2023年2月6日

アキハバラ少年とスカートの下の劇場

アンプの実体配線図(誠文堂新光社『MJ無線と実験』2014年9月号より)

アキハバラ少年だった。2008年夏に路上無差別殺傷事件が起きたが、あの現場を「アキバのホコ天」というそうだ。秋葉原の歩行者天国という意味だが、いつからアキバと呼ぶようになったのだろうか。そういえば子どものころアキバハラなのかアキハバラなのか、ちょっとした論争を友人としたように記憶している。前者のほうが読みとしては正しいと思う。しかし、駅の名前も後者だし、この読み方が正しいと聞かされたが、駅名は間違えてつけたという説もある。秋葉原駅は千代田区外神田なのだが、ややこしいことに、約500メートル北に「台東区秋葉原」という地名があり、これもアキハバラと読む。たぶん現代っ子にはアキバがピンとくるだろうけど、どうしても馴染めない。だから秋葉原は断固アキハバラと呼ぶことにしている。だいぶ様変わりしたと思うが、今でもガード下の電子部品屋街は健在だろうか。中学生のころ私は総武線の沿線に住んでいたが、電車に乗って50分余り、この街に行くのが何よりの楽しみだった。しかしどうして秋葉原に通うようになったか記憶が曖昧である。当時の少年たちが誰でも経験しただろう鉱石ラジオ作りがきっかけだったかもしれない。家には5球スーパーと呼ばれたスーパーヘテロダイン式受信機があったが、オーディオ装置、いわゆるデンチク(電気蓄音機)はなかった。雑誌に掲載されていた配線図を眺めては夢を膨らませていたが、もっぱら興味はパワーアンプに向いていた。今でも健在で驚く雑誌『MJ無線と実験』は、アマチュア無線機器よりもすでにアンプの回路図がウリだったように記憶している。世はまさにオーディオブームの魁(さきがけ)に突入していたと言える。

河出文庫(1992年)

その当時、出力用トランスのメーカーであったラックスマン(Luxman)がちょうどアンプを作り始めたころだった。製品としては、はっきり脳裡に残ってるのは米国のマッキントッシュ (McIntosh) で、これは文字通り高根の花だった。アップル社のマッキントッシュ(Macintosh)のことではない、念のため。だから自作が一番の早道で安上がりだったし、それに作る楽しみがあった。ところで突然、上野千鶴子著『スカートの下の劇場』(河出文庫)という本を思い出した。下着の歴史を通じてセクシュアリティの本質を解明しようと試みた、日本におけるフェミニズムの端緒を開いた本である。下着にこだわること、見えざるものへのお洒落は、アンプの配線に通ずる。シャーシの裏側、すなわちスカートの中は、普通は本人しか知らない。にも拘わらずそこに凝る。回路にはそれぞれの役割がある。その役割ごとに配線の被覆ビニールの色を変え視覚化する。あるいは、配線を美しく見せるためにシャーシの裏を塗料で変身させるとか。子どもながら私が目指したアンプ作りがそうだった。福音電機(Pioneer)のスピーカーを単体で買ってきて、自作したボックスに入れたり、レコードプレーヤーも部品を入手して組み立てた。これらはみな「世界で1台」のものだった。それから、もうひとつの遊びが写真だった。夜な夜な押入れ暗室で自家プリントをしたものだ。と、ここまで書いてフト思うこと、どうやらネクラな少年だったかもしれない。タイムスリップして現代に生きていれば私は「アキバ系」になっていたかなと。

technology.png 秋葉原 | 東京ラジオデパート | 創業から約70年 日本で最初の電子部品・電子機器パーツの専門店

2023年2月3日

英国の植民地主義者との橋渡しをしたポウハタン族のポカホンタス王女

Pocahontas
Pocahontas wearing traditional attire at the time of marriage to John Rolfe, 1614.

