2012年2月23日

今年の世界ピンホール写真デーは4月29日です


Promote poster by John Neel

毎年4月の最終日曜日にピンホール写真を制作した方は、世界中のどこからでも、その作品のスキャンを、このウェブサイトにアップロードすることが出来ます。あなたの作品は、世界ピンホール写真デーを讃えるオンラインギャラリーに展示されます。今年の世界ピンホール写真デーは4月29日です。

公式サイト:http://www.pinholeday.org/

2012年2月18日

フリーの画像編集ソフトGIMPを試用


GIMP 2.6 の画面  (クリックすると拡大表示されます)  入手先:http://www.gimp.org/

画像編集といえばアドビ社の Photoshop が有名で、定番ソフトといえるだろう。かつてはどのバージョンからもアップグレードできたが、いつの間にか直近3バージョンからのみとなった。さらに昨年、直近1バージョンからしかできないとアナウンス、さすがにユーザーから不満の声が上がったはいうまでもない。風当たりの強さに困惑したのだろう、今年リリースされる予定といわれている CS6 に関しては CS3、CS4 からもアップグレードできると修正発表をした。しかしそれも今年末までという。このソフト使ってバンバン稼いでるプロの写真家やデザイナーにとっては十分投資に値するだろうけど、趣味で写真を撮ってる人たちにとってはちょっと高嶺、いや高値の花かもしれない。新たに導入するなら、機能を限定した Photoshop エレメンツが手ごろと言えそうだ。同じ価格帯のコーレル Paint Shop Pro は、若干機能が上回っているようだが、Windows 版のみである。さて、ところで Mac 版も用意され、廉価、いやタダのソフトがある。GIMP というフリーウェアで、嬉しいことに日本語にも対応している。Windows 版をダウンロード、試用してみたところ、かなり高性能である。本質的に Photoshop の無料版と呼んでも過言ではないと感じた次第である。本家は重装備で重いし、多機能に過ぎる。画像処理にお金を注ぎたくない人には超お勧めのソフトと言えそうだ。

2012年2月17日

写真から遠ざかった写真の行方

ansel meets vincent shot from a car window at 60mph somewhere in PA by sueph

写真用のフィルターといえば光学フィルターを思い出すが、その発想は古いらしく、昨今のデジタル写真の世界では電子的なそれを意味するようだ。また画像処理ソフトにも様々なフィルターが用意されていて、なんでもない普通の写真が異質な姿に変身する。この写真はアドビ社の Pixel Bender プラグインを使用して作成されたものである。写真から遠ざかった写真の典型といえよう。写真術の黎明期にピクトリアリズム(絵画主義写真)が一世風靡したが、やがて「写真に帰れ」となりストレート写真が舞い戻った。今まさにそれが繰り返されてるようで、私はこれをコンテンポラリー・ピクトリアリズム(現代絵画主義写真)と呼んでいるが、この流行がいつまで続くか注目している。

2012年2月14日

聖ヴァレンタインデー異聞


ヴァレンタインデーギフト 京都市中京区新京極通四条上る Fujifilm Finepix X100

今日2月14日は聖ヴァレンタインデーである。キリスト教の聖職者ウァレンティヌスの殉教日に由来するようだが、史実上は諸説があるようだ。この日、欧米では親しい人や恋人に贈り物をする習慣があるが、日本では女性が男にチョコレートを贈る習慣が定着してしまっている。写真家の田中長徳氏がFacebokで「日本でーおそらく最初の奇習である、チョコレート押し付け運動は1981にあたしは見た。某スーパーであり合わせのチョコをパックして売ってたが、売れず。店員さんが、こんなの売れるわけねーよな、とーぼやきつつ、またパッケージをバラしてた。それが今ではこのざまだ」と嘆いていた。インターネット百科事典ウィキペディアによると、この習慣の起源については、1936年の神戸モロゾフ製菓説、1958年のメリーチョコレート説、1960年の森永製菓説、1965年の伊勢丹説、1968年のソニープラザ説と諸説あるが判然としないという。それはともかく、いまや1個も届かなくなってしまったが、一時は山ほどいただいたこともある。1980年代半ば、東京で某週刊誌のフォトエディターをしていたころで、女性カメラマンや編集者をはじめ、アルバイト諸嬢などから「義理チョコ」が届いたものである。ところでこの日を巡っては痛恨の思い出もある。娘がまだ小さい頃、彼女からチョコレートを贈られた。ところがそれに手をつけず、書棚に放置したまま忘れてしまった。これを発見した娘は、ある種のショックを受けたのだろうか、今でもそのことを口にする。単に「義理」と片付けては駄目である、どんな形であれ貴重な「愛」のメッセージなのだから。