2022年11月1日

絵葉書のモデルになったセネカ族の美しい女性

Seneca girl
Ah-Weh-Eyu (Pretty Flower) aka Goldie Jimerson Conklin ca.1910

写真のモデルはニューヨーク州南西部カタラウガス郡にある、アレガニー居留地出身のセネカ族の女性 Ah-Weh-Eyu(可愛い花)別名 Goldie Jamison Conklin(ゴルディー・ジャミソン・コンクリン)である。1891年生まれ、1910年ごろ撮影とされているので、18歳前後だったと想像される。彼女はインディアンブランドのナイフを含む、さまざまな家庭用品の販売のための広告絵葉書のモデルとして、ニューヨーク州リトルバレーのカッタローガス・カトラリー社に採用された。先住民が米国文化で人気を博した時代に一世風靡した美しい女性である。当時の多くの企業が、新奇な広告として先住民族を利用した。映画の世界では「高貴な野蛮人」「インディアンの王妃」といったステロタイプが流行ったが、王様はいなかったし、従って「インディアンの王妃」は存在しなかった。カナダのノバスコシア州のミークマック族が先祖の芸術家ジェリー・バイロンのブログ 「イロコイ族とワバナキ族の歴史的なビーズワーク」 に、ゴルディーの絵葉書の写真が多数掲載されている。

Post Card
カッタローガス・カトラリー社の広告絵葉書(1910年頃)

ワバナキというのはり4つの主要な東部先住民族、すなわちミエックマク族、マリシート族、パッサマクオディ族、ペノブスコット族の連合のことである。そのビーズ細工をテーマにしているブログだが、ゴルディーが自作したと思われるビーズ細工のバッグに注目している。ゴルディーは1912年頃にチャールズ・コンクリンと結婚したが、かなり貧しい生活を強いられたようだ。1913年に長男チェスター、そして1918年に次男ロバートを出産、さらに4人の男の子が生まれた。ロバートの息子、すなわち孫のジム・コンクリンが2011年にバイロンのブログに「祖母ゴルディーは1891年に生まれたと私は信じています」とコメントしている。一般には2012年生まれという記述が多いからだろう。ゴルディーは1974年に他界した。2020年7月、米東部メリーランド州ボルティモアで人種差別に抗議するデモ隊が、イタリアの探検家クリストファー・コロンブスの像を引き倒した。コロンブスは「新世界」の発見者として長らく称賛されてきた。しかし現在では先住民族の虐殺者とする見方が広がり、南北戦争を戦った奴隷制支持の南軍将軍らと同様に非難の的となっている。忌まわしき植民地主義によって、先住民族の土地が奪われていった歴史が、ゴルディーの美しい写真とオーバーラップする。

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