この絵は画家フレデリック・レミントンが20世紀初頭に描いたアメリカ西部のイメージである。幌馬車で開拓者を襲うアメリカ先住民を描くことで、アメリカ西部に関する多くの典型的なステレオタイプと呼応しているため、やや驚かされる。幌馬車は開拓者がもたらした文明を、川に浮かぶ帽子は西部開拓が文明の再定義を迫ったことを象徴してる。おそらく単に西部へ移動しようとする開拓者を狙う凶暴なアメリカ先住民というステレオタイプを助長するため、この絵には歴史学者のフレデリック・ターナーが1893年の論文でアメリカの民主主義の形成におけるアメリカの辺境の重要性について指摘した矛盾が多く含まれている。幌馬車で川を渡ろうとする開拓者の姿は、開拓者が文明から逃れようとすると同時に、西部辺境の荒々しさを手なずける」ために文明を持ち込もうとしているという、ターナーの指摘を強調している。この絵は西部の荒々しさと、フロンティアに移住した開拓者たちの文明といわれるものとの相互作用をとらているのである。
マーク・トウェインの児童文学『トムソーヤの冒険』は1876年に出版された。ミシシッピ河に臨む港町ハンニバルでの少年時代の思い出を題材にした伝記的小説で、大人から見た子供の世界がありのままにユーモアを交えて描かれている。登場するインジャン・ジョーは白人とアメリカ先住民のダブルだった。インジャン(Injun)はインディアン(Indian)が訛ったスラングで、人種差別のニュアンスが強い。物語はあくまで白人の視点から書かれたもので、従ってインジャン・ジョーは悪役といて登場している。1851年から1886年にかけてアパッチ族をはじめとする先住民の部族と米軍が交戦したインディアン戦争の真っ最中だったので、白人社会にあるアメリカ先住民への偏見は今より相当ひどかったと思われる。トムとハックは猫の死体を使ったイボ取りの魔術を使おうと、夜中に墓地へ行く。そこで酒飲みのマフ・ポッターとロビンソン医師をインジャン・ジョーが殺すのをふたりは目撃する。インジャン・ジョーは最初から最後まで、完全に悪人として書かれていたのである。多くの少年少女に読み継がれている作品だけに、その影響力は底知れないものがある。
映画『駅馬車』は1939年にジョン・フォードが監督し、クレア・トレバーとジョン・ウェインが主演してブレイクしたアメリカの西部劇映画である。ダドリー・ニコルズの脚本は、アーネスト・ヘイコックスの1937年の短編小説「ロードスバーグへの舞台」を映画化したものである。映画は、危険なアパッチ領を駅馬車で行く見知らぬ一団を描いている。西部劇というジャンルは、文明の名の下に荒野を征服し自然を従属させたり、開拓時代のアメリカ先住民の領土権を没収することを描くことがある。西部劇は名誉の規範と個人的、直接的または私的な正義である銃撃戦によって処されることを中心に組織される社会を描いている。これらの名誉の規範は、しばしば確執や、自分を陥れた人物に対して、個人的な復讐や報復を求める個人の描写を通して演じられる。このような西洋の個人的な正義の描写は、都市に存在する合理的で抽象的な法律を中心に組織された司法制度とは対照的で、社会秩序は主に法廷のような比較的非人間的な制度によって維持される。西部劇の一般的なイメージは、半遊牧民の放浪者、通常はカウボーイやガンマンの生活を中心とした物語である。2人以上のガンマンによる真昼の対決や決闘は、西部劇の一般的なイメージのステレオタイプなシーンである。二丁拳銃や早撃ちなどのガン捌きがあざやかなヒーローの活躍で人気を博し、アメリカ先住民を悪役にした点は見逃せない。
ところで1990年に公開された『ダンス・ウィズ・ウルブス』が西部劇の範疇に数えていることに違和感を感ずるのは私だけだろうか。長編監督デビュー作となるケビン・コスナーが主演・監督・製作を務めている。1988年に発表されたマイケル・ブレイクの小説『ダンス・ウィズ・ウルブス』を映画化したもので、アメリカ開拓時代に駐屯地を求めて旅立った北軍のジョン・J・ダンバー中尉がラコタ族の一団と出会う物語である。特筆すべきは従来のハリウッドの西部劇に見られるステレオタイプ的な物語とは違うことだ。アメリカ先住民との交流をちゃんと描いているからだ。従来は先住民を悪として描いた作品がほとんどで問題になっていた。なぜなら、彼らの土地に勝手に現れたのが白人で、略奪の限りを尽くしているのに悪役を先住民に設定するという誤った歴史認識だからである。本映画にも先住民に対する差別的な表現はあるが、それは敢えて逆説として入れ込んでいいる。だから映画を観ていると白人の極悪ぶりが如実にわかるのである。もちろん過去にも先住民の人たちに敬意を評した映画はあったが、本映画のように劇中の言葉もちゃんと用いる作品はあまりみられなかった。そういった意味でもケビン・コスナーの挑戦は成功し、先住民の人権を守ることにも繋がっているのである。コスナーは1994年の『ワイアット・アープ』で主演、製作も兼任した。「OK牧場の決闘」で知られる伝説の保安官を主人公とした伝記映画で、伝説とは違った本当の姿を描いている。年老いた主人公が昔を偲びつつ、アラスカに向かう船上の姿を映したラストシーンが印象的だった。かくして「西部劇」の幕は降ろされた。
フレデリック・J・ターナー(1861–1932)著『アメリカ史における辺境の意義』1893年(英文)
0 件のコメント:
コメントを投稿