、各連隊の先頭には、武器を持たない孤独なバグパイプ奏者が、兵士たちを「死の淵」へと導いていったのである。下記リンク先は旅行代理店グランド・ヨーロピアン・トラベルによる解説記事「スコットランドにおけるバグパイプの歴史 | 起源と文化的意義」です。

バグパイプ  History of Bagpipes in Scotland | Origins & Cultural Significance | Grand European Travel

2026年9月13日

ソーシャルメディアの弊害(35)X(旧Twitter)の記事が検索エンジンで見つかりにくい理由

X
Kyoto Photo Press on X_Twitter (AI)

髙市早苗首相が国会答弁を避け X (旧Twitter)びたりというュースを読んだことがことがあるが、検索エンジンでが引っ掛かった経験がない。たとえば「中東情勢」というキーワードを使えばヒットしそうな気もするが、その気配がない。X の記事が検索エンジンで見つかりにくく、逆にアクセス数の少ないのは、検索エンジンの仕組み(SEO)とソーシャルメディアの性質に根本的な違いがあるからである。理由は大きく分けて四つある。

1)検索エンジンに対する「ドア」が閉じられている
検索エンジン(Googleなど)は、「クローラー」と呼ばれるロボットを巡回させて世界中のウェブページを読み込んでいる。ブログは常にドアが全開だが、X は閉じられている。Googleに「記事を書いたので読みに来てください」と自動で通知する仕組み(XMLサイトマップなど)が整っているため、すぐに検索に登録(インデックス)される。そして X はサーバーへの負荷を減らすため、また自社データを保護するために、外部のクローラーによるアクセスを厳しく制限している。そのため、検索エンジン側がポストを登録したくても、情報を取りに行けない状態になっている。

2)コンテンツの「寿命」と「文字量」の違い
検索エンジンは、ユーザーの疑問を解決できる「情報量の多い、網羅的なページ」を高く評価する。ブログ記事に数千文字のテキスト、画像、見出しが整理されて含まれるため、検索エンジンが「この記事は役に立つ」と判断しやすい。ブログ記事は数年前の記事でも価値が変わらなければ上位に残り続ける(ストック型メディア)である。X は 140文字(〜長文ポスト)の短い断片的な情報が多く、前後の文脈がわからないため、検索エンジンが内容を正しく評価できない。また、情報の新鮮さが重視され、数日〜数週間で価値が下がるため、検索結果に残りにくい。

3)URL(ウェブ上の住所)の構造
検索エンジンは、1つの独立した URL に対して評価を与える。ブログは 「1つのテーマ=1つのURL(記事)」として独立しているため、評価が集中しやすく、検索で見つけやすくなる。X はすべてのポストはタイムラインという巨大な流れの一部である。個別のポストにも URL があるが、構造上、ブログのように「独立した価値ある1ページ」として検索エンジンに認識されにくい性質がある。

4)X のログイン壁
現在のXは、ログインしていない状態だとポストの表示が制限されたり、タイムラインが追えなくなったりすることがある。検索エンジンは「誰でも自由にアクセスして読めるページ」を優先して検索結果に出すため、ログインを求められる可能性のある X のページは評価が下がってしまう。

まとめると、アクセス数が少なくても、ブログは「検索エンジンに見つけてもらい、評価されるためのルール」に完璧に従って作られているためヒットしやすくなっている。逆に X は「その瞬間に、アプリ内で繋がっている人たちに届けること」に特化しているため、外部の検索エンジンからは見えにくくなっているのである。下記リンク先は当ブログが利用しているグーグルのブログ開設案内ページです。

