2020年6月28日

語彙 Dixie を忌避した人気カントリー音楽グループ

赤色が濃くなるにつれて Dixie と定義される頻度が高くなる

The Chicks: @ Nokia Theatre, Los Angeles, October, 2007.
カントリー音楽の人気グループ Dixie Chicks が突然バンド名を Chicks に変更したことが話題になっている。きっかけは世界中に広まった Black Lives Matter 抗議運動に連動したもので、Dixie という単語に問題があるという。Dixie とは、1860年後半から1861年初頭に存在した未承認共和国 Confederate States of America(アメリカ連合国)で、南部連合とも呼ばれている。サウスカロライナ州、ミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州、バージニア州、アーカンソー州、ノースカロライナ州、テネシー州の南部11州で構成されていた。Dixie といえば Dixieland Jazz(ディクシーランド・ジャズ)を連想する人が多いと思う。20世紀初頭にニューオーリンズで発達したジャズのスタイルで、その語源も南部の諸州を指す通称や俗称に由来する。ただジャズ黎明期の音楽スタイルであり、人種差別の音楽ではないことが言うまでもない。そして "The Night They Drove Old Dixie Down" "Dixie Chicken" "Are You From Dixie" など、Dixie を冠した歌がたくさんあるが、同様だ。ビル・クリフトンが率いていたブルーグラス音楽のバンド名は Dixie Mountain Boys だったが、これまたアメリカ連合国(南部連合)とは結び付かないようだ。余談ながら白人が顔を黒塗りしたミンストレルショーが "I Wish I Was in Dixie" という曲を残しているが、語彙 Dixie を米国南部のニックネームに定着させたと言われている。

YouTube  The Chicks - March March "If your voice held no power, they wouldn’t try to silence you"

2020年6月27日

何ものかが見る人を勇気付ける

©2020 Lola Barcia Albacar

イラストはスペイン在住のローラ・バルシア・アルバカルさんが描いた、新型コロナウィルス感染症と闘う母親である。十字架のイエズスもマスクをしている。「家族全員に囲まれて、ママ、パパに負けず劣らず強くなったね。私たちはあなたをとても愛しています...」と祈るような言葉が添えられている。ローラさんは1968年、バレンシア生まれのアーティストだが、ピンホール写真が縁で、ソーシャルメディア Facebook の友だちになった。カタルーニャ地方は、さまざま意味で私にとっては憧憬の地であるので、あくまでバーチャルな関係ではあるが、貴重な交遊になっている。彼女の母親が感染したことを知ったのは「母と一緒にラテン語でロザリオを祈る」という4月20日の投稿だった。従ってすでに二か月以上の闘病生活を送っていることになる。ところで私はネットで風刺漫画を閲覧することが多いのだが、いささか辟易とすることがある。例えばコロナ対策に後れをとったトランプ大統領を揶揄した風刺漫画が山ほど投稿されている。批判されるのは当然だと思うが、そこには未来に対する突破口が窺えない。救いがないのである。従って見るのが辛くなることがある。風刺漫画とローラさんの私的イラストを比較するのは乱暴に過ぎるが、見る人を勇気付ける何ものかが潜んでいる。

womanBiografía de Lola Barcia Albacar, Valencia, España | Flecha - Arte Contemporáneo

