氾濫するカタカナ表記の外来語
朝日新聞2月13日付け電子版の記事「スクショNG、影響は?ブログ・ツイッターにも違法の罠」が目に止まったが、私はスクショがスクリーンショットのことだというのがすぐに分からなかった。新聞は見出しを短くするため、アメリカの代わりに米国というような略語を使う。その延長かもしれないが、やはりスクショには戸惑いを感ずる。かつてアコースティックギターをアコギ呼ぶことを知ったときは「なんと阿漕(あこぎ)な」と思ったものである。私は恥ずかしくて使えない。日本語を学ぶ外国人にとって一番厄介なのは、外来語のカタカナ表記だそうである。元の外国語がカタカナ表記によって変質してしまうからだと思える。例えば日本人が使うテレビジョンは、英語圏の人々の "Television" と発音が違う。さらにテレビという言い方は、原語に程遠い、英語もどきのカタカナ語に過ぎない。アドビ社のイラストレーターをイラレと呼ぶ人がいるが、元の意味とはかけ離れ、耳にするとイライラする。逆に頭文字を繋げた略語 "TV" を理解する日本人は多くはないのではないだろうか。アメリカ人は新しい技術に対する命名が上手だと感心する。Web は蜘蛛の巣を意味する単語だが、これをインターネット用語として普及させた。日本はそれをそのまま流用してウェブとカタカナ表記、アイデアを借りて蜘蛛の巣と名付けるようなことはしない。それにネットを網と呼ぶこともしない。
発音が違うと書いたが、例えば "dot.com" をアメリカ人はダカームと発音する。だから日本語化したドットコムは通じない。それで思い出したこと。子どものころ母親が木綿糸をカタン糸と呼んでいた。コットンより "cotton" に近い。だからカタン糸とはコットン糸がなまったものという説明はおかしい。ところでカタカナを持たない中国人は外来語を漢字で訳している。スクリーンショットの中国語(繁体字)を調べてみたところ「截圖」と訳している。すなわち画像を截ち切るという意味であるが、工夫の跡が窺える。かつて日本人は外来語を丹念に訳してきた。テレビはかつて受像機と呼んだが、いつの間にか消えてしまった。重要な言葉を全てカタカナ表記で済ましてしまう、日本社会の知的劣化を憂慮せざるを得ない。国立国語研究所外来語委員会が、分かりにくい外来語の日本語への言い換えを検討し始めて久しいが、成果をあげていないような気がする。リテラシーを「読み書き能力」とするなどの提案だが、新聞などの報道媒体が使わないと普及しないのではないだろうか。
スクリーンショットを意味する中国語 |
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