JOBO Rotary Tank #2521 and #2529n |
2011年12月31日
黒白写真のハイブリッド処理研究は年を越してから
2011年12月29日
まるで時計の振り子のようだが
年内のブログ更新はお終いにするつもりで前回「良いお年を」と書いたけど、まだ積み残しがあるようだ。昨日、年の瀬の風景を撮ろうと北野天満宮に出かけたが、余りにも風が冷たく、早々に切り上げて、御前通を今出川通から南に下がったところにあるケーキ&喫茶店「モニカ」に飛び込んだ。コーヒーを啜りながら水上勉の「一休を歩く」を紐解いた。一休宗純のゆかりの地を訪ねた紀行文学である。ものすごく良い本だけど、集英社文庫版は絶版である。しかし何とアマゾンのマーケットプレイスでは1円の値がついている。なぜ1円なのか、それを書こうとすると大幅に脱線しそうなので、その不思議はいずれ触れることにする。会計を済ませて店を出ようとしたら、玩具のクラシックカーが眼に飛び込んできた。上掲の写真がそれである。そして外に出て振り返り、また一枚、素敵なネオンを。いずれもゾーンプレート写真である。
半年前まではゾーンプレート写真をニコンのデジタル一眼レフD80で撮っていたが、8月からソニーのミラーレス一眼NEX-5に切り替えた。これに関してはその一ヶ月強前に「フランジバックが短いミラーレス一眼カメラへの憧憬」という一文を投稿した。導入して気づいたのだが、ゾーンプレートを付けるとD80では自動露出ができなかったのに、NEX-5では可能。感度の変更も自動で、しかも背面液晶モニターでライブビューができる。まさにイージーショットの極みである。というわけで、このカメラで五ヶ月間撮り続けてきたわけだが、4月下旬に導入した富士フイルムのX-100も手放すことはなかった。ご存知、ゾーンプレート写真はソフトフォーカスで、やや非現実的な画像を得ることができる。従ってX-100で捉えたストレーと写真とは矛盾する作品作りをしてきたことになる。まるで時計の振り子のようだが、双子座生まれゆえの所業かもしれない。
2011年12月28日
花と散り玉と見えつつあざむけば雪降る里ぞ夢に見えける
年の瀬、北野天満宮では大鳥居や楼門などの注連縄(しめなわ)が取り替えられた。楼門に掲げられた辰の大絵馬は日展評議員の三輪晃久氏の筆になるもので、元日から授与される絵馬と同じ図柄だという。看板に「花と散り玉と見えつつあざむけば雪降る里ぞ夢に見えける」という菅原道真の歌が見える。梅の名所。境内あちこちの枝に、蕾が傷むのでお神籤(みくじ)を結ばないようにという、初詣客への注意書きの短冊が下がっている。大晦日から元日もかけてこの天満宮と平野神社を参詣するのが習慣になってしまったが、今年も出かけることになると思う。夕方、火之御子社鑽火祭(ひのみこしゃきりびさい)で新しい火がきりだされ、中庭のかがり火に移される。八坂神社の「おけら詣り」が有名だが、天満宮も古来からの習わしに従っているという。2日からは「天満書」つまり神前の書初めが行われる。それではみなさま良いお年を。
2011年12月25日
腹立ちまぎれに現代を生きているのだ
山之口貘さんの詩を読みたくなって、講談社から出ている文庫版の詩文集を購入した。私は写真のような古ぼけたハードカバー版を所有しているが、持ち歩くにはやはり文庫版がよい。上掲の詩集は昭和33(1958)年、昭和39(1964)年に原書房から初版が出たものだが、いずれも昨年の暮れに復刻版が出た。貘さん(面識はなかったけ「さん」付けしたくなる)沖縄県立図書館では「山之口貘文庫」が開設されるなど、再評価されて人気が高まってるという。『鮪に鰯』の巻末には娘さんの泉さんが「後記にかえて」という一文を寄せている。「パパ、あなたの詩集です。子供のように眼を輝かせ毎日きょうを見つめていたあなたの新しい詩集です」云々。獏さんの詩集を手にしていたら、今度は高田渡さん(面識があったので「さん」付けしたくなる)の歌を聴きたくなった。渡さんの『生活の柄』『鮪に鰯』は獏さんの詩である。後者は「鮪は原爆を憎み 水爆にはまた脅かされて 腹立ちまぎれに 現代を生きているのだ」という下りで分かるように、ビキニ島の核実験を題材にした作品である。
2011年12月21日
帰ってきた木製暗箱デアドルフ
シカゴ時代の広告 |
2011年12月20日
イルフォードのピンホール写真キットが届いた
©ILFORD PHOTO |
Harman Titan 4x5 Pinhole 焦点距離:72mm(2.8in) 針孔口径:0.35mm(0.0138in) F値:206 画角:97°
見仏者たちは野の仏を見逃してはいないだろうか
長岡和慶「石仏を彫る」 |
2011年12月19日
やっぱり年賀状はやめられない