ポカホンタス(ca.1596-1617)は、アメリカ先住民ポウハタン族のワフンセナカウ酋長の娘だった。1595年頃、ヴァージニアのタイドウォーター地方で生まれ、マトアカと呼ばれた。しかし、幼い頃から遊び好きで陽気な性格から「リトルワントン」を意味するポカホンタスというニックネームを持ち「アメリカ先住民のヒロイン」と呼ばれた。ポカホンタスが初めて白人を見たのは、おそらく1607年5月、英国人がヴァージニアのジェームズタウンに上陸したときであろう。ヴァージニア植民地の指導者であったジョン・スミス船長だった。その後、12月にスミスはヴァージニアとチェサピーク湾の川沿いの探検を指揮していたが、パウハタン族に捕虜にされた。スミスはこのロマンティックな物語を語り継ぐことになり、伝説となった。この物語は何年も経ってから、その真偽を問う歴史家たちによって、精査されることになる。しかしスミスが語るように、彼は捕らえられてから数日後、ジェームズタウンから12マイル離れたウェロウォコモコにあるパウハタン族の公邸に連れて行かれたのである。大酋長ワフンスナカウは彼を歓迎しご馳走をふるまった。この「処刑と救済」の模擬儀式はアメリカ先住民の伝統的なもので、スミスの話が本当なら、ポカホンタスの行動は儀式の一端を担ったものと思われる。その後1年間、先住民との関係はおおむね友好的に推移し、ジェームズタウンを頻繁に訪れた。

Pocahontas saving John Smith
Pocahontas saving John Smith, New England Chromo Co, 1870.

彼女は父親からのメッセージを届け、他の部族を伴って食料や毛皮を取引し、訪問先ではジョン・スミスを訪ねて時間を過ごした。しかし、パウハタン族とジェームズタウン入植者の関係は悪化した。必要な交易は続けられたが、敵対関係はより顕著になった。1609年10月、火薬の爆発でジョン・スミスは重傷を負い、英国に帰国せざるを得なくなった。ポカホンタスはスミスが死んだと告げられた。1610年、ポカホンタスはパタウォメック族と共に暮らし、コクームという男と婚約または短期間結婚してポトマックに住んだ。しかし彼女と英国人との関係は終わっていなかった。ジェームズタウン入植地の機知に富んだメンバーであるサミュエル・アーガル船長は、彼女の居場所を知ると、彼女を誘拐して身代金として拘束する計画を練った。パタウォメック族の下位の首長であるジャパゾーズの助けを借りて、アーガルはポカホンタスを自分の船に誘い込んだ。アーガルはパウハタンに、パウハタンが捕らえた英国人の捕虜、インディアンが盗んだ武器と通行料、そしてトウモロコシと引き換えに、愛する娘を返すと言葉を送った。

wedding
Pocahontas marries John Rolfe, by Joseph Hoover, 1867.

しばらくしてから、パウハタンは身代金の一部を送り、娘を大切に扱ってくれるように頼んだ。アーガルは1613年4月にポカホンタスを連れてジェームズタウンに戻った。ポカホンタスは結局、トーマス・デール卿の指導の下、新しい入植地であるヘンリコに移された。ここで彼女はキリスト教を学び始め、1613年7月にジョン・ロルフというタバコ栽培の成功者と出会った。ポカホンタスは入植地内で比較的自由を許され、植民地とその民衆の関係において自分の役割を楽しむようになった。ほぼ1年間の捕虜生活の後、デールは150人の武装した男たちとポカホンタスを連れてパウハタンの領土に入り、彼女の身代金全額を手に入れようとした。攻撃を受けた英国人たちは、多くの家を焼き、村を破壊し、何人もの先住民を殺した。ポカホンタスは2人の兄弟と再会し、良い待遇を受けていること、恋をしていること、英国人ジョン・ロルフとの結婚を望んでいることを告げた。パウハタン酋長はこれを承諾した。ジョン・ロルフは非常に信心深い人物で、先住民の女性と結婚することを何週間も悩んだが、彼女が完全にキリスト教に改宗するとわかり、ついに決断した。

King James
Pocahontas at the court of King James, by Richard Rummels, 1907.

