2023年12月3日

世界産業労働組合の歌姫ケイティー・ファー物語

Joe Hill(1879–1915)

ケイティー・ファー(1905-1943)は "IWW Songbird"(世界産業労働組合の歌姫)としてアメリカで知られているが、日本では馴染みがない名のようだ。IWW はシカゴに本部を置く国際的な労働組合で、1905年に創設された。組合員は Wobblies(ウォブリーズ)と呼ばれたが、その語源は不明だ。最盛期の1917年には組合員が150,000人を超えたが、1924年に内部対立と政府の弾圧による分裂で激減、現在の組合員は12,138人である。組合員の娘だったファーは、地元ワシントン州スポケーンの IWW 児童合唱団のリーダーだった。1914年、スウェーデン出身のソングライターで、IWW の活動家だったジョー・ヒル(1879–1915)が殺人容疑で逮捕される。労働運動を巡る物的証拠のない、無実の罪を着せられたフレームアップだったが、ユタ州ソルトレイクシティの刑務所に投獄された。そのヒルとファーが文通を始めた。ファーが書いた手紙は没収され破棄された可能性が高いが、ヒルが書いた手紙は残っている。同年11月29日、ヒルが送った最初の手紙の便箋には、水彩絵具で薔薇が描かれていて「あなたのために冬でも咲いたままの薔薇を描いたのは、スポーケン周辺の薔薇は姿を消しつつあるからです。この小さな薔薇のようにあなたの友情が長く続くように願っています」と添えていたという。

Cover of The Rebel Girl

往復書簡を通じて二人は急速に深い絆を築いていったと想像される。彼女はヒルの裁判結果を知っていただろうし、自分の合唱団で歌う歌の作者に惹かれていたに違いない。獄中でヒルは "The Rebel Girl"(反逆の少女)を書いた。女性労働運動家のエリザベス・ガーリー・フリンのために作詞されたが、これはファーにインスパイアされた歌という説が一般的なようだ。ヒルは、この歌をフリンがスポケーンで歌うのを手伝って欲しいと、ファーに伝えている。2015年11月19日、ヒルは処刑される。従って二人の親交は1年に満たない短いものだった。上掲ワシントン大学図書館が所蔵するデジタル画像「ワン・ビッグ・ユニオン・フラッグを持つケイティー・ファー」は1915年ごろに撮影されたようだが "Yours for Industrial Freedom, Katie Phar" というサインが記されている。ヒルはアメリカのプロテストフォークソングの先駆者で、ウディ・ガスリーやピート・シーガー、ユタ・フィリップス、フィル・オークス、ジョーン・バエズなど、後のフォークミュージシャンに多大な影響を残した。写真はジョー・ヒルの歌を積極的に歌った、カリスマ的少女ともいえる魅力をキャプチャしている。なおファー自身の音声は残っていないが、女性ブルーグラス音楽奏者の草分けであるヘイゼル・ディケンズ(1925–2011)が歌った "The Rebel Girl" が、1990年にリリースされたスミソニアン・フォークウェイズの CD アルバム "Don't Mourn-Organize! Songs of Labor Songwriter Joe Hill" (SF-40026) に収録されている。下記リンク先の YouTube で視聴できる。

YouTube  Hazel Dickens performs "The Rebel Girl" written by Labor Songwriter Joe Hill (1990)

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