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八寸釘と釘抜きの札 |
京都には病気平癒を祈願する社寺が多い。というより人間にとって一番の厄介ごとは病気あり、であるからこそ社寺を参詣して「ご利益」に預かろうとするのかもしれない。新京極通にある蛸薬師堂(永福寺)はガン封じで知られてるし、四条通の南座東にある目疾(めやみ)地蔵(仲源寺)は眼病平癒で有名である。いずれも通称寺で、正式な寺名より通り名のほうが浸透しているのが特長である。千本通の釘抜き地蔵(石像寺)を久しぶりに訪ねてみた。819(弘仁10)年に弘法大師が開いたと伝えられ、本堂に地蔵菩薩像が安置されている。山門をくぐると目に飛び込んでくるのが、本堂の外壁を埋め尽くした実物大の八寸釘と、釘抜きを張り付けた御礼札である。釘抜きで病気の苦しみを抜き取ってくれるというのだ。病気平癒あるいは健康を祈願する参詣者は、竹の札を歳と同じ数だけ持ち、この地蔵堂を一周するごとに箱に納めて行くのである。
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般若心経を書いた涎掛け(クリックで拡大) |
この写真を撮ったときも二人のご婦人が、堂を回りながら熱心に祈っていた。ユニークな地蔵堂に目を奪われ勝ちだが、境内裏手にある小堂に安置されてる石仏は文化財として貴重だと言う。一般に石仏は野仏と呼ばれるくらいだから、その生い立ちについては不明なものがほとんどである。ところがここにある阿弥陀如来坐像と、脇侍である観音および勢至菩薩像はその由来が分かっている。真ん中の阿弥陀像にの光背の銘によって、伊勢権守佐伯朝臣為家という人が願主となって1225(元仁2)年に造像されたことが分かるという。ゆえに重要文化財に指定されているようだ。鎌倉時代の石仏といえば、私は化野念仏寺の山門前にある、釈迦・阿弥陀の二尊仏の美しさに強く惹かれる。傑作だと思うが、記録がないので無指定である。小堂の竹柵に夥しい数の涎掛けが巻きつけられていた。庶民にとって石仏はすべて地蔵菩薩なのだろう。丹念な筆遣いの般若心経に、切なる願いがこもっている。
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