初めて上野動物園に行ったのは、小学生のときで、写真が残っている。しかし一体何を見たか記憶にない。イメージとして「お猿の電車」が浮かぶが、あとで刷りこまれたものだろう。大人になってからは動物園とは縁遠くなったが、子どもが生まれてからは何度か足を運んだ。その成長と共に再び縁遠くなったが、パンダなど稀に雑誌の取材撮影で再訪することもあった。好天に誘われて京都市動物園を訪ねてみた。10連休の真っ只中、家族連れで満員状態だった。この動物園は京都の「町衆」の手によって1903(明治36)年4月に開園した全国で2番目の歴史ある施設だという。京都大学と野生動物の保全と共生に向けた「野生動物保全に関する教育及び研究の連携に関する協定書」を締結している。ゴリラなど希少動物の繁殖や動物を通した教育に取り組んで来たという。その主旨はよく理解できる。ゴリラ舎は以前より改善され、草木がたくさん植えられている。しかし建物自体はあくまで人工のものであり、アフリカの密林ではない。象の展示スペースに至っては、改装前より広くなったが、コンクリート固めで、これまたアジアの森林とは程遠い。努力は評価したいが、どこか釈然としないものが残るのは、私だけだろうか。動物の権利(アニマルライツ)を主張する書籍に触れてみた。
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技術と人間(1986年) |
種が違うからといって、違った扱いをすべきではないと主張する、オーストラリア出身の哲学者、倫理学者でプリンストン大学のピーター・シンガー教授が編纂した本書は、新しい動物解放運動の魁といえるだろう。15人の寄稿者のうちのひとり、コロラド大学のデール・ジャミーソン教授は「動物園反対論」を唱えている。動物園とは何か? 筆者はリクリエーションあるいは教育を目的とした動物を展示する公園に過ぎないと定義している。ところが多くの動物園長は、娯楽の提供であることを否定するという。いわば囚われの動物たちは、必要悪であるという発想である。では教育に関してはどうか。だったらフィルムやスライドで十分であり、檻の中の動物を見せることではない。さらに動物園で行われている研究だが、不自然な環境で飼われてる動物を研究することによって、学べるものは何もないという主張を展開している。また絶滅の危機に瀕した種の保護に関しては、例えばマウンテンゴリラの2、3頭を閉じ込めていくことが本当に良いことかと疑義を呈している。絶滅の危機に瀕している種の保護によって現行の動物園システムの存在理由を正当化できないというのだ。動物園は自然界における人類の位置について、間違ったことを教えていると結論している。
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文春文庫(2006年) |
アメリカの動物園を巡り歩いた、川端裕人氏の著書を続けて読んでみた。ネット通販アマゾンのカスタマーレビューによると、1999年に単行本が出版された後、動物園水族館関係者の間では「バイブル」とまで言われ、古書店で8000円の高値を付けられたこともあったらしいという。その意味では文庫版復刻は有難い。それはともかく、動物園関係者が、いわば門外漢が著したルポルタージュに何故瞠目したのだろうか。要するに動物園のあり方に対し、旧態然、関係者が何ら顧みなかったという証かもしれない。著者はアメリカの動物園を回り、そのあり方に対し複雑な感情を抱きながら、いわば試行錯誤を重ねながら本書を記述したようだ。驚くことに日本の公立動物園の園長は官僚に過ぎなく、動物に関して深い造詣を持っているわけではないようだ。動物園にいる専門家は獣医だけの所が多いという。アメリカでは、上記デール・ジャミーソン教授も触れているが、絶滅危惧種の保護、そしてそれらを野生に返す作業をしているという。その成功例も報告されているが、その一方では、所詮動物を展示する娯楽施設に過ぎないという見方は拭えないようだ。著者の根本理念は「動物園は正当化できないか」という命題に掛ってるようだ。動物園は「多くの誠実な努力と少々の嘘。未知数の益と未知数の害。多くの動物を苦しめるかのしれないが、多くの動物を救うかもしれない。
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京都市動物園(京都市左京区岡崎法勝寺町) |
多くの人々を不愉快にさせるかもしれないが、生態系のために戦う戦士を生み出すこともある。人々に何も与えないかもしれないが、多くを学ぶ人もいる。可能性に満ちているが、きわめて両義的な場所」と結論している。京都市動物園の象をしばらく見ていると、コンクリートの壁に囲まれた「檻」の同じコースを堂々巡りしているのに気づく。狭い檻の中のライオンやトラもそうだったが、行ったり来たりの連続は、ひょっとしたらイライラしているのではと思う。私はかつてケニアとタンザニアの動物保護公園を巡る旅をしたという恵まれた経験を持っている。これら東アフリカの公園が、真に「自然」かどうか、その点に迫る知識を持っていない。しかし少なくとも動物園の動物よりのびのびと暮らしているという印象を持っている。長い首のキリンに歓声を上げていた幼かった我が子を思い出すと、動物園って楽しくていいなと思う。でも、きっとアフリカに連れて行ったなら、もっと感動したに違いない。しかし誰もができることではない。
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