2023年12月31日

仏教経典に親しむ大晦日の電子写経

イスラームの聖典クルアーンはアッラーフが、宗祖ムハンマドにアラビア語で伝えたとされるので、原則的には翻訳は禁止されている。日本語訳もあるが、これは聖典ではなく、注釈書として解されるようだ。世界各国すべてのムスリムがアラビア語を理解しているとは考え難い。だからアラビア語を母国語としない人々への布教には、各国語の翻訳書が介在していると思う。ただモスクの尖塔がから流れる、朗々たるアザーンの響きを聴くと、やはりクルアーンはアラビア語こそ神の言葉が伝わるのではないかと思う。年配のカトリック教徒に尋ねたら、聖書の日本語訳はやはり昔の文語体のものがしっくりするという。私が所有している新約聖書はフランシスコ会聖書研究所訳のものだが、脚注が丁寧で、これはお奨めである。キリスト教徒ではない門外漢ゆえ、現代語訳のほうがかえって有難い。さて仏教経典だが、中村元訳『ブッダのことば』など、何冊かの現代語訳版を持っている。しかしこれもクルアーン同様、仏教寺院では読まれることはなく、漢訳経典が一般的である。

傅大士像(京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町の清涼寺)

清涼寺(嵯峨釈迦堂)の経蔵正面に南北朝時代の居士、傅大士像が鎮座している。中に巨大な輪蔵があり 5,480 巻の経典が収められている。回転式の書架で、この輪蔵を一回転させると経典すべてを読んだことになるという。この仕掛けは、たとえ文字の読めない人であっても、気軽に仏の教えに出会えるようにと、傅大士が考えたものだという。このことはふたつの仏教普及環境を暗示していると思う。中国語に訳されながら、中国人でさえ難解だった仏教経典が、中国語そのままでは日本の一般庶民に理解できるはずはない。それに傅大士像を見れば明らかに日本人ではないことが分かるし、多くの仏像がインドやパキスタン、遠くはギリシャの風貌を持っている。つまり土俗の民間信仰が織り交ざったにも関わらず、仏教はやはり外国の宗教なのである。神社仏閣に日々折々参詣するにも関わらず、ムスリムやクリスチャンと比べると日本人の宗教心は薄いとよく言われる。神官の祝詞や僧侶の読経を聴いてもさっぱり分からないことに、その原因があると私は常々思っている。現代日本語訳の経典を導入しないのは多分「ありがたみが薄れるから」という深謀があるのではと勘ぐってしまう。

それでは仏教経典の内容を理解するのはどうしたらいいだろうか。現代語訳を読むのも一方法だが、私は写経が一番良いと思う。漢訳経典の一字一句を筆でなぞることを繰り返すことによって、きっとその意味にも意識が向かうと思うからだ。しかし写経は忙しい現代人にはなかなかできないことかもしれない。そこでさらにお奨めしたいのが電子写経である。京都市山科区の本山本願寺のウェブサイトには、パソコンで経典を打ち込む電子写経のページがある。その他にも検索すればいろいろなサイトが見つかるはずだ。しかしオンラインでする必要もない。経典を購入してタイプするのである。こんな具合だ。仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色…。これは『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』、いわゆる般若心経の一部である。この作業はやってみるとなかなか面白い。例えば「ぎゃーてい」と打っても「羯諦」という字は決して出てこない。昔は漢字コード表を使って漢字を探したが、今は手書き認識パッドを使って見つける。このほうがラクだし、第一本物の写経に相通ずるものがあるからだ。

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これは観音経、つまり鳩摩羅汁訳『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』の最初の部分で、釈尊が無尽意菩薩に観世音菩薩の名の由来を説明するくだりである。これをちょっと電子写経してみよう。ついでに旧漢字を呼び出してみたが、この作業がけっこう面白い。

若有無量百千萬億衆生(若し無量百千萬億の衆生あつて)
受諸苦惱聞是觀世音菩薩(諸の苦惱を受けんに是の觀音菩薩を聞いて)
一心稱名觀世音菩薩(一心に名を稱せば觀世音菩薩に)
即時觀其音聲皆得解脱(其の音聲を觀じて皆解脱することを得せしめん)

要約すると、無量百千万億の生けるものが悩んだら、観世音菩薩の名前を称えなさい、そうすれば菩薩は即座にその音声を観じて解放してくれますよ、と説いている。無量とは、無限の量のことである。百千万億の人間の苦悩を救うには、無限の慈悲の顔が眼が手が必要だろう。これが『千眼千臂観世音菩薩陀羅尼神呪経』に繋がるのである。するとなぜ千手観音像が信仰の対象になったが理解できる。クリスマスは教会、正月は神社、でも大晦日は寺院詣りの日本人。どうです、除夜の鐘を待ちながら、あなたも電子写経してみませんか。

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