2011年12月10日

次はMacに決めた

マックとウィンドウズ 2011「共存・共有・共栄」 (MYCOMムック 別冊Mac Fan VOL. 7) 毎日コミュニケーションズ

Apple PowerBook 2400c/240
3台のパソコンを所有している。据え置き型はWindowsXP、そして2台のノート型はWindows7で動いている。パソコンはハードディスクのクラッシュなどで、ある時期が来れば必ず壊れる。もしメインに使ってるXPマシンの寿命が尽きたら、Windows7を導入する気分になれない。Macに乗り換えようと思っている。これまでWindowsマシンを使ってきた理由にテキストエディタの問題があった。詳細は省くが、使用しているMIFESはホームページのHTML記述に優れてると思う。特に複数の文字列の連続置換機能はウェブの手直しに便利だ。しかしその必要性が薄らいできた。そこで気になり始めたのがマシンである。かつて私はMacユーザーであった。コメットで知られるPowerBook2400cを使っていた頃だから、90年代末のことである。日本IBMとの共同開発で、日本人向けに作られたものだが、米アップル社がデザインしたにも関わらず、後にCEOに返り咲いたスティーブ・ジョブス氏はこれを嫌っていたフシがある。事実、以降Mac互換機が他社から出ることはなかった。多くのメーカーが参入したほうが優れたマシンができると思っていた私は、いわばその閉鎖性に疑問を持ったものだ。ところがiPod以降の製品を見てジョブス氏の思想が垣間見えたような気がする。頑ななデザイン思想を貫くには、他社に任されない、自分たちだけで作る。そういう姿勢がアップルをしてソニーを凌駕したパワーになったのだろう。稀有な例だが、認めないわけにはゆかない。はっきり言ってWindowsマシンはどれを見てもダサい。これに尽きる。次はMacに決めたが、正確に記述すれば乗り換えではなく、回帰、あるいは復縁である。

2011年12月8日

寒さ抱き枝にすがる冬モミジ

モミジ 京都府立植物園(京都市左京区下鴨半木町)Fujifilm Finepix X100

小雨の中、京都府立植物園に出かけた。北門から入り、西に歩くと、高木メタセコイアが視界に飛び込んできたが、意外にもまだ枝にたくさん葉が残っている。目的の半木(なからぎ)の森に辿り着いてカエデを観察すると、かなり落葉しているものの、十分モミジを楽しめる状態になっている。ダウンジャケット着こんできたが、雨も降っているし、空気は冷たい。すっかり冬の気配なのに、晩秋の風情なのだ。園内の人影はごく少なく、体を温めるために入ったレストハウスを独り占めすることになった。改築されたばかりのカフェでコーヒーをすすった後、今度は植物生態園を散策することにした。日本各地の山野に自生する植物や、古来より栽培されてきた園芸植物などを自然に近い状態で植栽しているゾーンだ。半木の森の池から流れ出たせせらぎを覆うように、ここでもカエデの葉が枝に残っている。今年は11月に入っても暖かく、木々の葉が染まり始めるが遅かったが、その名残だろうか。それにしても師走に入って一週間が過ぎた。秋の名残の冬モミジが粘っている。

2011年12月3日

生まれては死ぬるなり釈迦も達磨も猫も杓子も

酬恩庵一休寺(京田辺市薪里ノ内)

紙本淡彩一休和尚像(東京国立博物館蔵)
京都市営地下鉄から近鉄電車に乗り継ぎ、新田辺駅で降りた。一瞬歩こうかと思ったが、今年の一月に骨折した足首が未だに痛むので、酬恩庵、通称一休寺までタクシーに乗った。これまで何度か参詣しているが、いずれもサツキが咲くころで、初夏だったと記憶している。新緑の見事さから紅葉を想像、秋に一度訪ねようと考えていた。今年は京都の紅葉が惨憺たる有様なので、市外に出れば違うかもという思惑もあった。期待通りの色づきとは言い難いが、部分的に美しい木があったという表現に留めておこう。酬恩庵は一休宗純が晩年を過ごした寺で、盲目の女性、森女(しんじょ)とのことを旧ブログに「盲森夜々伴吟身被底鴛鴦私語新」と題して二年半前に書いた。一休の『狂雲集』にある漢詩で「盲目の森伴者は毎夜詩を吟ずる私に寄り添い、夜具の中でオシドリのごとく、睦まじく囁き合う」という意味である。その時もも触れたことだが、日本人に刷りこまれた「一休さん」のイメージは、江戸時代の『一休咄』などに遡るそうだが、決定的になったのはテレビ朝日系で放映されたアニメだと思う。しかし重文「紙本淡彩一休和尚像」を見ると、そのイメージはガラガラと崩れ落ちるに違いない。つるつる頭の「トンチの一休さん」は虚像であり、無精髭、ボサボサ頭の宗純が実像なのだ。森女は旅芸人だった。身分の低い女性であったが、10年にわたり死ぬまで愛し続けた。臨終の際に「死にとうない」と残したと余りにも有名な言い伝えがあるが「朦々淡々として六十年、末期の糞をさらして梵天に捧ぐ。借用申す昨日昨日、返済申す今日今日。借りおきし五つのものを四つ返し、本来空に、いまぞもとづく」が辞世の言葉だった。地水火風空の五大のうち、地水火風はお返しするが、残りの空だけは本来のところに帰るまでのこと、という意味であろう。いかにも一休である。

2011年12月1日

羽子板の重きが嬉し突かで立つ

羽子板 田中彌(京都市下京区四条通柳馬場東入る)Fujifilm Finepix X100

天神さんで見つけた羽子板(北野天満宮) Fujifilm Finepix X100
なぜか今年は時の流れが早いような気がする。遅々として復興が進まない東北、不安的なままの福島原子力発電所の原子炉。進まない故に、待つが故に時間の労費を感ずるのかもしれない。師走。四条通の人形店を覗いたら羽子板が飾ってあった。羽子板は羽突きの道具、だから当初は簡単な絵が描いてあるだけの素朴なものだったが、やがて内裏羽子板が現れた。その後押絵が流行り、江戸後期から当たり狂言を取った役者の羽子板が喜ばれるようになったという。標題は角川書店編『俳句歳時記』に収録されてる長谷川かな女の句だが、中村吉衛門の句にこんな句がある。
        看板の大羽子板の歌右衛門
押絵羽子板は、明治初期から刺繍縫い取りなど凝ったものが登場し、大正末期に羽子板に使用する金襴、友禅等が織り染められ、上絵の技法が出るに及んで、一段と豪華さを加えるようになったという。無論これは遊戯用ではなく、床飾りあるいは女の子への贈り物である。写真の羽子板は押絵ではないが、手描き本金箔の豪華なもので、やはり鑑賞用である。題材は平安貴族の左義長祭の様子である。ところで先月25日、北野天満宮の縁日「天神さん」で素朴な、決して豪華ではないが懐かしい羽子板を見つけた。見入っていたら、子ども時代の正月風景が突然フラッシュバックした。