昨年の確か今頃だったと思う、ある方から「年賀状を出しません」という意味のハガキが着いた。意地悪く解釈すれば交換したくない人だけに出したのではと勘ぐれないわけではない。しかし真っ正直な性格を知ってる私は、余程困ってのことだろうと想像したものである。ある大きな団体の役員さんで、会ったこともない会員から年賀状がたくさん届き辟易としているのだろうか。私なら黙ったまま出さないかもしれない。そうすれば自然と減るのにと想像するからだ。いっそ、そうするなら同じ趣旨のことを年賀状に書けば良いのに、とも思った。しかし受け取る前に出す、やはり正直な人なのである。ところで今年は例年になく早くから印刷し、私製ハガキなので年賀切手も購入した。印刷だけでは味気ないので、宛名だけは万年筆で書くことにしている。今年もあと十日余りでお終い。そろそろ書かねばと思うのだが、正直言ってちょぴり億劫である。電子メールだけで済めば本当はいいのだが、という横着が脳裡をかすめる。しかし、元日。ポストから年賀状の束を取り出し、ああみんな元気だな、と一年一回の音信に安堵する。あの瞬間を思うと、やっぱり年賀状はやめられない。
2011年12月18日
次のステップの生命を担う落ち葉
今年の京都の紅葉は綺麗ではなかったという意味のことを数回にわたって書いた。人それぞれ主観があるし、すべての名刹を訪ねたわけではないから、ちょっぴり反省している。ただ地球温暖化によって、植物に微妙な変化が起きている、そんなことが脳裡に走っているのかもしれない。ところで紅葉した葉はやがて落ちる。なぜ落葉するのだろうか。落葉樹が秋になり、気温が下がってきても緑の葉をつけたままだと、光合成能力が落ちて植物体を維持できなくなってしまうという。だから葉を落として休眠するというのだ。そして散った葉は昆虫や微生物の糧となる。彼等によって分解された落ち葉は腐葉土となり再び栄養として森の木々に吸収される。見事な自然の仕組みではある。枯れて落ちたは葉は一見悲しいけど、次のステップの生命を担っていると思うと、何故かほっとする。
2011年12月17日
新登場 Facebook タイムラインをデザインする
ソーシャルメディアFacebookが新しいプロフィールページ「タイムライン」を一昨日の15日に一般公開した。タイムラインは、9月に米国で開催されたFacebookの開発者向けカンファレンスで発表された新プロフィールページ。旧来のプロフィールページに比べてビジュアルを多用。近況やアップロードした写真、チェックインしたスポット、ライフイベントなどをひとつのページに集約。さまざまな情報をユーザーの好みに合わせて編集し、時系列で表示できる。そこで私もとりあえずプロフィール用の背景画像を用意、アップロードしてみた。この背景画像は850x315ピクセルで表示されるが、実際には必ずしもこの大きさで作る必要はない。横幅は規定値にリサイズされるし、縦方向の位置はアップロード後にオンライン設定できる。急いで作った拙作を公開するが(無論Facebook上では公開済み)もう少し工夫したデザインに塗り替えたいと思っている。
2011年12月16日
イルフォードのピンホール写真キットを発注
一ヶ月前、当ブログで英国のハーマンテクノロジー社が10月24日に「イルフォード・ピンホール写真キット」を発売したと紹介した。日本ではハーマンテクノロジー社の国内正規輸入元であるサイバーグラフィックス社が来年第一四半期に発売できるよう準備を進めているようだとも。日本の企業の会計年度は4月から始まるので、第一四半期にというと随分先になる。写真共有サイトのFlickにはすでにグループ「Harman Titan 4x5 Pinhole Camera」も立ち上がってるし、久しぶりに「物欲」が湧いてきた。そこでアマゾンなどの通販サイトを当たってみたが、国内ではまだ入手ができないようだ。もしかしたら輸入元となるサイバーグラフィックス社がキット内容の構成を検討しているのかもしれない。米国の通販サイトB&Hを覗いたところ、$219.95で売りだされていた。送料込みで$262.41だが、換算すると約2万円となる。正規輸入された場合の価格は無論不明だが、日本語の解説書その他が付くだろうから、これより高くなる可能性もある。3種類のフィルムと印画紙がセットになっているので、というよりイルフォードは感材を売りたいためにキットにしたのだろうから、ピンホールカメラとしては高価な感じがする。カメラ本体だけ売ってくれるとありがたいのだが。ちょっと躊躇ったが、発注した。1週間くらいで着くと思われるので、テストしたらまた報告したい。
2011年12月10日
次はMacに決めた
マックとウィンドウズ 2011「共存・共有・共栄」 (MYCOMムック 別冊Mac Fan VOL. 7) 毎日コミュニケーションズ