ポカホンタスは洗礼を受け、レベッカと命名され、1614年4月5日にロルフと結婚した。この結婚により、英国人と先住民との間に平和と親善の精神が生まれた。トーマス・デール卿は、1616年の春、ロンドンに向けて重要な航海を行った。彼の目的はヴァージニア社へのさらなる財政支援を求めることであった。彼はポカホンタスとその夫、そして幼い息子トマスを含む12人のアルゴンキン族を連れてきた。ロンドンに到着したことは、大々的に報道された。彼女はジェームズ1世、王室、その他のロンドン社交界の名士に紹介された。その時ロンドンには、彼女が8年間会っておらず、死んだと信じていた旧友ジョン・スミス船長もいた。スミスは、この会合で彼女は最初、感情が高ぶって話すことができなかったと語っている。気を取り直したポカホンタスは昔話に花を咲かせた。7ヵ月後、ロルフは家族をヴァージニアに帰ることを決意した。しかしポカホンタスが帰りの船で生き延びられないことがすぐにわかった。彼女は肺炎か結核で死にそうな状態だった。1617年3月21日、彼女は22歳前後で亡くなり、英国のグレイヴゼンドにある教会に埋葬された。アメリカ先住民は文字を持たなかったのでポカホンタスの「物語」は文献歴史学上の問題点がある。鵜呑みせずにその点を勘案する必要がある。

Native American Girl  The oldest church in America where Pocahontas married to John Rolfe | MailOnline

2023年2月1日

三浦瑠璃を重用してきたテレビ番組の功罪

三浦瑠璃
三浦瑠璃 ©2023 京都フォト通信

朝日新聞デジタル版によると、太陽光発電事業への出資をめぐって詐欺容疑で告訴された投資会社トライベイキャピタル(東京都千代田区)について、東京地検特捜部が19日に家宅捜索したことが関係者への取材でわかったという。同社は山猫総合研究所の三浦瑠麗の夫である三浦清志が代表を務めている。自身のシンクタンクのホームページで「今般、私の夫である三浦清志の会社が東京地方検察庁による捜索を受けたという一部報道は事実です。私としてはまったく夫の会社経営には関与しておらず、一切知り得ないことではございますが、捜査に全面的に協力する所存です。また、家族としましては、夫を支えながら推移を見守りたいと思います」とコメントした。東京大学同学部、同大学大学院出身の「国際政治学者」いう看板が、テレビのコメンテータとして重用された理由だろう。家宅捜査を受け、レギュラー番組だったフジテレビ系「めざまし8」およびテレビ朝日系「朝まで生テレビ!」の出演を取りやめた。トライベイキャピタルの株を半分所有していること、菅内閣の有識者会議である成長戦略会議の委員になり太陽光発電のライバルである洋上風力を攻撃したり、夫の会社トライベイキャピタルに対する援謹射撃的な発言や資料提出を行ったことなどが背景にあるからだろう。東京地方検察庁による捜索を受けたわけだが、さらに逮捕に至れば傷口が広がりダメージが大きくなるだろう。

