2019年2月5日

ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ NLCR は単なるコピーバンドではなかった

The New Lost City Ramblers "Songs from the Depression" (Folkways Records FH5264) 1959

Mike, Peggy and Pete Seeger 1995 Photo by ©Dave Gahr
CD復刻盤を作って欲しいと思う何枚かのLPレコードがある。他人に薦めようにも、プレーヤーがないだろうし、CDになっていないと再生できないだろう。それに第一、昔のLPレコードはそのほとんどがすでに入手困難になっている。LPを持っていたが、2012年にこの名盤『大恐慌時代の歌』がCD化されたときは、何故かほっとしたものである。文字通り大恐慌時代の歌を集めたものだが、いずれの曲も、商業レコードのソースがある。演奏しているニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ(NLCR)は、78回転SPレコードを復元演奏した特異なグループであった。メンバーが途中で一度代わったが、このレコードのパーソネルはマイク・シーガー、ジョン・コーエン、トム・ぺイリーで、1959年1月にリリースされたものだ。リーダーのマイク・シーガーはピート・シーガーの異母兄弟で、父親のチャールズはジョン&アラン・ロマックス父子らと伝承音楽の共同研究をした、米国議会図書館民謡資料室の学者だった。マイクは1933年、ニューヨーク生まれだが、おそらく父親の書斎には膨大な量のSPレコードがあったに違いなく、それを聴いて育ったのだろう。

Country Music Foundation CMF-011-D
トーマス・エジソンがシリンダー式レコード「フォノグラフ」を発明したのは1877年だったが、その10年後に円盤式の「グラモフォン」が生まれている。商業レコードができたのは1920年前後である。そのレコードの音楽利用の黎明に関して不案内だが、1923年6月14日、RCAビクターの傘下にあったオケー・レコードの辣腕ディレクター、ラルフ・ピアがジョージア州ファニン群出身のフィドリン・ジョン・カースンのフィドルと歌を録音している。彼はその前、1920年にブルーズ歌手のマミー・スミスの "Crazy Blues" などを録音しヒットさせたが、ヒルビリー音楽に食指を伸ばしたのである。カースンが吹き込んだ "Little Old Log Cabin in the Lane" は空前の大ヒットとなる。うまい喩えが浮かばないのだが、津軽三味線の吉田兄弟がレコード黎明期の演奏家と想定する。そしてその演奏を録音しヒットしたとすると、伝承民謡が商業化されたことになる。1927年、ピアは更なる試みとして、テネシー州ブリストルでアーネスト・ストーンマン、ジミー・ロジャーズ、カーター・ファミリーなどを集めて録音した。のちに「ブリストル・セッション」と呼ばれるようになったが、伝承音楽が商業化するきっかけとなったものだった。

Folkways Records FTS-31027
同じ時期、議会図書館のアラン・ロマックスを中心にしたプロジェクトも、同じ地帯ののど自慢たちの録音をしている。アパラチア山系には、アイルランドやイングランドの古謡が残存していたわけで、学者と商業レコード会社の双方が注目したのは興味深い。さてこの時代に製作された商業レコードに着目したのがNLCRだった。今日、彼らを単なるコピーバンドと片付けてしまう人もいるようだが、とんでもない話である。彼らは20~40年代に作られたレコードに内包する、遥かなる歴史資産の片鱗に注目した。そして人々、とりわけ都会人にそれを知らしめ、今日のアメリカンルーツ音楽ブームの礎を構築したと言える。ボブ・ディランも自伝『クロニクルス』で、影響を受けたと書いている。それはさておき、メンバーのひとりであるジョン・コーエンは優れた写真家であった。レコードジャケットにFSA(農業安定局)プロジェクトの写真を用いたのも、彼のアイデアだったと推測される。アルバム『大恐慌時代の歌』のカバーには、同プロジェクトのベン・シャーンが撮影した、ストリート・ミュージシャンの写真が使われている。さらに彼らのLPアルバム 『モダン・タイムズ』(1968年) のジャケットは、コーエンと親交があった、かの写真集『アメリカ人』で知られるロバート・フランクが担当していることを特筆したい。

County Records COUNTY-505
ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズというバンドの名は、チャーリー・プール&ノースカロライナ・ランブラーズに由来する。1925年から30年にかけて録音を残しているが、当時流行のストリングバンドは、フィドル、バンジョー、ギターという編成が典型的なものだった。プールのバンジョーはスリーフィンガー奏法で、のちのブルーグラス・バンジョーのルーツになっている。また、ロイ・ハーヴィーのギターはベースランニングに特長があり、これまた大きな影響を与えている。グループ初期のフィドラーだったポージー・ローラーはダブルノートを使わない、どちらかといえばクラシックのヴァイオリンに近い奏法だった。プールが作った『ホワイトハウス・ブルーズ』はマッキレー大統領暗殺事件を扱ったトピカルソングで、今でもブルーグラス・ミュージシャンがよく取り上げている。禁酒法時代を背景に『酒よさらば』 という曲も作っているのだが、彼自身が大酒飲みで、1931年に心臓発作で若死してしまった。好きなミュージシャンの訃報に接すると、誰でも少なからぬ衝撃を受けると思われる。尊敬してやまないマイク・シーガーが他界した2014年1月27日、物凄いショックを受けたことが記憶に新しい。

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