2020年4月21日

日本捕鯨のルーツを旅する

小児の弄鯨一件の巻(肥前国産物図考1773年)部分

反捕鯨論に対する反論でよく目にするのは「文化」という言葉である。子どもの頃、確かに鯨のベーコンや鯨カツが食卓に並んだことがある。また鯨肉は学校給食に使われた。ところが現代では、スーパーで「大和煮」の缶詰などを見かけるが、鯨肉が日本人の主要な蛋白源となっているとは言い難い。オノミの刺身や、おでんの具であるサエズリ(舌)あるいはベーコンは、一部の食通が愉しむ高級食品と言えるのではないか。一般日本人の食生活から遠のき、今や食べたことすらないという現代人が多数を占めているのではないだろうか。事実南氷洋の調査捕鯨で獲れた鯨肉は売れ残っているという情報もある。残念ながら鯨なしでは生きて行けないという人は稀有ではないだろうか。従って「食文化」と主張するにはやや抵抗がある。それでは捕鯨そのものの伝統はどうだろうか。大雑把にいえば、江戸時代まで続いた太地などの古式捕鯨は、明治になって終焉してしまった。日本の沿岸を回遊する鯨が外国の船団によって大量捕獲され、激減してしてしまったからだ。

戦後、ノルウェー式の捕鯨を南氷洋で展開するようになったが、これをもって「捕鯨文化」とは言い難いのではないだろうか。しかし歴史的観点に立てば、厳として「捕鯨文化」は存在した。日本人と鯨の付き合いは古く、縄文時代にまで遡る。それは集落遺跡から発掘された鯨の骨がが証明してくれる。これは座礁漂着した鯨を獲ったものと推測されるが、古墳には捕鯨図らしき線刻画が見つかっているという。また奈良時代以降の古代、および中世の日本には捕鯨に関する記述が存在しないそうだ。専門的な集団(鯨組)によって、鯨から取れる肉や油、その他の製品を販売する目的で、戦国時代末期に始まった捕鯨を古式捕鯨と呼ぶ。中園成生・安永浩 (著)『鯨取り絵物語』(弦書房)はその古式捕鯨を、膨大な量の古文書を元に詳述したものである。添えられた数々の素晴らしい鯨の絵物語を見ると、少なくとも歴史を遡れば「捕鯨文化」が存在し、それが明治以降の近代化によって一挙に失われたことがよく理解できる。本書の魅力を拙文で伝えるのは至難の技である。日本は国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を2018年12月に決め、1986年以来となる商業捕鯨を再開した。捕鯨問題は国際的関心を呼んでいるが、捕鯨のルーツを旅させてくれる本書を強くお奨めしたい。蛇足ながら本書に関係する元資料は大学の図書館や、全国各地に所在する一般の博物館などに所蔵されている。研究者でない限り、目に触れ難いものも少ないなくないと思う。仮に閲覧する機会があっても、古文書を読み下すにはそれなりの知識が必要であろう。そういう意味でもこのような図書は、専門外の人間にとって非常に有難い存在と言えるだろう。なお本書に登場する捕鯨史料の一部は九州大学デジタルアーカイブでも閲覧できる。古文書そのもののコピーなどで研究者にとっても参考になると想像される。


news  和歌山県太地町で商業捕鯨による捕獲のミンククジラ入札(2020年4月15日付け紀伊民報)

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