TV

自粛というより、炎上や不祥事を避けたがる傾向が強いテレビ局のプロデューサーが、おそらく彼女に引導を渡したのだろう。舛添要一は「思いつきで奇をてらって発言しても、すぐにメッキがはげてしまう。彼女がその典型例だ」、ひろゆき(西村博之)は「学者を名乗っている人が言っている言葉は重い。学者が嘘ついたら不味いじゃん」と外野席からヤジが飛んでいる。三浦瑠璃といえば2022年7月、フジテレビ系「ワイドナショー」に出演した際、天皇と上皇の葬儀「大喪の礼」を「たいものれい」と言い間違えたため、ネットで集中砲火を浴びたことが記憶に残っている。皇室典範第25条に「天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う」とあるが、確かに「大喪」は「たいも」とも読む。しかし条文はいわば固有名詞で「たいそうのれい」と読めない三浦瑠麗は基本的な教養に欠け、政治学者として恥ずかしいの一言につきる。気になるのは彼女の主張は「天皇陛下の国葬は行われるのに、安倍元総理の国葬はいけないというのはおかしい」という点である。つまり安倍晋三の「国葬」と天皇の「大喪の礼」との比較は、安倍晋三の「国葬」で彼を天皇と並ぶ権威化したいという意図が見え隠れしたことである。ところでテレビの情報バラエティー番組が時事問題を「娯楽として」取り上げているが、酷いコメンテータが多い。床屋の政治談議と喝破すれば、目くじらを立てるまでもないかもしれないが。

YouTube  三浦瑠麗 | 天皇陛下と同じように安倍元総理は国葬すべきである | ワイドナショー | フジテレビ

2023年1月29日

切手になったアフリカ系アメリカ人作家アーネスト・J・ゲインズ

Ernest J. Gaines
Stamp of African-American author Ernest J. Gaines

アメリカ合衆国郵便公社(USPS)が1月23日、作家のアーネスト・J・ゲインズ(1933-2019)を称える切手を発行した。ゲインズはアフリカ系アメリカ人の知られざる物語を探求した小説で知られている。家族が5世代にわたって旧奴隷居住区に住んでいたルイジアナ州ニューローズ郊外のオスカーという町にあるリバーレイク・プランテーションで生まれた。1948年にカリフォルニアに移住したが、その後数十年にわたり、彼の小説には、若き日のルイジアナの田舎町との深く断ち切れないつながりが反映されている。徴兵で陸軍に2年間従軍した後、大学を卒業し、1958年に権威ある奨学金を得てスタンフォード大学で創作を学んだ。1964年に処女作 "Catherine Carmier"(キャサリン・カーミア)を発表したが、1971年に "Miss Jane Pittman" で名声を上げ、広く賞賛され、ピューリッツァー賞にノミネートされた。この小説は奴隷制度から公民権時代にわたる110歳のアフリカ系アメリカ人の主人公の回顧録である。1981年、ルイジアナ大学ラファイエット校(当時はサウスウェスタンルイジアナ大学)で創作を教え、作家の創作活動を支援するシステム、ライター・イン・レジデンスとなる。

Ernest J. Gaines Stamp
Forever® stamp in panes of 20

1983年に発表した小説 "A Gathering of Old Men"(老人たちの集い)は、長年の偏見と暴力に直面するアフリカ系アメリカ人の男たちが、自分たちの人間性と誇りを主張する物語である。1993年、ゲインズは最も高い評価を受けている小説 "A Lesson Before Dying"(死ぬ前の教訓)を出版した。この小説は、大学で教育を受けたアフリカ系アメリカ人の教師が、殺人罪で死刑執行を待つ若い農夫に教育とインスピレーションを与えるという内容である。アフリカ系アメリカ人の大学教師が、殺人罪で死刑執行を待つ若い農夫に教育やインスピレーションを与えるという内容で、刑務所での困難な面会を経て、2人は絆を深め、自分たちの尊厳と自尊心を否定する者たちに抵抗する必要性を示していきます。全米図書批評家協会賞受賞に加え、ゲインズはマッカーサー財団の「ジーニアス」フェローシップを授与された。2013年、ゲインズはバラク・オバマ大統領から国家芸術勲章を受章し、これまで受けた中で最大の栄誉と称された。郵便料金が値上げされても使えるフォーエバー切手として発行された。この切手は現行のファーストクラスメール(1オンス)の価格と同額の63セントである。

USSP The 46th stamp in the Black Heritage series honors author Ernest J. Gaines | USPS