2019年9月19日

永井荷風『濹東綺譚』挿絵の寂寥

木村荘八『濹東綺譚』挿絵 8(東京国立近代美術館蔵

永井荷風(1879-1959)の小説『濹東綺譚』は1937年、木村荘八(1893-1958)の挿絵とともに「東京朝日新聞」に連載された後、岩波書店から単行本が刊行された。初版本の復刻版が2001年に出版され、ちょっと食指が動いたが、古書蒐集家でもないし、と自分に言い聞かせて見送った。玉の井の私娼街を描いた詩情豊かな随筆風の小説として、広く知られた名作だが、木村荘八の挿絵も評判を呼んだ。作者の分身と思われる、50代後半の小説家、大江匡が、26歳の玉の井の私娼、お雪と出合う場面は次のように描写されている。
復刻岩波文芸書初版本(2001年)
わたくしは多年の習慣で、傘かさを持たずに門を出ることは滅多にない。いくら晴れてゐても入梅中のことなので、其日も無論傘と風呂敷とだけは手にしてゐたから、さして驚きもせず、靜にひろげる傘の下から空と町のさまとを見ながら歩きかけると、いきなり後方うしろから、「檀那、そこまで入れてつてよ。」といいさま、傘の下に眞白な首を突込んだ女がある。油の匂においで結つたばかりと知られる大きな潰し島田には長目に切った銀糸ぎんしをかけてゐる。わたくしは今方通りがかりに硝子戸を明け放した女髪結の店のあつた事を思出した。
上掲の絵がそのシーンだが、これは東京国立近代美術館のデーターベースから拝借した画像ファイルである。着物の裾を膝まで持ちあげ、露出したお雪の素足が艶めかしい。背景の立て看板に「二十銭ハムライス」、暖簾に「和洋スタンド」とあるのが時代を反映していて興味深い。お雪は宇都宮で芸者をしていたが、お金が必要になり、玉の井にやって来た。大江が「馴れない中は驚いただろう。芸者とはやり方がつがうから。」と問うと「そうではないわ。初めッから承知で来たんだだもの。芸者は掛かりまけがして、借金の抜ける時がないもの。それに……身を落すなら稼ぎが結句徳だもの。」とお雪は答える。胸に迫る言葉だ。原画の寄贈者が木村初枝となっているが、親族だろうと想像する。しかし夫人なのかそれとも娘なのか、具体的な関係がはっきりしないのが不思議だ。木村荘八は挿絵を描くために玉の井に通ったそうだが、私娼街の夜の暗さと共に生きる、女と男の寂寥を見事に描き出している。永井荷風と同じく、東京下町の人情風俗に限りない愛着をよせていた東京人であったのだろう。それにしても私が所有している、岩波文庫の挿絵は余りにも小さく不鮮明だ。今からでも遅くない、やはり復刻初版本を買おうかなという気持ちに傾く。蔵書は断捨離すべき存在、困った性分である。

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