本法寺仁王門(京都市上京区小川通寺之内上る)
長谷川等伯像 |
旅立ちを描いたものだろう。左手に絵筆、右手で編み笠を持ち上げ、空を見上げている。本法寺塔頭教行院に寄宿した画家・長谷川等伯の像で、同じものが石川県のJR七尾駅前にもあるという。私は寺が所蔵する等伯の「佛涅槃図」を撮影したことがある。高さ10メートル、横幅6メートルもある大作で、収蔵庫が狭いので、照明に苦労したことを思い出した。本阿弥光悦作とされる書院前の「三巴(みつどもえ)」の庭を拝観したあと、境内東端の仁王門に出る。「足がよくなりますように」と書いた草鞋が下がっている。足腰の老化を嘆いた切ない願い事だが、今や杖を頼りの私の足には辛く寂しい。とはいえ老いに逆らうのも空しい。私は晴れ舞台を夢見て能登から都を目指した等伯の旅姿を連想することにした。等伯は1539(天文8)年、能登国七尾で奥村氏の子として生まれた。奥村氏は能登の大名・畠山氏の家臣だたが、等伯は幼い頃に、染物業を営む長谷川家に養子に出された。生家や養家の影響を受け、日蓮宗の熱心な信徒として育った彼は「信春」と号し仏画や僧の肖像画などを手掛ける絵仏師として活動するようになる。長い時間をかけて腕を磨き、力を蓄え、ついには永徳と彼が率いる狩野派に下克上を挑み、彼らの地位を大きく揺るがしたのである。豊臣秀吉、千利休と親しくなった等伯は、利休とふたりで狩野派を批判したという。どうやら時間旅行に耽ってしまったようだ。小さな石橋を渡り、小川通りに出ると裏千家今日庵の兜門が見えた。
日本一の絵師を夢見て豊臣秀吉・千利休魅了し狩野永徳を恐れさせた長谷川等伯 | 京都で遊ぼうART
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