2020年6月24日

ブラウザ Brave を試用する

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ブラウザ Brave ウィンドウズ版をインストールした。Brave はオープンソースの Chromium をベースにしたブラウザで、JavaScript の開発者として知られる、ブレンダン・アイクが Brave Software を設立し開発した。従ってグーグルの Chrome と使い勝手は酷似しているし、Chrome の拡張機能も使える。異なるのは新しいタブを開くと、ブロックした広告とトラッカー数、節約した帯域幅、節約した時間が表示される。つまり最大の特長は広告を排斥し、高速化を図るという点である。ネット広告を頭から否定する気持ちは毛頭ないが、不要な広告に時間を奪われるのは精神衛生上できれば避けたい。また例えば画像が点滅するような広告は、目が疲れるし、反発すら感ずる。また閲覧履歴を元にユーザーの関心を引こうとする、行動ターゲティング広告も不快である。Brave を使うと、広告が表示されないのですっきりした画面になる。驚いたことに動画サイト YouTube の広告もスキップすることだ。有料版 "YouTube Premium" を導入すれば広告は非表示になるが、Brave が無料である点は大きい。広告非表示による時間の節約は、スマートフォンのユーザーにメリットがあると思われる。ブラウザで消費するデータ通信料を減らすことができるからだ。アイルランドのダブリン大学トリニティカレッジで行われた研究によると、人気ブラウザを比較した調査で、Chrome や Firefox、Safari などのなかで最も安全だと結論づけられたのは Brave だったという。この点は特筆すべきだろう。パソコン用は下記リンク先から、iOS 版および Android 版はそれぞれのアプリストアで入手できる。

technology ブラウザ Brave のダウンロード(Windows 64-bit / Windows 32-bit / macOS and Linux)

2020年6月22日

英国製釣り用バッグを買い替える

Chapman Troutbeck 12inch and Fujifilm Finepix X100

前エントリー「蘇った Chromebook の不思議」に「愛用の英国製釣り用バッグ Brady Ariel Trout Small にすっぽり収まるのが気に入っている」と書いたばかりだが、傷みが目立ち始めたので、新たに買い替えた。当初同じバッグの購入を考えたが、気分転換を兼ね、ほぼ同じサイスのチャップマン社製 Chapman Troutbeck 12inch を選んだ。釣り用バッグをタウンユースに転嫁することを思いついたのは、英国ビリンガム社のカメラバッグを見てからだった。仕切りがついたインナーバッグが入っているが、外観は釣り用そのものである。ただ違うのは、惜しいことに真鍮のリングがついてないことだ。チャップマン社の創業者、ジョン・L・チャップマンが釣り用バッグを製作したのは、1980年初頭イングランドはボーダーカントリーの街、カーライルであった。ジョン・L・チャップマンのバッグは、熟練した職人の手作業により作られるゆえ、温もりを感じる独特の雰囲気を醸し出す。使用されるマテリアルは厳選され、伝統的な防水素材である、マルチレイヤー・ボンデッド・コットン・キャンバス、トラッドな低速織機で織り上げされた、ミリタリーグレードの耐久性を誇るコットンウェービング、そして何よりも真鍮のリングが美しい。良い買い物をした。

WWW Troutbeck 12 Canvas Shoulder Fishing Bag: Made by Chapman Bags, Carlisle, England.

2020年6月20日

安倍晋三のレガシーはアベNo!マスクだけ


安倍政権がレームダック状態に陥っている。河井案里参議院議員の陣営による選挙違反事件で、東京地検特捜部は、夫の河井克行前法務大臣と案里議員が票の取りまとめを依頼した報酬として、地元議員らに現金を配ったとして、公職選挙法違反の買収の疑いで夫妻を逮捕した。

ふたりの買収容疑は総額約2570万円。溝手顕正への党からの選挙資金の提供は1500万円だったが、河井夫妻側は1億5000万円を自民党本部から選挙資金として提供され、溝手顕正は落選した。田崎スシローこと田崎史郎でさえ、テレビで「これほどの金を出すためには総裁である安倍総理か二階幹事長のどちらかが出せって言わない限り出る金じゃないです」と解説していたそうである。いやはや、番犬にも突き放されつつある安倍晋三の政治生命は、終わりの始まりどころが、終わりの終わりに近づいていると言えるだろう。河合安里の選挙事務所に贈られた、為書きを手にしたツーショットが残っている。なんとそこには「一連托生」と書かれている。相変わらずの劣等国語力を象徴しているが、無論「一蓮托生」が正しい。よい行いをした者は極楽浄土に往生して、同じ蓮の花の上に身を託し生まれ変わることという意味である。ふたりは極楽浄土ではなく、地獄に墜ちる可能性がある。安倍政権の8年ははたして何だったのか、そのレガシーはアベNo!マスクだけだ。20日夜、橋下徹元大阪市長のインターネット番組に出演した安倍晋三は、憲法改正について「まだ(自民党総裁の任期は)1年3カ月ある。何とか任期中に国民投票までいきたい」と焦りを吐露したという。往生際の悪さにはあきれるばかりだ。

