2019年3月8日

京都は国際電線都市

蜘蛛の巣(京都市東山区祇園町北側)

四条通から北の祇園白川に抜ける、通称「切通し」の光景である。空中に張りめぐされた電線、蜘蛛の巣とはこのことである。京町家から下がったせっかくの簾も艶消しだ。実はこの光景、京都ではごく当たり前なのである。だからグーグルのストリートビューで散策してみて欲しい。電線がないすっきりした街並みを探すのに苦労するはずである。思いつくままご案内しよう。京都御所、岡崎公園、府立植物園、あとは? そう、これに神社仏閣が加わる。これらを見ると、皇室関係、宗教関係、そしてわずかの公有地。民間の建物がある地域で思いつくのは、祇園の花見小路、上七軒通、産寧坂、そして烏丸通などである。新京極通や寺町通の商店街には電柱がないが、実は電線がアーケードの屋根の上を通っている。要するに隠してあるだけで、地中化されてるわけではない。街並みの写真を撮る人が嫌がるものに電柱と電線がある。私も写真を撮りながら、何とかならないかと思ったことが何度もある。京都はトルコのイスタンブル、ハンガリーのブタペストと並んで、世界三大古都と密かに思っている。京都は国際観光都市である。ところが実は国際電線都市なのである。

イニシュモア島(クリックで拡大)
知人の建築家は「電線は人体でいえば血管、そして電線に人間の生活の息吹を感ずる」と言う。だから電線は目障りではないという。アイルランドの西海岸の沖合に浮かぶアラン諸島。脱脂しない毛糸で編んだアランニットで知られるが、そうのちのひとつ、イニシュモア島で撮ったのが左の写真である。広漠たる風景の中、細々と空中を這う電線は、確かに生命線に見えた。この電線の向こうにどんな人が住んでいるのだろう、と想像を巡らしながらシャッターを押した。サンフランシスコの郊外、オークランドの長距離トラックのたまり場で見上げた高圧線にも、人間の生活を支えるエネルギーを感じた。アムステルダムでは、猥雑なものがまるでなく、逆にある種の物足りなさを感じたものである。だから電線は一筋縄ではない。いや、一筋縄ではないという言い方はおかしく、電線は厄介な存在なのである。ある種の混沌さが、欧米にないアジア的景観だと思う。あの大阪道頓堀のネオンも嫌いではない。しかし蜘蛛の巣を見ると、何故かやはり悲しくなる。

PDF  京都市「今後の無電柱化の進め方」の策定について(2018年12月)PDFファイル 97.0KB

0 件のコメント: