2019年2月11日

ダグラス・ダンカンと朝鮮戦争とニッコールレンズ


朝鮮日報2月11日付け日本語版によると、2回目の米朝首脳会談を前に、米国は北朝鮮の非核化に対する見返りとして「終戦宣言」「平和協定」「平壌連絡事務所の設置」などを検討しているという。終戦宣言とは朝鮮戦争のそれを指すが、実現すれば南北朝鮮統一の足掛かりになる。統一政府ができた場合、日本の立ち位置はどうなるだろうか。おそらく米軍は朝鮮半島から引き揚げるだろう。そうした場合いわゆる「北の脅威」はなくなり、自衛隊の存在理由が薄まるに違いない。逆に背後の中国の存在を理由に、軍備強化する可能性も否めない。ところで朝鮮戦争といえば、私は昨年102歳で他界した写真家ダグラス・ダンカンを思い出す。1916年生まれ、米国の報道写真の第一人者であり、従軍写真家として太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争などを撮影、その作品をニューヨーク・タイムズ紙、ライフ誌などに発表した。
1950年のことである。同じくLIFE誌のカメラマンであった三木淳氏が、たまたま遊びに来ていた友人の写真家の持っていたNikkor 8.5cmを借りてダンカン氏のスナップを撮っていた。その場では「へぇ日本製のゾナーかい」とあまり興味を示さなかったダンカン氏であったが、後日その写真を引き伸ばして見せたところ、氏の表情が急に変わり、ルーペを持ち出してその写真をチェックしはじめた。「すごい!シャープだ。この会社にすぐ行こう!」(ニッコール「千夜一夜物語」第三十六夜 Nikkor P・C 8.5cm F2
ダンカンは日本光学工業の大井工場を訪ね、ライツ、ツァイスレンズとニッコールレンズとを投影検査機で比較。その結果を見たてライカ用ニッコールレンズの購入を即断した。1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発すると、ダンカンは2台のライカに 50mm F1.5 と 135mm F4 を付け、前線に飛んだ。ニコンの名を世界に知らしめた、有名なエピソードであるが、ニコンだけでなく、日本のカメラメーカーの大恩人だったといえる。

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