2020年6月15日

カントリー音楽に潜む人種差別の影

Stephen Tarter (left) and his cousin Carson Anderson

Race Records c.1926-1930
エントリー「ロレッタ・リン:カントリー音楽は死んだ」で記述したように、OKeh Records の辣腕ディレクター、ラルフ・ピアによるオーディション開催地、テネシー州ブリストルが「カントリー音楽の発祥の地」と呼ばれるようになった。1927年7月28日、エル・ワトソンの歌2曲が録音されたが、唯一のアフリカ系米国人だった。翌1928年、同地でステファン・タ―タ―とハリー・ゲイも録音を残したが、上掲の写真がそのふたりだと言われてきた。しかしタ―タ―とその従弟、カーソン・アンダーソンである。撮影年月は不明だが、タ―タ―がマンドリンを手にしているのが興味深い。カントリー音楽がブルースなどに根ざしたポピュラー音楽のジャンルと定義されてるにも関わらず、ブリストル・セッションに招聘されたアフリカ系米国人のグループは2つに過ぎなかった。セッションのターゲットは「ヒルビリー音楽」だったが、彼らの録音は "Race records" からリリースされた。このセッションに先立つ1920年、OKeh Records がプロデュースしたマミー・スミスの "Crazy Blues" が約 75,000 枚のヒットを飛ばした。レコードの目的は蓄音機を売ることだったが、20世紀になってアフリカ系米国人にも普及、そのために生まれたのがブルース、ジャズ、ゴスペルなどを主体にしたレーベル "Race records" だった。商業レコード産業以前には音楽カテゴリーは実際には存在していなかった。しかしレコードのレーベルが分断、人種差別の起源となったのである。

ハンク・ウィリアムズ・ジュニア
カントリーのミュージシャンにも人種差別者いる、ということが話題になることがある。サンフランシスコの公共放送 KQED のゲイブ・メリネは、ケン・バーンズのドキュメンタリー映画 "COUTRY MUSIC" について「何かが欠けている」と主張している。フィドリン・ジョン・カーソンは KKK の集会で歌っているいるし、ラルフ・ピアは奴隷生活を美化したカーソンの "Little Old Log Cabin in the Lane" を録音している。そして一握りの黒人アーティストであるチャーリー・プライド、リアノン・ギデンズ、ダリアス・ラッカー、ウィントン・マルサリスを登場させているが、米国における人種差別の分断に関するものではない、と。ところでハンク・ウィリアムズ・ジュニアは超保守主義者で、人種差別者であることで知られている。2012年9月5日付け NBC News 電子版によると、テキサス州フォートワースのストックヤード音楽祭で「おれたちの大統領は、カウボーイを嫌い、カウガールを嫌い、釣りを嫌い、農業を嫌い、ゲイを愛しているムスリムだ。そんな奴、おれたちは嫌いだ」とバラク・オバマを罵倒、喝采を浴びたという。彼はまた「カントリーは白人がブルースを演奏する音楽だ」という名言、いや迷言を残している。アフリカ系米国人のミュージシャンを排斥しようという主張で、著名な歌手だけに、ドナルド・トランプ大統領と同様に賛同者も多く、その影響力は見逃せない。

