2021年6月29日

真の意味でのモノクロームは銀塩写真なのだが

Kamo-gawa River
Kamo-gawa River Kyōto: Deardorff 8x10 Nikkor 240mm F5.6 with Neopan 100 Acros

大判カメラ、デアドルフ 8x10で 撮影した賀茂川だが、久し振りに黒白プリントを眺め、実に感慨深い思いをした。これまで何度かモノクローム写真の魅力について書いてきた。ちょっと気になるのはデジタルカメラで撮影、これを画像処理でカラー情報を破棄した写真をモノクロームと呼んでいることだ。字義通り解釈すれば、単色だからモノクームには違いない。撮る段階にせよ、後処理にせよ。フィルムのそれとは根本的に違うと私は思っている。かつて私が揶揄したのはこの点だが、私自身がこの禁断の実に手をつけているから情けない。

Jidai Matsuri: Fujifilm Finepix X100F Fujinon 23mm F2.0

同じ銀塩でもカラーフィルムと黒白フィルムの仕組みは似て非なるものである。前者の場合、カラードカプラーの発色現像が終ると、銀粒子は漂白されて捨てられる。画像は色素で組成されるが、後者の場合は銀粒子そのものが画像を形成する。多くの銀塩アナログ写真愛好家が黒白写真を好むのは、この銀粒子の美しさだと思う。しかしその美しさは、こうしたウェブ上では再現ができない。ひょっとしたら、デジタルカメラで撮影し、カラー情報を破棄した画像でもいいじゃないかと思われるかもしれない。モノクローム専用のデジタルカメラをライカが商品化しているが、バカバカしく高価で手が出せない。すでに写真の多くはネットワーク上で流通するようになってしまった。ネットワーク上で表現活動するなら、デジタルカメラのほうが勝っているだろう。しかし銀塩アナログ写真へのこだわりを捨てられない人が、世界にはまだまだ沢山健在だと信じている。

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