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2026年9月12日

忘れ去られているアメリカ屈指の戦争写真家ジョン・フロレアの作品

Remember Pearl Harbor
Outside La Gleize, US Army Remember Pearl Harbor, 1944

John Florea

ジョン・フロレアは1916年5月28日、オハイオ州アライアンスでルーマニア移民の子として生まれた。1939年から1954年までエヴリン・バーンズと結婚。子供はグウェンドリン・フロレア、メラニー・フロレア、ジョニー・フロレア。孫はショーン・フロレア、シェリー・ブラウン。曾孫はアンドレア・ブラウン、アレイナ・ブラウン、ディラン・ブラウン。1955年から1958年までは女優のマージー・ミラーと結婚していた。彼はまた、シャーリー・ダメリーとの波乱に満ちた3度目の結婚(1968年~1971年)も経験した。1975年の扶養料審理の後、彼女は彼を小さなナイフで背中を刺したとされている。フロレアは彼女を125万ドルで訴え、彼女も彼を同額で訴えた。彼女は、彼が彼女を辱める目的で、1955年の売春逮捕時の逮捕記録と顔写真のコピーを彼女の親しい友人や芸能界の知人にばらまいたと主張した。彼は2000年8月25日にラスベガスで亡くなるまでルース・ジョンソンと同棲していた。フロレアはサンフランシスコ・エグザミナー紙の写真家としてキャリアをスタートさせ、1941年に『ライフ』誌のスタッフに加わり、ハリウッドに住みながら、マリリン・モンローやジェーン・ラッセルといった女優の著名人ポートレートを専門に撮影した。

Torpedos
Torpedos on the Deck of a Ship During the Tarawa Battle, 1943

真珠湾攻撃によってアメリカが第二次世界大戦に参戦した後、彼はアメリカ初の太平洋戦争従軍記者団に加わった。彼の最初の任務は空母エセックスへの乗艦だった。彼は兵士たちが日本軍に宛てたメッセージが書かれた爆弾、甲板に散乱する破壊された飛行機、そして1943年11月のタラワ侵攻の航空写真を撮影した。「そこには海があるだけで、実際の戦場はない。とても抽象的だ」とフェイユーは言う。「太平洋では、初期の頃は兵士たちでさえユーモアのセンスがあった。それは彼がヨーロッパに到着した時に完全に失ってしまった一種の無邪気さだった。フロレアが西部戦線に足を踏み入れたのは、バルジの戦いがきっかけだった。彼は突然、激戦の渦中に放り込まれた。

California beach
Friends dove for abalone in preparation for a California beach picnic, 1944

泥の中を駆け抜け、降り注ぐ砲弾から身を隠しながら、彼の写真は生々しく躍動感に満ち、爆弾から逃げ惑う兵士たち、ひっくり返った戦車を前にする兵士たち、そして戦死。海兵隊と海軍、特に1943年12月のタラワの戦いを取材し、1944年から終戦まで、フランスとベルギーでのアメリカ軍の作戦に同行し、ドイツの都市への爆撃やノルトハウゼン・ ナチス強制収容所の囚人の解放を記録した。彼が撮影した痩せ衰えたアメリカ人捕虜の写真は全米で公開された。1947年に日本で撮影した「私の投票を読んでください」は、エドワード・スタイケンがコーディネートした世界巡回展「人間家族」に採用された。

Monstrous German King Tiger Tank Which Has Just Been Knocked Out, 1944

「彼らは時に誰も求めていないような写真を撮っていた」と『ライフ』誌の編集者たちは1945年11月5日号に掲載された、第二次世界大戦中に特派員として活躍した21人の専属写真家への賛辞特集記事の中で記している。 ロバート・キャパ、マーガレット・バーク=ホワイト、ジョージ・ロジャー、W・ユージン・スミスといった錚々たる顔ぶれの中でも、この言葉が最も当てはまるのはジョン・フロレアだったと言えるだろう。しかし、彼はほとんど忘れ去られている。カシャー・ギャラリーで開催された展覧会のキュレーターのアナイス・フェイユーはその理由を、キャパやバーク=ホワイトとは異なり、フロレアが戦場写真家ではなかったからだと考えている。

Constitution Promulgation Day
Constitution Promulgation Day & Hirohito in Tokyo, 1946

彼は戦争に行ったほとんどのアメリカ人と同じように、任務を遂行し帰国した写真家だった。「ロバート・キャパのように、戦争がどういうものかを知っていた人もいた。ジョン・フロレアはそうではありませんでした」とフェイユーは言う。「それは写真からも感じ取れます。彼にとって、戦争はひどい衝撃だったのです」と。ハリウッドでセレブリティの撮影を続けた彼は、1949年に『ライフ』誌を退社した。1950年代に彼がカラーで撮影した映画スターのポートレートは、1988年にロサンゼルス・カウンティ美術館で開催された展覧会「スターライトの巨匠:ハリウッドの写真家たち」に出展された。その後、1960年代半ばから1980年代半ばにかけて、130以上のテレビ番組のプロデューサー、監督、脚本家となり『シー・ハント』『バージニアン』『白バイ野郎ジョン&パンチ』そして超常現象スリラー『インビジブル・ストラングラー』のエピソードの監督で知られるようになった。

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