2024年11月27日

サム・フォークがニューヨーク・タイムズに寄せた写真は鮮烈な感覚をもたらした

V-E Day
Quiet moment of gratitude in St. Patrick's Cathedral on V-E Day, May 8, 1945
Sam Falk (1901-1991)

サム・フォークは1901年1月19日、ウィーンで生まれ、子どもの頃にオーストリアからニューヨークに移住した。独学で写真を学び、16歳のときに簡単なボックスカメラで撮った稲妻の写真をニューヨーク・モーニング・ワールドに10ドルで売り込んだ。2年後、彼は学校を辞めて商業写真家のもとで働き、彼のためにシャムロックIV・レゾリュート・ヨットレースを取材した。1925年にニュ-ヨーク・タイムズに入社した。ちょうどフォトジャーナリズムが本格的に普及し始めた頃だった。1940年代、彼はタイムズで35ミリ写真の使用を開拓した。ニュージャージー州ファーヒルズ競馬場で、障害競走でよろめいて騎手を投げ出す馬を撮影するために使用した4×5インチのスピードグラフィックのような、通常の報道カメラが扱いにくいと感じたためである。新聞社では小型の35ミリカメラに対する偏見があったため、自分で35ミリカメラを購入しなければならなかった。編集者のレスター・マーケルは彼の「ミニチュア・フォーマット」の写真を気に入り、35ミリの仕事をよく彼に与えた。ヘラルド・トリビューンがカメラマンがコンパクトカメラに切り替えると発表した後、小型カメラが受け入れられるようになった。フォークは中判の二眼レフ、ローライフレックスも使用していた。1969年に引退するまでに、写真はニュースを伝える上で欠かせない手段となっていた。

aquashow
The start of an 'aquashow', New York, August 6, 1951

サム・フォークが写真家としての使命を述べたのは「物語を完全かつ瞬時に伝えること」というフォトジャーナリストの神髄を表す言葉であった。アメリカの歴史における激動と変革の時代、ニューヨーク・タイムズの専属カメラマンとして活躍したフォークは、新聞の視覚的感性を豊かにするタイミング、構成、物語の感覚をもたらした。読者はたった3セントで、美術館に飾ってもおかしくない写真を見ることができた。実際、後に美術館に飾ることになったのである。彼の作品を特集した1964年の書籍 "New York: True North"(ニューヨーク:真に重要な目標)は「フォークは私たちを街とのより親密な交わりへと連れて行ってくれる」「彼は、適切な場所に適切なタイミングでいる記者の才覚と、瞬間を活かす芸術家の能力を兼ね備えている」と評した。

quazanies
The divers of the Aquazanies troupe putting on a show, August 6, 1951

評論家は「街灯の下で警察に捕まったギャンブル狂の暗い一面、セントラル パークの湖のほとりで少女たちがはしゃぐ明るい瞬間、国連で密集して会議する英国外交官たちの集中した様子などを、同等の技量で私たちと共有してくれる」と書いている。1962年に写真現像技師として同紙に入社し、1965年から2014年までスタッフとして勤務した受賞歴のあるバートン・シルバーマンは「サムは宝石のような存在でした」と語る。シルバーマンが着任した当時、フォークは勤務していた日曜版部門で、ニューヨーク・タイムズ・マガジンのニュース特集や表紙、ニーナ・シモン、マルセル・デュシャン、シドニー・ポワチエといった著名人のポートレートなどを撮影していた。シルバーマンは「フォークは細心の注意を払う写真家であり、若いスタッフを励ます語り手として記憶し、誰もが彼を尊敬していました。どこに行っても、彼は自由裁量を持っていました」と説明した。

All aboard
Waiting for the "All aboard" on a platform at Pennsylvania Station, March 17, 1955

同誌の現撮影監督キャシー・ライアンは、1996年の100周年記念写真特集の制作中に初めてフォークの作品を目にした。「わぁ、サム・フォークって誰?と思いました。本当に優れた写真家です」とライアンは振り返る。アンリ・カルティエ=ブレッソン、エリオット・アーウィット、ブルース・デビッドソンといった先駆的な写真家たちと比較しながら、フォークの作品に「観察した瞬間に対する完全な感謝」を見い出している。1951年、フォークはクイーンズのフラッシングに行き、プールサイドに陣取ってアクロバティックなダイビング団体「アクアザニーズ」を撮影した。ダイバーたちがまるで縫いぐるみ人形のように水面に向かって疾走している。飛び込み台は写真の端から突き出ており、背景には広大な空が広がっているが、焦点は、常に落下し、決して着地せずに永遠に動き続ける人物たちに置かれている。

Drive-In Theater
At the Bay Shore Drive-In Theater, Long Island, May 28, 1955

フォークと、そして彼のカメラは、リンドバーグ誘拐裁判からミッドタウン・マンハッタンのヨーロッパ戦勝記念日の式典まで、さまざまな出来事を目撃した。彼はスポーツの撮影も行い、後に彼は、こうした仕事は報道写真家にとって「電光石火のタイミング感覚」を養うための最高の訓練だったと述べている。1925年から1964年の間に、彼の写真は2万枚以上、ニューヨークタイムズに掲載された。「フォークは適切な時に適切な場所にいる記者の才覚と、瞬間を活かす芸術家の能力を持っていた」と書いている。1991年5月19日、フロリダ州サンライズのサンライズ・ヘルス・センターで心不全のため死去、90歳だった。生前も彼の作品はギャラリーや博物館で度々表彰され、その中にはニューヨーク近代美術館やスミソニアン協会も含まれる。スミソニアン協会では1年以上にわたって彼の写真の個展が開催された。1952年、フォークは「この大都市の生活の最も良い面を促進して人々の善意を増進した功績」によりニューヨーク市から表彰された。

New York Times  Sam Falk (1901-1991) Austrian-American | Biography | Art Works | The New York Times

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