2021年6月25日

路上の人々を撮り続けたレベッカ・レプコフ

Midtown Manhattan
Rebecca Lepkoff, Midtown Manhattan, NYC, 1947
Rebecca Lepkoff

レベッカ・レプコフは、1939年から40年のニューヨーク万国博覧会でダンサーとして稼いだお金で、最初のカメラ、ボーランダーを買った。2012年、ローワーイーストサイドのテネメント博物館で開催された彼女の写真展で記者に、カメラを持って屋外に出るのは「すべては路上で起こることだから」「路上に人が住んでいた。子供の安全を心配する必要はありませんでした。彼らは目の前の通りでスティックボールをしていました」と語っていた。1916年8月4日、ロシアからの移民の娘として、ヘスター・ストリートの長屋で生まれた。レベッカは、ニューヨーク市立大学に通い、1938年に卒業し、モダンダンスの創始者の一人であるマーサ・グラハムからダンスを学んだ。1939年から1941年まで大恐慌時代の政府機関、全米青少年管理局の写真プログラムに参加していた。1941年にユージン・レプコフと結婚したころには、彼女は路上の生活を撮影する経験豊かな写真家に成長していたのである。1945年には、社会意識の高い写真家たちによって1939年に設立されたフォトリーグに参加した。初期のメンバーには、ウィージー、ベレニス・アボット、ヘレン・レヴィット、リセット・モデル、ポール・ストランド、ルイス・ハイン、モーリス・エンゲル、ウォルター・ローゼンブラムなど、当時の著名な写真家が名を連ねていた。全盛期には300人の会員がいて、写真は社会の状況を記録し、それを変えるために役立つべきだと考える人々のための学校、暗室、ギャラリー、クラブとして機能していた。しかし1951年にアメリカの司法長官が破壊的な組織としてリストアップしたため、リーグは解散してしまった。

Shos Maker
Shoemaker, Madison Street, Lower Manhattan, NYC, 1940s

都市再生プロジェクトによって生まれ育った街の多くが消滅してしまったにも関わらず、1980年代に入ってからもこの地域の写真を撮り続けた。1950年、レベッカと夫のユージン・レプコフは、バーモント州南部のウィンダム郡に家を買った。そこには、経済学者であり過激な社会活動家であるヘレン・ニアリングとスコット・ニアリング夫妻とその仲間たちが住んでいた。レベッカが撮影したニアリング夫妻と友人たちの写真は "Almost Utopia" に収められている。20年後の1970年代、ニアリングスに影響を受けた新しい世代がウィンダム郡にやってきて、レベッカは彼らの生活様式を撮影したシリーズ「バーモント・ヒッピー」を制作し、2010年にブブラトルボロで最後の展示が行われた。96歳の夫と一緒にタウンシェンドのアシステッドリビング(介護付き住宅)に住まいを構えていたようだ。2014年8月17日、バーモント州タウンシェンドの自宅で亡くなった。彼女の98歳の誕生日の2週間後だった。息子のジェシー・レプコフは「長くて素晴らしい人生を送りました。彼女は素晴らしいアーティストであり、母親であり、素晴らしい人でした」と語ったという。

camera  Rebecca Lepkoff, L.E.S. photographer dies at 98 | amNY Schneps Media | August 27, 2014

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