リアノン・ギデンズ
ところで Black Lives Matter 抗議運動によって、人種差別が批判されている。テネシー州議会議事堂のネイサン・ベッドフォード・フォレスト胸像撤去問題に関し、賛成と反対の議論が長引いているようだ。フォレストは南北戦争のピロー砦の戦いで、北軍の武装していない黒人捕虜を虐殺した部隊を率いていた、として戦争犯罪で告発された武将だった。また白人至上主義の人種差別秘密結社として悪名高い、KKK の結成者といわれている。州議会議事堂はナッシュビルにある。共和党のジェレミー・ファイソン議員がフォレストの代わりに、ドリー・パートンの胸像を設置したらと提案していたが、どうなっているのだろうか。いずれにしてもナッシュビルは保守的な風土の強い都市だが、カントリー音楽のメッカでもある。毎週土曜夜にラジオ局 WSM のグランド・オール・オプリが公開放送されている。ジョージ・D・ヘイが1925年に創設したが、この舞台に立ったアフリカ系米国人は極めて少なく、メンバーになったのはデフォード・ベイリー、チャーリー・プライド、ダリアス・ラッカーの3人だ。レギュラーではないが、リアノン・ギデンズ&カロライナ・チョコレート・ドロップスも出演している。ギデンズはノースカロライナ州グリーンズボロで白人の父親と黒人の母親の間に生まれた。やや古い記事だが、2018年、英国の The Guardian 紙のインタビューに対し「私たちはみな、ある程度の人種差別主義者です」「私は肌の色が薄いので、私の体には特権があります」と語っている。そして「人々は人種について考えるのはうんざりしている、それはドラッグだ」と言うが「私はあなたが誰であるかを気にしません。このための時間とヘッドスペースがあります」と。

museum
African American History in a Country Music Museum? Exhibits and Programs Explore the Connections

2020年6月11日

スリナムの奴隷生活を記録したオランダ人兵士


John Gabriel Stedman
ヨーロッパに飛び火した Black Lives Matter 抗議運動によって、次々に奴隷商人の像が撤去されている。黒人奴隷といえば米国南部の農園を連想しがちだが、南米や西インド諸島も奴隷貿易の輸出先だった。18世紀後半、南米北東部のスリナムでマルーン人奴隷の反乱が起こり、スイス人のルイ・アンリ・フルグード大佐(1708-1779)が率いる800人の傭兵が送られた。マルーンは栗色を意味するが、西インド諸島や南北アメリカの逃亡奴隷のことである。オランダ生まれのスコットランド旅団兵士、ジョン・ガブリエル・ステッドマン(1744-1797)は、1772年12月24日に故国を去り、志願兵としてこの部隊に加わった。1773年から1777年の間、様々な作戦に参加した。ステッドマンはスコットランド旅団の将校とオランダ人の母親の息子として、現在のベルギーのデンデルモンデに生まれた。11歳の時、教育のためにイギリスの叔父のもとに送られるが、ルソー信奉者の叔父の厳しい教育に耐えられず、12歳の時にはオランダに戻った。スリナムに兵士として渡ったのは、飲酒癖と借金から逃れるためだったという。克明な日記をつけ、これは後に『スリナムの反乱奴隷に対する5年間の冒険の物語』と題した書籍として成就する。

Stedman's wife Joanna
植物相、動物相、および、先住民族の自由、奴隷のアフリカ人の社会的習慣、そしてヨーロッパ人の植民地支配に細心の注意を払いながら記述しているようだ。スリナムでのステッドマンの生活で特筆すべきは、やはり奴隷のジョアンナを娶ったことだろう。ふたりの間にはジョニーという息子がいた。息子は最終的には奴隷から解放されたが、ジョアンナは解放されなかった。1777年6月にステッドマンはオランダに戻ったが、ジョアンナと息子はスリナムに留まったのである。若きジョアンナとの関係は、ステッドマンにとって植民地での性的搾取の一形態とも考えられるが、その感情は不明である。本の至る所で表現された、苦しむ奴隷に対する彼の同情は、制度としての奴隷制についての見解は難読化されているようだ。同情しながらも、奴隷制度廃止論者ではなかった。挿画をウィリアム・ブレーク(1757–1827)が1796年に描き『スリナムの反乱黒人に対する5年間の遠征の物語』は紆余曲折を経て出版された。文学的にも大きな成功を収め、フランス語、ドイツ語、オランダ語、イタリア語、スウェーデン語に翻訳された。奴隷貿易についての洞察力が高く評価され、廃止論者に援用された。しかし逆にれは熱帯地方における反ゲリラ戦闘のハンドブックにもなったようだ。1978年に自筆の文書がミネソタ大学で発見され、1988年にオリジナルの原稿が出版された。

museum  Michael Graham-Stewart Slavery Collection, National Maritime Museum, Greenwich

