2019年9月17日

写真家ジョン・コーエンの死を悼む

John Cohen (1932-2019) Courtesy of Rufus Cohen

ソーシャルメディア Facebook を徘徊していたら、サングラスをかけた、ジョン・コーエンの珍しい写真が目に飛び込んできた。何事かと読んでみたら、息子のルーファスによる父親の死の報告だった。16日夕、リビングルームで息を引き取ったという。パソコンのマウスを握っていた手が凍り付いた。
My father John Cohen passed away this evening at home in his living room. David Amram had stopped by and played him Hoagy Carmichael's "Georgia" on the old out-of-tune piano. John was gone a couple of minutes later. Last week he said "Thank you everybody for making me who I was". -- Rufus Cohen
The High Lonesome Sound (1965)
最後の言葉の大意は「私の存在を認めてくれたみんなに感謝」だが、私には辞世の句に映る。親交があったロバート・フランク(1924–2019)が9日に他界したばかりだが、それを駆け足で追うような死であった。コーエンは写真家、映画制作者、音楽家、伝承音楽研究家として、多方面で活躍した才人だった。イェール大学で美術学修士号を取得した後、1950年代後半から1960年代初頭、ニューヨークで花咲いた芸術、文学、音楽のムーブメントに関わった。その業績すべてを列挙できないが、ロバート・フランクの映画 "Pull My Daisy" の制作に加わり、ビートジェネレーションの作品を記録したことは特筆に値するだろう。1958年にマイク・シーガー(1933–2009)トム・ぺイリー(1928–2017)とNLCR(ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ)を結成、古い SP 盤商業音楽レコードをソースに復元演奏、伝承音楽復興運動の一翼を担った。東南部のアパラチアを旅行、ケンタッキー州でロスコー・ホルコム(1912–1981)を「発見」して制作した映画『ハイ・ロンサム・サウンド』は画期的な作品だった。以来、コーエンはさまざまなテーマについて12を超える映画を制作している。写真集 "There Is No Eye: John Cohen Photographs" はペルーのアンデス、伝承音楽の宝庫アパラチア山系、ブルックリンのゴスペル教会、グリニッジビレッジのボブ・ディランやビートニクの文学者たちなど、50年間に撮影された作品の集大成となっている。

The Library of Congress
Treasures from the Archive Roadshow: Featuring the Down Hill Strugglers & John Cohen (LOC)

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