伝統的なアパラチアの民俗音楽には作業着である、オーバーオールが似合いそうだが、バスコム・ラマー・ランズフォードは白いシャツと黒い蝶ネクタイを着て、パフォーマンスを行った。このフォーマルスーツはヒルビリーという固定観念に反対する彼のキャンペーンだったようだ。ヒルビリーはカントリー音楽を指すと共に、南部やアパラチア山脈周辺などの農村部に住む、保守的な貧困白人層を指す表現である。ランスフォードは、1882年にノースカロライナ州マディソン郡のマーズヒルで、アパラチアの民俗音楽の世界に生まれた。幼い頃、マーズヒル大学の教師だった父からフィドルを与えられ、母は宗教曲や伝統的なバラードを歌っていたという。母方の大叔父であるオス・ディーバーは有名なフィドル奏者だった。バンジョーも習い、結婚式やスクエアダンスで演奏するようになった。ランスフォードはコロンビア大学(1935年)と米国連邦議会図書館(1949年)のために、300以上の歌や曲を録音した。ゲームを収録した2つのメモリー・コレクション、コマーシャル・レコーディング、1928年のマウンテン・ダンス・アンド・フォーク・フェスティバルの創設、他のいくつかの音楽フェスティバルの創設、指導、助言、音楽家の育成と奨励、パフォーマンス、ダンス・フィギュアの収集、何千もの歌やバラッドのテキストの収集など、彼の膨大な保存活動は多岐にわたっている。
Lunsford (fiddle) Mr. and Mrs. Lyda Brooks (guitar and banjo) and Gaither Robinson (banjo) |
これらのコレクションは、手紙や新聞の切り抜き、スクラップブックなどとともに、ノースカロライナ州マーズヒル大学の "Southern Appalachian Archives" に収蔵されている。18世紀末から20世紀初頭にかけてのアパラチア南部の音楽とダンスは、西アフリカ、ネイティブアメリカン、ヨーロッパの音楽の影響を受けており、音楽を愛するさまざまな人種や民族の人々によって演奏されてきた。特に19世紀末から20世紀初頭にかけてのフォーク・リバイバル運動や商業的なレコーディング業界では、主に人種的な境界線で分類されるようになったのである。マウンテンミュージックやスクエアダンスはヨーロッパ系アメリカ人、スピリチュアルやブルース、ジャズはアフリカ系アメリカ人のイメージが強くなっている。ジム・クロウ・サウスで行われたランスフォードのコレクションやフェスティバルは、こうした区分を明確に反映しており、白人が主役となっていた。同様に、彼のコレクションには、バラッド、宗教曲、スピリチュアル、ポップス、商業音楽、吟遊詩人の歌など、当時の幅広い文化が反映されており、その多くに人種差別的なイメージや言葉が含まれている。収集活動と同様、彼の政治的・市民的生活は20世紀の人種的分裂や政治的緊張を反映していた。人種隔離を大きく支持してい南部民主党の政治キャンペーンに参加したりしたことは特筆しておくべきだろう。
Bascom Lamar Lunsford Festival and Brief Biography| Mars Hill University, North Carolina
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