2020年6月7日

白人至上主義の元凶 KKK の系譜を探る


ニューズウィーク誌6月6日付け電子版によると、ジョージ・フロイドの死に対する抗議のため、人種間の緊張が高まり、米国海兵隊はその施設での南軍旗すべてを禁止した。旗をあしらったTシャツの着用から、マグカップでのコーヒーの飲用さえできなくなった。南軍旗はしばしば保守過激派や人種差別主義者のグループが掲げてきたが、ジョージ・フロイド事件に対する抗議デモが全国に広がったため、その矛先が海兵隊に及ぶことを避けたと思われる。Black Lives Matter(ブラック・ライヴズ・マター)運動の嵐に全米が包まれている。

フォレストと南軍旗
テネシー州ナッシュヴィルの日刊紙テネシアン6月4日付け電子版によると、南部およびその他の地域で南軍の記念碑と像が破壊あるいは撤去されているという。抗議行動によりテネシー州議会議事堂の前にあったエドワード・カーマック(1858–1908)の像が5月31日、取り壊された。カーマックは人種差別主義者の見解を支持、物議を醸した元議員および新聞経営者だった。1890年代のメンフィスは人種的緊張の巣窟であった。カーマックは「公民権運動の母」として広く知られていたアイダ・B・ウェルズ(1862–1931)を紙上でヘイト攻撃、彼女が務めていた新聞社は煽りを食らい焼き討ちされたのだった。南軍といえば退役軍人で、南部連合の奴隷商人だったネイサン・ベッドフォード・フォレスト(1821–1877)を思い出す。南北戦争のピロー砦の戦いで、北軍の武装していない黒人捕虜を虐殺した部隊を率いていた、として戦争犯罪で告発された。白人至上主義の人種差別秘密結社として悪名高い、KKK(クー・クラックス・クラン)の結成者といわれている。その胸像が州議会議事堂にあるが、これを撤去すべきかどうか、長い議論が続いている。詰まるところ、黒人に対する白人の差別の元凶として、すべてが KKK に繋がってゆくのである。余談ながらナッシュヴィルは、ラジオ局 WSM がカントリー音楽の番組 Grand Ole Opry(グランド・オール・オプリ)の公開放送をしていることで知られている。時にカントリー音楽が保守的だと揶揄される所以である。

YouTube  The history behind the Edward Carmack statue torn down during protest

2020年6月5日

新型コロナウィルス感染症の母親を見つめる


カタルーニャのバルセロナといえば、スペイン内戦をつい連想してしまうが、ここに紹介するのは80年前の戦いではないし、100年前のスペイン風邪に対する闘いでもない。新型コロナウィルス感染症 COVID-19 と闘う母親を見つめる、ローラ・バルシア・アルバカルさんの記録である。彼女の Facebook タイムラインから抜粋したが、スペイン語に不案内ゆえ、いささか未消化でぎこちない翻訳になってしまった。(日付は日本時間)
Mi madre esperando su sesión de radioterapia
Rezando el Rosario en latín con mi madre, hay cosas que no se olvidan.
母と一緒にラテン語でロザリオを祈る、忘れられないことがある。(4月20日)

Mi madre esperando su sesión de radioterapia. Valiente y serena.
放射線治療のセッションを待つ母。勇敢で穏やかな。(4月21日)

Hoy has soñado que eras una reina....
今日、あなたは女王になる夢を見ました...。(5月7日)

Qué valiente eres mamá 
勇気があるわね、ママ。(5月11日)

Mi madre no está triste, tampoco tiene miedo. Dice que cuando era pequeña tenía susto pero ahora ya no, es valiente y alegre, le gusta cantar y agradecer a quienes le cuidamos todo lo que hacemos por ella. Hoy hemos escuchado “La Bohème” (de ahí la cara de emoción) mientras le hacían una transfusión de sangre.... se está recuperando poco a poco, es una campeona. Me siento muy feliz!!!!!