3台のパソコンを所有している。据え置き型はWindowsXP、そして2台のノート型はWindows7で動いている。パソコンはハードディスクのクラッシュなどで、ある時期が来れば必ず壊れる。もしメインに使ってるXPマシンの寿命が尽きたら、Windows7を導入する気分になれない。Macに乗り換えようと思っている。これまでWindowsマシンを使ってきた理由にテキストエディタの問題があった。詳細は省くが、使用しているMIFESはホームページのHTML記述に優れてると思う。特に複数の文字列の連続置換機能はウェブの手直しに便利だ。しかしその必要性が薄らいできた。そこで気になり始めたのがマシンである。かつて私はMacユーザーであった。コメットで知られるPowerBook2400cを使っていた頃だから、90年代末のことである。日本IBMとの共同開発で、日本人向けに作られたものだが、米アップル社がデザインしたにも関わらず、後にCEOに返り咲いたスティーブ・ジョブス氏はこれを嫌っていたフシがある。事実、以降Mac互換機が他社から出ることはなかった。多くのメーカーが参入したほうが優れたマシンができると思っていた私は、いわばその閉鎖性に疑問を持ったものだ。ところがiPod以降の製品を見てジョブス氏の思想が垣間見えたような気がする。頑ななデザイン思想を貫くには、他社に任されない、自分たちだけで作る。そういう姿勢がアップルをしてソニーを凌駕したパワーになったのだろう。稀有な例だが、認めないわけにはゆかない。はっきり言ってWindowsマシンはどれを見てもダサい。これに尽きる。次はMacに決めたが、正確に記述すれば乗り換えではなく、回帰、あるいは復縁である。
Apple PowerBook 2400c/240 |
2011年12月8日
寒さ抱き枝にすがる冬モミジ
モミジ 京都府立植物園(京都市左京区下鴨半木町)Fujifilm Finepix X100
小雨の中、京都府立植物園に出かけた。北門から入り、西に歩くと、高木メタセコイアが視界に飛び込んできたが、意外にもまだ枝にたくさん葉が残っている。目的の半木(なからぎ)の森に辿り着いてカエデを観察すると、かなり落葉しているものの、十分モミジを楽しめる状態になっている。ダウンジャケット着こんできたが、雨も降っているし、空気は冷たい。すっかり冬の気配なのに、晩秋の風情なのだ。園内の人影はごく少なく、体を温めるために入ったレストハウスを独り占めすることになった。改築されたばかりのカフェでコーヒーをすすった後、今度は植物生態園を散策することにした。日本各地の山野に自生する植物や、古来より栽培されてきた園芸植物などを自然に近い状態で植栽しているゾーンだ。半木の森の池から流れ出たせせらぎを覆うように、ここでもカエデの葉が枝に残っている。今年は11月に入っても暖かく、木々の葉が染まり始めるが遅かったが、その名残だろうか。それにしても師走に入って一週間が過ぎた。秋の名残の冬モミジが粘っている。
2011年12月3日
生まれては死ぬるなり釈迦も達磨も猫も杓子も
酬恩庵一休寺(京田辺市薪里ノ内)
紙本淡彩一休和尚像(東京国立博物館蔵) |
2011年12月1日
羽子板の重きが嬉し突かで立つ
羽子板 田中彌(京都市下京区四条通柳馬場東入る)Fujifilm Finepix X100
なぜか今年は時の流れが早いような気がする。遅々として復興が進まない東北、不安的なままの福島原子力発電所の原子炉。進まない故に、待つが故に時間の労費を感ずるのかもしれない。師走。四条通の人形店を覗いたら羽子板が飾ってあった。羽子板は羽突きの道具、だから当初は簡単な絵が描いてあるだけの素朴なものだったが、やがて内裏羽子板が現れた。その後押絵が流行り、江戸後期から当たり狂言を取った役者の羽子板が喜ばれるようになったという。標題は角川書店編『俳句歳時記』に収録されてる長谷川かな女の句だが、中村吉衛門の句にこんな句がある。
天神さんで見つけた羽子板(北野天満宮) Fujifilm Finepix X100 |
看板の大羽子板の歌右衛門押絵羽子板は、明治初期から刺繍縫い取りなど凝ったものが登場し、大正末期に羽子板に使用する金襴、友禅等が織り染められ、上絵の技法が出るに及んで、一段と豪華さを加えるようになったという。無論これは遊戯用ではなく、床飾りあるいは女の子への贈り物である。写真の羽子板は押絵ではないが、手描き本金箔の豪華なもので、やはり鑑賞用である。題材は平安貴族の左義長祭の様子である。ところで先月25日、北野天満宮の縁日「天神さん」で素朴な、決して豪華ではないが懐かしい羽子板を見つけた。見入っていたら、子ども時代の正月風景が突然フラッシュバックした。
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