2020年4月3日

ジョーン・バエズに影響を与えた反戦活動家の母親

Mimi Baez Fariña, Joan Bridge Baez, Joan Baez, and Bob Dylan, New York, 1965.

音楽ファンならジョーン・バエズとボブ・ディランは無論、左がジョーンの妹、ミミ・ファリーニャであることは先刻ご存知だと思う。しかし真ん中の女性が、母親のジョーン・ブリッジ・バエズだということに気づかないかもしれない。ジョーン・バエズの政治スタンスに大きな影響を与えた反戦活動家だった。

ベトナム戦争徴兵拒否のポスター(1968年)
ジョーン・ブリッジは1913年4月11日、スコットランドのエディバラで生まれた。父親はプリンセス街のセイント・ジョン・エピスコパル教会の司祭だった。ブリッジ一家はカナダに渡り、後にニュージャージー州マディソンに移住した。高校生だった彼女はダンスパーティーで、メキシコ系アメリカ人の物理学者アルバート・バエズと知り合う。1936年にふたりは結婚、ポーリン、ジョーン、ミミの3人の娘をもうけ、一家はカリフォルニアに移り住んだ。ベトナム戦争へのアメリカの関与がエスカレートした1967年10月、ジョーン母娘はオークランドの米空軍誘導センターへの出入り口を2回封鎖して逮捕され、1か月以上刑務所で過ごす。翌1968年、三姉妹をモデルにした、徴兵拒否を促す反戦ポスター Girls Say Yes to Boys Who Say No(ノーという男の子たちを女の子たちはイエスと言う)が制作された。

ここで時計の針を戻そう。娘ジョーンのプロのシンガー・ソングライターとしてのキャリアは、1959年のニューポート・フォーク・フェスティバルで始まった。1960年代の初めから中頃にかけて、母親と一緒にアメリカの公民権運動に関わっていた彼女は、フォークリバイバル運動の最前線に現れる。この激しい時代に若いボブ・ディランを世界に紹介するのを助けたのが彼女だった。ジョーン・ブリッジとふたりの娘は、ディランの背中にプロテストシンガーというラベルを貼り付けたのだった。ディランとバエズはなぜ結婚しなかったのかという疑問の文章を目にすることがある。政治的な歌からディランは一線を引きたかったのではないかと私は想像している。サラ・ディラン(シャーリー・マーリン・ノズニスキー)と1965年11月22日結婚、バエズ一家から穏やかに離れていった。

時計の針を進め、いきなり21世紀にスリップしよう。ジョーンは母親の100歳の誕生日について、自らの Facebook のページに「樫の木と春の花と100個の色とりどりの風船に囲まれた敷地内で、大々的なお祝いが行われました。150人の友人や家族が彼女に向かってハッピー・バースデーを歌い、その調べは物凄い勢いで通り過ぎて坂を下り、さらに小川へと続き、樫の木の中へと響いていきました」と綴っている。その9日後の2013年4月20日、ジョーン・ブリッジ・バエズはカリフォルニア州ウッドサイドの自宅で息を引き取った。

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