母は悲しんでいないし、怖がってもいない。小さい頃は怖がりだったけど、今はもう怖がりじゃない、勇気があって幸せだ、歌を歌うのが好きだ、お世話になっている人たちに感謝している、と言っている。今日は輸血をしながら「ラ・ボエーム」を聴いた(だから興奮した顔)...少しずつ回復してきている、チャンピオンです。とても幸せな気持ちになった!!!!!。(5月18日)

Mi madre está en casa desde la semana pasada. Ayer volvimos al hospital para revisiones varias . Su fortaleza y valentía me inspiran en cada momento. Ahora disfrutamos mucho cada pequeño avance hacia una nueva etapa en la que disfrute de su familia y recoja todo lo sembrado en tantos años. Cada dia a su lado es un regalo para quienes la queremos.

先週から母が帰宅しています。昨日もいろいろな検診のため病院に行ってきました。彼女の強さと勇気は、どの場面でも私を奮い立たせてくれます。今は、彼女が家族を楽しませ、長年蒔いてきたものを刈り取るという新しいステージに向けて、小さな一歩一歩を楽しんでいます。彼女のそばにいる毎日は、彼女を愛する人への贈り物です。(5月28日)

Hoy hemos pasado la tarde juntas escuchando "El cascanuesces". Estaba cansada pero la música le transporta y le alimenta el alma. Cada día estrena un nuevo trajecito que le hacemos con telas fresquitas y alegres, ella les llama " Modelitos de París". Sólo espero a que su corazoncito aguante y vea de nuevo a toda la familia reunida.

午後は一緒に「くるみ割り人形」を聴きながら過ごした。彼女は疲れていたが、音楽が彼女を運び、魂を養っている。爽やかで陽気な生地で作った新しい服を毎日着ている彼女は「パリのモデル」と呼んでいます。私は彼女の小さな心が耐えられなくなり、再び家族全員が揃っているのを彼女が見るのを待つだけです。(6月4日)
womanBiografía de Lola Barcia Albacar, Valencia, España | Flecha - Arte Contemporáneo

2020年6月1日

リング綴じのソングブックを作る

Old-Time Fiddle for the Complete Ignoramus by Wayne Erbsen

リング製本とは、製本したい紙面の背になる部分に穴を開け、ワイヤーリングなどを通して綴じる製本方法である。写真は最近入手したフィドルの教則本で、リング製本の一種 Spiral-bound(螺旋綴じ)されている。小さなとじ穴を等間隔で多数開け、そこへ螺旋状に丸めた針金を通し、表紙とともに綴じられている。スケッチブック、カレンダー、写真アルバム、クッキングブックなど、お馴染みである。また製本方法ではないが、穴が開いたルーズリーフを綴じるバインダーは、詰め替えができる利点がある。180°開閉できるので、開いたページがフラットになるため、手で押さえておく必要がない。だから譜面台に置く楽譜などにも向いている。ふとこの方法でソングブックを作ってみようと思いついた。


オンデマンド製本しようと思ったが、いったん作ってしまうとページ数を増やすことができない。いろいろ考えた挙句、プラリング、すなわちリングが樹脂のクリアファイルを流用することにした。透明クリアホルダーに穴が開いているので、印字した紙を差し込むだけだから、簡単に作れる。大きさはA5で、見開くとA4になる。ギターケースは無論、小さなフィドルケースにもなんとか収まる大きさである。取りあえずご覧のような2冊を制作した。右の『遊人歌詞集』の「遊人」は、それこそ大昔、インターネット誕生前のパソコン通信時代のハンドルで、自作の歌および添田啞蟬坊など、明治大正演歌を収納した。左の "FOLKSONG" はお気に入りアメリカ民謡集である。学生時代、歌詞を集めるのに苦労したが、今ではネット上でかなり公開されているので有難い。コピーしてワードプロセッサに取り込めばプリントできるからだ。