2020年10月16日

歌を作ること

Photo by ©Keiichi Itō, Q-Blick Gallery, Shinjuku-ku, Tōkyō.

懐かしい写真が出てきた。故・伊藤啓一君に撮影して貰ったもので、確か1974年だったと思う。伊藤君は早稲田大学在学中に英国に遊学、写真を学んでロンドンの写真画廊で個展を開催した。帰国後、新宿区早稲田鶴巻町にギャラリー Q-Blick を開設した。ニコンサロンなどのメーカー系ギャラリーを除けば、まだ写真専門のギャラリーが珍しい時代だった。彼は音楽が好きで、ビートルズの曲をよく歌っていたのが思い出される。

ふたり


トゲだらけの言葉に傷ついて
きみは沈黙のお返し
音痴なフィドルを聴かせようか
ぼくの狂った人生を
本とレコードを焼き払い
ギターとアンプを捨てようか
小さな部屋を見つけ出し
そっとふたりで暮らそうか
桜はとっくに散ったのに
空は冷たく泣きくずれ
プラットホームにたたずんで
頬を流れる雨ぬぐう

寒い国にぼくは行くところ
きみはトランクに冬支度
ヒーターのスイッチをひねっても
瞳の奥は冷えたまま

心配しすぎて疲れ果て
もう逢わないときみはいう
距離が作ったすきま風
時間が作った防風林

伊藤君と私は良き写真と音楽仲間だったが、早逝してしまったのが惜しまれる。音楽と言えば、当時、中央線沿いに高田渡、友部正人、シバ(三橋誠)さんなどが住んでいて、彼らの拠点だった吉祥寺の「ぐゎらん堂」に頻繁に通ったことが懐かしい。ずっと後になって、自分でも歌を作ってみようという気になった。

高田渡
高田渡さんと私(読売ホール1977年1月13日)

フィドルの弾き語りで添田啞蟬坊の演歌を人前で披露したことがあった。しかし自分の歌を歌う場があったわけではなかったし、音楽の才能がわけでもなかった。しかし始めてみると、自分の心情を直接、あるいは間接的に昇華する多様性を持った手段だと気づいた。歌詞の内容がフィクションかどうか、書いた本人しか分からない点も、ある種の魅力があって見逃せない。俳句や短歌はオーラル、つまり詠む定型詩だが、歌はそれぞれに旋律が必要になる。私は作曲する能力がないので、高田渡さんに倣ってアメリカ古謡の旋律を借りている。長い年月ギターに触れてきたが、まったく上達しないままだ。楽器演奏は天性がなせるわざと諦めている。

0 件のコメント: